あの頃のネットワーカー達は今どこに?
かつて
Nifty-serve
日経MIX
ASCII-net
PC-VAN
Asahi-net
などの商用BBSがあった。Nifty-serveは今年閉鎖された。日経MIXは残党が同じシステムで相変わらずBBSを開いている(要申請)。ASCII-netは、閉鎖直後には、残党のつくったBBSがあったけど、いまはどうなってるか知らない。
BBS参加者は「ネットワーカー」と呼ばれていた。いまはそんな名称はないよね。
BBSというところは
誰かが提供したネタに突っ込みを入れる場
だ。ネタ元はニュースだったりするし、昨日飲み屋で食べたなんかがおいしかったという類の個人的な話でもいいし、「横浜に○○売ってませんか?」でもいい。
発信元がマスメディアであれ、個人であれ、内容がネタであれ、本当であれ、平等に突っ込む
のがBBSだ。
「2ちゃんねる」もBBSである。
日本でインターネットが大衆化し始めるのが95年頃で、mosaicを初めて大学院のPower Mac 8100/80AVにインストールした時は息を呑んだ。それまでのCUI(キャラクタ・ユーザ・インターフェイス)から一挙にGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェイス)への劇的なパラダイムシフト。今では珍しくもないけれど、動画がそのまま見られるのに驚いた。
以後、IEやNet Scapeなど、インターネットブラウザは進化する。わたしが今使ってるのはSafariというMac用のブラウザだ。たまに読めないサイトがあるので、その時はしょうがなくIEを立ち上げる。
商用BBSの時代(80年代後半から90年代末くらいまで)には、
会員はアクセス料金を支払って、IDを貰う
のが、当然だった。日経MIXの課金は上限があって、一万円。他のBBSは所謂「青天井」だったりして、ずっと繋ぎっぱなしにしていると、凄い請求書が届くことになる。
ま、今時の中高生などが
とんでもない携帯料金を払う
のと、当時のネットジャンキーが
とんでもない課金を払う
のは、構造的にも「つながっていないと不安」な精神的にも、似通ったところがある。
商用BBSでは、課金支払いという関門があるので、小学生が個人契約するわけにはいかないが、オトナのマシンを子どもが使ったりすることはあった。90年代初頭には、中学生くらいならネットに出入りしていたから、当時の中学生は、今は20代後半から30歳くらい。すると、中心メンバー(だいたい高校生から大学生、あるいは20-30代の人達)は、もう下は30を越え、上は40代半ばから後半、ということになる。立派なオトナだ。
あの人達は、今どこにいるのだろうな。
そんなことを考えた理由は、以下の記事があったから。
fromガ島通信 メディア崩壊の現場を歩く 第10回 2ちゃんねるの終わりとブログの今後
http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/06/2channel.html
この記事の想定読者層って、たぶん、昔の「ネットワーカー」世代なんだよね。
2ちゃんねるがBBSである以上、マスメディアになぞなるわけがない、というのは、ネットワーカーなら、骨身にしみて分かっている話。
どうも、筆者が、BBSを知らないだけじゃないか、という気がする。たぶん、ネットに繋いだのは
インターネット後
のヒトなんだろう。前回の記事
ブログの「終わり」と「始まり」
http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/05/endandstart.html
も、自分のblogで起きたことを、さも、blog全体の話に拡大してたのが痛かったんだけど、今回も単なる「認識不足」もしくは日経BPの読者をなめすぎ。前回、筆者が悩んでいた
blog炎上もしくは煽りや荒し
というのは、BBSではしょっちゅう起こる現象で、商用BBSではシスオペや議長と呼ばれる世話人が、そうした
荒れている状態
をいかに収束させるか、ということに気を配っていた。もちろん、シスオペや議長には、運営側から多少の手当のようなものはつくのだけど、いったん荒れ出すと、そんな手当なんて意味がないくらい、精神的にも肉体的にも消耗する。2ちゃんねるでは、そうした表だったシスオペや議長はいないけれども、運営側に連絡して、不適当な荒しは削除される方向にある。
ま、BBSの経験がなければ、荒らしは見慣れてないので、自分の身に起きておたおたしちゃった、ってことなんだろうけれども。
実際、以前、ごくごく小さいBBSで、荒しが起きた時に、管理人が音を上げた。20人にも満たないコミュニティでも、荒らしは起こるし、初めての経験だと消耗する。ただ、
誰にも初めてはあるが、それをいきなり普遍的な現象のように語る
のは、おかしなことだな、と思う。
結局、今回の記事は
マスメディア側が、BBSに反撃されて狼狽した
というスタンスを捨て切れてないわけで、いまは新聞記者を辞めちゃった筆者が、なぜそこまでこの件にこだわるのか、よく分からない。
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