京大桂キャンパス工学部に匿名で20億円寄付 図書館建設
海外に行くと
個人名を冠された大学の施設
というのがたくさんある。
個人の寄付で建設された施設
であることが多い。
日本では税制の壁があって、なかなか個人がポンと寄付をして大学に何か作るというのは少なかったのだが、なんと桂の京大工学部に
匿名で20億円寄付した個人
という奇特な方がいらっしゃる。
京大に図書館「匿名」で寄付 総工費20億円、個人負担 2005年06月15日京都大は14日、京都市西京区の桂キャンパスに、新しい図書館を個人の寄付で建設すると発表した。総工費は約20億円の見込みで、完成後に京大に引き渡される。寄付者については、本人の希望で公表していない。07年4月の開館を目指し、一般にも公開される。
新築される図書館は4階建てで、延べ床面積約7千平方メートル。工学研究科の高松伸教授が設計する。理工系の専門書を中心に蔵書は約100万冊の規模となり、市内が一望できる閲覧スペースなども設ける予定という。
本間政雄副学長によると、もともと京大が新図書館の建設を計画していたところ、今春、寄付の申し出があった。役員会で話し合い、受け入れを決めた。寄付者は「京大の役に立てればと思った。できるだけ早く開館させてほしい」と話していたという。
京大の桂キャンパスでは5月末にも、半導体メーカーのローム(本社・京都市)からの寄付でつくられた産学連携のための施設「ローム記念館」(総工費約20億円)が完成している。
まあ、たぶん、工学部の知り合いに聞けばこっそり教えてくれるだろうな。
それにしても20億円ですか。豪華な図書館だな〜。
100万冊規模、といっても、工学は基本は実学。実際は
その内多くの図書が「賞味期限切れ」でデッドストックになる
のだ。そのあたりが
文献学という手段を用いる他の学問領域
とは異なる。以前、大学院の同期の子が京大の付属図書館でバイトしていて、
地下室は使わなくなった工学書だらけ
と言って嘆いていた。わたしたち
本を山ほど買っても一千万円にならない人文系研究者
には
本は新しいうちが命、後はゴミ
という感覚がない。わたしなどは、この七年間引っ越しをしてないわけだけど、その理由は
家にある本だけで一万冊を超えるので、簡単に引っ越せない
からだ。ま、これは極端としても、文系研究者には
大量の蔵書
という悩みがあるし、
本がない大学には行けない、行くと年間の自腹図書費が100万円は簡単に越える
のである。
ともあれ、桂キャンパスの学生諸君、高松伸設計の図書館でちゃんと資料を調べるのだぞ。
しかし、どんなんや、高松伸の大学図書館って。ちょっとドキドキ。
そういえば、文系研究者は研究費が少ない、という話をこないだもしたばかりだ。
百万単位でいいのに、一千万、一億単位のプロジェクトを組まなくてはならない
と悩んでいた先生がいたっけ。わたしたち人文系、特に文献学徒は、極端な話、
本と鉛筆とノートさえあれば、仕事が出来る商売
なのだ。年間図書費なんて、相当大きな叢書を買っても百万円単位で落ち着く。でも、人文系って貧乏だし、この工学部にポンと寄付した方のように
20億円を文学部図書館に
なんて、大もうけしてるヒトは寡聞にして知らない。日本一のサラリーマンは
額面100億円の給与
だったそうだが、わたしのこれからの
生涯研究費
をどう多く見積もっても
恐らく一億円程度
だろう。ほんと、
宝くじが当たれば、一生分の研究費がまかなえる「お得」な分野
なのではある。ま、それだけ
世のためにあまり役に立ってない分野
ということになるんだろうな。
以前、京大中哲の池田秀三先生に
先生、最近本はどうされてますか?
と伺ったら
もう、そんなに本買わへんねん。要る本はあるし、新しい本はほとんど要らんし。
と仰っていた。ま、中国古典を専門にすると、必要な本は院生までで揃えてしまうので、実際に新たに購入するのは
過去の版本を活字本(排印本)にしたもの
古典の新しい校注本
くらいだ。
え?
最新の研究書も買わないとダメだろう
って? あ、そうです、京大中国学(古典)の悪いところは
他人の論文を余り読まない
ところです。なんとなく
他人の論文はオレの論文のサブセット程度の出来
と思ってる節はある。新しいところをやってるヒトは、ちゃんと他の人の論文を読むけど、古いところだと
またこの議論か〜
と、「暗黙知」の量の過不足でイヤになる部分がないとは言えないからなのだが。それはそれで問題がある。
文学・哲学系だとついでに
中国史の関係する時代の本
も買う。
更に今は
豊富な人材に任せて入力してCD-ROM化
が進んでいるので、スチールの180cmの本棚一本分のスペースが必要だった
二十四史
は、小さいディスク一枚で事足りる。もっとも
電子テクストは誤字脱字、校勘の不足を免れない
ので、従来の冊子体の二十四史も不可欠ではある。要するに
索引代わりに電子テクスト
本文の確認は冊子体
という形ですな。
わたしたちの世代は、まだ
本を買う方
だと思う。この下の世代になると
語学の授業に辞書を持ってこないのが当たり前
になっているので、活字文化というよりも
読み書き能力
は落ちていく一方だろう。その内
図書館は情報をネットやCDなどの電子的メディアからブラウズする場所
になっていくのかなあ。写本や版本をあつかっているわたしのような人種は
図書館ではなく、博物館へ行け
ってことになる? それとも
写本や版本も電子化されるからOK
になる?
ともかくめくってみる
というのは、結構文献学では有効な手段であり、教育課程なのだけれども。
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