貴ノ花 大鵬戦 昭和46年初場所
元大関貴ノ花の二子山親方が長い闘病の末、亡くなった。合掌。
貴ノ花が大関に上がる前、子ども達の人気は群を抜いて貴ノ花に集まっていた。
追悼ニュースで流れる
貴ノ花 大鵬戦
は、大鵬が敗れて引退に追い込まれる昭和46年夏場所のものだが、最も印象に残っているのは、その前に行われた、初場所の一番だ。
この一番で驚異の粘りを見せた貴ノ花は足に大けがをした。
名勝負熱戦譜・大鵬−貴ノ花昭和46年 1月 5日目 3○大鵬(掬い投げ)貴ノ花●1
貴ノ花が頭を下げて突っ込むと大鵬も頭を下げて左差し右から絞る。貴ノ花は右から絞って上手を狙うが、大鵬が左から起こしてきたため果たせない。 大鵬は右上手を引いて一気に東に出たが、貴ノ花は左から掬って出足を止める。しかし大鵬なおも向正面に出る。 貴ノ花は堪えつつ上手を狙う。しかし大鵬は上手投げを打って貴ノ花に上手を与えない。貴ノ花は右から絞るが大鵬は右上手を命綱に堪える。 さらに大鵬は腰を振って貴ノ花の下手を切り、絞りを突破して左下手を取った。貴ノ花は右上手を取るなり吊る。大鵬の左足は上がった。次いで貴ノ花は右上手から出し投げを放った。 これで大鵬は泳いで青房、しかし大鵬は土俵を背に残して右から捕まえ上手を引き、貴ノ花の吊り身を両廻しの引きつけで必死に堪え、逆に貴ノ花は左足が折れて潰れてしまった。 貴ノ花の怪我は骨折だけではなく、膝も壊れて腰も痛めるというもの。常人なら再起不能、貴ノ花はよく立ち直ったが、その後の土俵を左右する大怪我となった。
このケガさえなかったら、貴ノ花は間違いなく横綱になっていた、といわれる一番だった。
一本足になりながら、土俵際でこらえる貴ノ花の姿は今も忘れがたい。
貴ノ花が引退してから、あまり熱心に相撲を見なくなった。
花のある相撲
を取るのが、貴ノ花だった。後年、
大関は正面から当たらないとダメだ
と言われ、それを正直に守りすぎて、頸椎捻挫に苦しめられた貴ノ花。その土俵は、いつも悲壮感が漂っていて、貴ノ花のファンは、一挙手一投足に胸を締め付けられる思いで見た。
花道に貴ノ花が現れる。そこから、土俵に上がるまで、土俵に上がってから、そして立ち会いと、貴ノ花のファンならば、どの一瞬も見逃せないモノだった。入場から貴ノ花の勝負がつくまでの、およそ10分余り、それが、貴ノ花ファンの至福の時間だった。勝っても、負けても、貴ノ花の相撲には花があった。綺麗なお相撲さんだった。
小兵力士が大関に上がれる時代は、貴ノ花たちの時代を最後に、終わったと見ていいだろう。今は小さい、といわれるお相撲さんでも、貴ノ花の最盛期よりも遥かに重い。あと10Kg体重があれば、貴ノ花も苦労しなかったと思うが、太れない体質だった。身体の不利を猛稽古で克服した。それが貴ノ花の相撲だった。
貴ノ花が初優勝を決めた時、興奮した貴ノ花ファンのおばあさんが、喜びの余り、テレビの前で亡くなった。
それほど愛されたお相撲さんだった。
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