JR宝塚線脱線事故 在阪民放テレビ局員の憂鬱 マスコミに勤めていていやなことなど
今回の事故取材は、主に在阪各局が担当している。その在阪民放テレビ局に勤めるある社員が、
マスコミに勤めていていやなこと
を、blogの中で書いている。他の記事と総合すると
京都生まれ、他府県の中高一貫男子校で鉄道研究会、大学で放送研究会、在阪放送局に入社10年目、ラジオ編成→テレビ局で経済部など記者を経験→現在はテレビ局のディレクター 奈良在住
という経歴。鉄道ファンのテレビ局員ということで、今回の事故やその取材については、いろいろ思うことがあるようだ。
★マスコミ就職駆け込み寺!?★ テレビマンの独言
http://blog.goo.ne.jp/d51-1369/
立ち上がる報道局・・・? 2005-04-26 23:16:15
http://blog.goo.ne.jp/d51-1369/e/8d22a673e9eeb1f8b727f314ca86c28e
漁師と板前 2005-04-29 21:28:11
http://blog.goo.ne.jp/d51-1369/e/1bb50e00d2b3c8dd06cba6b42d944ede
「マスコミは醜悪」というご意見に対する返答 2005-04-30 23:07:06
http://blog.goo.ne.jp/d51-1369/e/493f203190562fa1f8884a2617b5d62b
尼崎列車脱線事故を取材して 2005-05-03 23:39:37
http://blog.goo.ne.jp/d51-1369/e/55201d02661ac242093736b89366efb8
「脱線事故は、日本社会の緩みが引き起こした」 2005-05-05 21:52:03
http://blog.goo.ne.jp/d51-1369/e/4d0049ab0086250ab7d747314dd0f68c
以下は、今回の「ボウリング大会」記者会見の一部始終を、テレビ局員の目で見た描写だ。
マスコミに勤めていていやなこと その2 2005-05-07 10:58:11
http://blog.goo.ne.jp/d51-1369/e/f68a979a426a00dd2dd779b220472691
また、こんな事が起こってしまいました。場所はJR西日本本社の会見場。
尼崎脱線事故関連の5月4日の夜に開かれていた会見。
事故が起こった当日、別の車掌区の非番の車掌達が慰安のためのボウリングをしていたことがわかり、
テレビの記者が質問をしました。
あくまで、事故原因の究明とは別のものですが、こんな時にそんなことするなんて
「道義的にちょっとどうかな」という内容。
サイドネタ(少し本筋から離れたネタ)をJRに当てたわけです。すると会見場はざわつきました。
記者達の思いを代弁すると「それって大ニュースじゃないかよ、明日の朝刊で大展開だよ」
といったところでしょうか。
確かに、この段階からだと、十分朝刊に間に合います。JRも慌てました。担当者の心中を察するに、
「一応社長も報告を受けて知っている事象。事故とは関係が薄いので発表はしなかったが、
マスコミはこんな事までつかんでたのか、まずいことになったな」
しどろもどろになる受け答え、会見は紛糾します。社長も知っているこの件を、どう答えたら、部下として正しく会見したことになるのか。
考えながらの会見で、ちゃんと記者を納得させる答えができるはずがありません。締め切りが迫り、新聞記者達はいらだち始めます。
「社長を出せ!」会見場は騒然。
主に新聞各社が同調した末、日付が変わる頃に、JRの垣内社長が会見場に現れます。「4日は何軒の遺族を弔問したんですか」「5軒です」
「そこではボウリングしていた社員がいること話したんですか」「話してません」
そんなこと自分から話すはずがありません。
「どうして話さなかったんですか」「・・・・・・」
ここで問題の発言、
「人が死んでんねんで、どのツラ下げて謝りに行ったんですか!」
記者から矢継ぎ早に質問が飛びます。
「不信感を増幅させるから言わない方がいいと思った。それでいいですね」
この記者は、何度もこの質問を繰り返している。これは誘導尋問です。
もしかしたらこの記者は、社長が来るまでに朝刊のための予定稿を書いていたかも知れません。会見が深夜まで続き、いらだっていたのもわかる。
ああやって一発かまさないと、ちゃんとした答えが出てこないことが多いことも理解している。
しかし、「どのツラ下げて謝りに行ったんですか!」という発言はおかしい。
締め切りが迫っていたのもわかる。
しかし、締め切りが迫っているのはおたくの都合じゃないか。もちろん、テレビの記者も横柄な物言いをする場合がないわけではありません。
しかし、テレビの記者は、その会見の直後に会見場の前から顔出しでリポートするケースもあります。
さすがに、後ろ指をさされるようなことはできないです。顔が出ないことをいいことに、ここぞとばかりペンと言葉を振りかざす記者という生き物。
「同じ記者席にいたくない」と何度思ったかわかりません。
(略)
こんな感じの記事が続く、
一般人に近い感想を持つマスコミ人
のblogだ。
もっとも、これがイイかというと、わたしはそうは思わない。
自分が記者席にいるんだから
顔が出ないことをいいことに、ここぞとばかりペンと言葉を振りかざす記者という生き物。
「同じ記者席にいたくない」と何度思ったかわかりません。
という言いぐさはないだろう。このblogのD51氏だって、
顔が出ないことをいいことに
取材していることには変わりない。ここで、自分の気持ちを披瀝するのは、このblogが
マスコミに就職を希望する、若者向けに書かれている
という目的があるからだろうけど、放送局で10年も飯を食っている人間が言うべき言葉ではない。マスコミに携わる、ということは
人を殺すかも知れない、手を汚す仕事をしている
ということなのだ。自分の取材が間接的に人を殺す可能性は常にある。それが、ジャーナリズムではないか。高尚な仕事では決してないのだ。それを
自分は人殺しの片棒を担いでいる その上でマスコミに身を置く人間として発言したい
ならまだしも、10年選手のテレビ局員が「あんな記者と自分は別」という態度を取るのは、単に自分がかわいいだけではないか。こんな「プロになりきれない、生半可な」気持で取材をしているのならば、記者の権威をカサに着ている記者よりも100倍始末が悪い。
善人は危険な存在である。
なぜならば、
地獄への道は、善意で敷き詰められている
からだ。だからこそ
善人なおもて、往生を遂ぐ、いわんや悪人をや
なのだ。悪人は、自分が悪事をはたらいているという自覚があるだけ、
善を好み、悪をしないと思いこんでいる「善人」
よりは、自らの罪に自覚がある。自覚のない善人ほど、重大な罪を犯すのは、歴史の示すところである。そういう「善人」がジャーナリズムに関わっていると思うと、恐ろしくて、わたしは身震いする。
こういう人材が一人いる、ということは、他にも
「善意に溢れる」マスコミ人が存在する
わけだ。善人が始末に負えないのは、
自分は正しいという「無謬性」に支えられて、根本的な反省はしない
故である。そういう意味では、日本のマスコミ各社はどこも
職業倫理
をきちんと身につけてないのではないか、と疑う。
自分のしていることは、現段階では正しいかも知れないが、あとで検証すると間違っている可能性はある
ということを頭のどこかに置けない人間に倫理はないと言っていい。
マスコミが行動の規範に置く「正義」は「暫定的」であり、それが間違っていた場合、どう謝罪し反省するか
ということを、これまでどのマスコミ関係者も行っていない。「坊主懺悔」がせいぜいで、それでは全く効力がないのだ。
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