伊都国から国内最古のガラス玉出土
考古学記事の読み方レッスン、みたいな記事。
国内で最古のガラス玉出土 福岡・井原鑓溝遺跡
2005年05月14日21時53分井原鑓溝遺跡で出土した国内最古の鉛ガラス製連玉(1目盛りが1ミリ)=福岡市埋蔵文化財センター提供
http://www.asahi.com/culture/update/0514/image/SEB200505140004.jpg中国の史書「魏志倭人伝」に登場する伊都国(いとこく)があったとされる福岡県前原市の井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡で、弥生時代後期(1〜2世紀)につくられた国内最古の鉛ガラス製の「連玉」が見つかった。国産品か渡来品かは不明。ガラス玉は、当時の有力者の権威を示す装身具や副葬品とされており、同市教委は「伊都国の特異な階層文化や、社会背景を探るうえで重要な資料」としている。
連玉は、県道の拡幅工事に伴い、同市教委が04年度に行った発掘調査で出土。ドーナツ状の玉が連なった形で、同遺跡のカメ棺墓から破片を含め計13点見つかった。表面は風化が進んでいるため乳白色だが、本来は薄い緑色だったと思われるという。
弥生時代後期(AD 1-2C)というと
後漢(25-220)
新羅(BC57-676 統一新羅-918)
百済(BC18-660)
伽耶
高句麗(BC37-668)
中国・朝鮮半島の状況はこんな感じだ。
ガラス製品は中国ではBC 10C頃から見られる。ただ、この時期のガラスがすでに高度な技術に裏付けられたトンボ玉なので、ガラス製作技術がどのように導入されたかは謎だ。
戦国玉
http://homepage2.nifty.com/beads/sakusaku/1_1.htm
漢代は、副葬品のガラスがたくさん出てきている。ここに紹介されているのは、玉の代用としてのガラスだ。
漢代ガラス
http://homepage2.nifty.com/beads/sakusaku/3_1.htm
技術史的に考えると、今回「国内最古」として出土しているガラス玉は、それほど技法を凝らしたものではない。
甕棺から出てきた副葬品だから、地位のある人物の装身具として埋葬されたものだろう。上の「漢代ガラス」と比較しても、ガラスの質や製作技術は及ばない。
もし、国内産のガラスであれば見るべきだが、外国産だとすると交易で得られたモノで、そう上質ではない。
奴国の遺跡と考えられている春日市の須玖五反田遺跡からは、ガラス工房跡が出土している。
http://inoues.net/ruins/nakokunooka.html
国内のガラス生産は弥生時代中期には始まったと考えられているが、今のところそれを確認できる遺跡は見つかっていないようだ。
ガラスというと
蝦夷玉
を思い出す。アイヌがアムール川流域での交易などで手に入れたガラス玉で、女性の装身具として用いられた。
タマサイ(首飾り)の画像
http://www.ainu-museum.or.jp/nm_pho/029.jpg
アイヌ民族文化財 タマサイ(首飾り)二種
http://www.waseda.jp/aizu/col4b.html
タマサイなどで盛装した女性像
http://www.ainu-museum.or.jp/nm_pho/032.jpg
伊都国のガラス玉が交易によって得られたモノだとすれば、一体、伊都国からガラス玉を得るために何を運んだのだろうか。アイヌはラッコやクロテンの毛皮などをガラス玉の代価としていたが。
という風に考えていくと、今回のガラス玉は国内産かな〜。
そういえば、この甕棺が埋葬されて600-700年後のキトラ古墳からも、ガラス玉が大量に見つかっている。ガラスの色は似たようなもののようだが、組成はどうなってるんだろう。似た組成だと面白いんだけど。
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