検閲・没収された長崎原爆投下翌日のアメリカ人記者レポートみつかる
1945年9月6日、長崎の原爆投下翌月に現地入りしたアメリカ人記者のレポートが、遺族の手によって発見された。
原爆の秘密を守るために、GHQが検閲・没収、60年後の現在まで知られることがなかったレポートだ。レポートには、原爆症の初期段階での症状が克明に記されている。
長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収【ロサンゼルス國枝すみれ】長崎市に原爆が投下された1945年8月9日の翌月、同市に外国人記者として初めて入り取材した米シカゴ・デーリー・ニューズ紙(廃刊)の故ジョージ・ウェラー記者の未公表の原稿と写真が60年ぶりに見つかった。原稿は、長崎市の惨状と原爆症に苦しむ市民の様子を克明に記している。ウェラー記者は原稿を連合国軍総司令部(GHQ)検閲担当部局へ送ったが、新聞に掲載されることはなかった。当時、米政府は原爆の放射線による健康被害を過小評価する姿勢を見せていた。この原稿が公表されていれば米世論に影響を及ぼし、核開発競争への警鐘となった可能性もある。
原稿は昨年夏、ウェラー記者が晩年を過ごしたローマ近郊のアパートで、息子の作家、アンソニー・ウェラーさん(米マサチューセッツ州在住)が発見した。タイプを打った際にカーボン紙で複写したもので茶色に変色しており、A4判で計約75枚、約2万5000語。長崎市内を撮った写真25枚は、記者(國枝)の取材を受ける準備のため、アンソニーさんが、5月11日にトランクを整理していて偶然発見した。
ウェラー記者は45年9月6日、鹿児島県からモーターボートや鉄道を使って長崎市内に入り、同市を拠点に約2週間にわたり被爆地や九州北部を取材した。
原稿は、長崎入りした9月6日付から始まる。8日付の原稿では、被爆者が受けた放射線による障害などの重大性に気づいた様子はなく「せん光が広がり強力な破壊力を持っていることを除いて、原爆がほかの爆弾と違うという証拠は見つからない」と書いている。
しかし同日、ウェラー記者は二つの病院を訪ね、原爆の特異性に気付く。軽いやけどなのに腕や足に赤い斑点が出て苦しんでいる女性、鼻に血が詰まったり、髪の毛が抜けている子どもたちがいた。オランダ人軍医は、患者の症状を「疾病X(エックス)」と呼んだ。
9日には、福岡から長崎に駆けつけた中島良貞医師を取材し、「疾病X」が放射線被ばくによる原爆症を意味し、投下から時間が経過しても死者が出ている原因と確信する。「患者たちは、エックス線照射によるやけどの患者と違って、あまり苦しまない。そして、彼らは4〜5日後に悪化し、亡くなる。死後に調べると臓器も正常だ。しかし、彼らは死ぬのだ」
息子のアンソニーさんによると、ウェラー記者は一連の原稿をGHQに送ったが、掲載は許されなかった。原稿は返還されず、複写については、ウェラー記者自身、紛失したと思っていたらしい。当時、広島に入った記者による放射能汚染を告発した記事が英紙「デーリー・エクスプレス」(45年9月5日付)に掲載され、米政府はその打ち消しに躍起になっていた。
アンソニーさんは「原稿が公表されていたら、放射能の危険性を警告した画期的な記事になっていたはず」と話している。
【略歴】ジョージ・ウェラー記者 米国ボストン出身、苦学してハーバード大を卒業した。30歳でニューヨーク・タイムズの契約記者としてバルカン半島を取材した後、シカゴ・デーリー・ニューズ特派員として太平洋戦争を取材した。日本軍の攻撃を受けている潜水艦の中で、盲腸の手術を施した米兵士の記事で、1943年、ピュリツァー賞を受賞。その後アジア、アフリカ、中東、ロシアなど世界中で紛争を取材。02年12月、95歳で死亡した。
◆核の恐怖「圧殺」 検閲の罪、今に問う=解説
外国人記者として最初に被爆地・長崎に入ったウェラー記者の原稿は、原爆の放射線による健康被害の実態を明らかにするものだ。内容的には、英紙「デーリー・エクスプレス」に掲載されたウィルフレッド・バーチェット記者の広島リポート(1945年9月5日)を、さらに詳しくしたものといえる。
バーチェット記者はGHQの検閲当局を通さずに原稿を英国に送った。一方、ウェラー記者は同局に原稿を提出したため、それが世界に打電されることはなかった。米政府は「多数の民間人の被ばく死」というのは日本側のプロパガンダだとして、米国内の世論を操作。原爆の惨劇が米国人に広く認識されるには46年8月、ジョン・ハーシー氏の「ヒロシマ」が米誌ニューヨーカーに掲載されるまで待たねばならなかった。
核兵器の研究を進める米政府は、国民が放射能に恐怖心を持つことを避けたかった。放射能による健康被害を認め、広島や長崎にいた米捕虜、被爆地に派遣された米兵などへの補償法ができたのは85年だった。
ウェラー記者の原稿が掲載されていれば、米国内で原爆使用を非難する世論が高まり、政府の核兵器開発に対するブレーキになった可能性もある。その意味で「幻の原稿」は、ジャーナリズムを圧殺した検閲の罪を問うている。湾岸戦争やイラク戦争はどうだったのか。変色した原稿は今を生きる者に問いかけている。【國枝すみれ】
英訳はこちら
http://mdn.mainichi.co.jp/news/20050617p2a00m0dm001001c.htmlウェラー原文はこちら
http://mdn.mainichi.co.jp/specials/0506/0617weller.html毎日新聞 2005年6月17日 3時00分
なるほど、國枝記者が取材をかけたら、原爆投下直後の長崎市内の写真も後から見つかったのか。
気になるウェラー記者のレポート(日本語訳)を一部転載しておく。原爆症について触れた部分だ。
原文はこちら
http://mdn.mainichi.co.jp/specials/0506/0617weller/0617weller3.html
長崎原爆ルポ:ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その4止 ジョージ・ウェラー記者原稿(4)止【9月9日長崎】原爆がもたらす特異な「疾病」は、医師による診断が下されないため、処方も治療もされず、ここ長崎で多くの人々の命を奪っている。目立った外傷のない男女や子供が次々、病院で死んでいく。何人かは、退院を望みながら病院の中を3〜4週間も歩き回った末に。
医師は近代的な知識を身につけているが、日本が降伏してから初めて被爆地入りした記者に話す時は、この病は彼らの手におえないと率直に告白している。患者たちはけがはないまま、次々と息を引き取って行く。
福岡からきょう病院に到着した放射線治療の専門家、高齢のナカシマ・ヨシサダ医師は「患者たちは原爆がもたらしたガンマ線か中性子線に苦しんでいる」と述べた。
「症状はみな共通している」と同医師はいう。「白血球が減り、舌が収縮し、嘔吐や下痢があり、皮下出血している。これらの症状はレントゲンを浴びすぎた時に起きるものだ。また、被爆した子供たちの毛が抜け落ちている。レントゲンが数日後に髪が抜ける作用をもたらすことを考えれば理解できる」。
ナカシマ医師は、居住地に戻った被爆者たちが地面から致死量の放射線を浴びている可能性があると主張し、政府に「被爆地を立ち入り禁止にすべき」と要請する一般の科医とは異なった見解をもっている。彼は「地面からの事後作用は無視してよいと考える。直ぐに電位計で測るべきだ」と話している。
かつて日本の戦争捕虜で、現在は連合軍収容所の下で働いているオランダ人のヤコブ・ビンク医師は、白血球を増やす作用のある薬を試すべきだと主張した。
第二救急病院では、ササキ・ヨシタカ中佐が「343人の患者のうち200人が死んだ。あと50人は亡くなるだろうと思う」と話した。
原爆投下後1週間で、ひどいやけどを負った患者は亡くなった。しかしこの病院は、被爆の1〜2週間後に患者を受け入れるのだ。従って、本当に悲惨な患者や死者は、病院の外にいるのだ。
ナカシマ医師は検視の結果、やけどのような症状を示す患者たちの死因を二つに大別した。最初の死因が全体の6割を占め残りが4割を占める。
最初の死因の外面的な特徴は、髪が抜け落ち、はしかのように全身に湿しんができ、唇がただれ、血便のない下痢が生じ、のどの喉頭蓋と咽頭後が腫れ、血球の数が減る。普通500万ある赤血球は2分の1から3分の1に減り、白血球は7000〜8000から300〜500へとほとんど消滅する。熱も40度まで上がり、下がらない。
最初の死因において、検視が示す内部症状は、血の詰まった腸だ。ナカシマ医師は死の数時間前に、こうした症状が出ると考えている。胃にも血が満ち、腸間膜炎が生じる。骨髄とクモ膜にも血が散在し、脳はなんら影響を受けないものの、やはり血が散在する。腸も充血するが、それほどひどくはない。
ナカシマ医師は「最初の死因では、原爆の放射線は、エックス線を浴びすぎて生じたやけどのように死をもたらす可能性がある」と考える。
しかし、第二の死因は同医師を当惑させている。患者たちは軽いやけどの症状を示すが、2週間のうちによくなる。彼らが普通のやけど患者と違うのは、高熱があることだ。皮膚の3分の1がやけどに覆われていても、熱がなければ回復する。しかし2週間以内に熱が出れば、やけどは突如治らなくなり、症状は悪化する。まるで敗血症のような症状を呈する。
しかし患者たちは、エックス線照射によるやけどの患者と違って、さほど苦しまない。そして彼らは4〜5日後に悪化し、亡くなる。
彼らの血管は、やけどで死んだ者ほど細くなく、死後に調べると臓器も正常だ。しかし彼らは死ぬのだ。原爆が原因で。ただ、誰も正確な理由がわからない。
9月11日に、米国人25人が長崎の被爆地を調べにやって来る。日本人は彼らが「疾病X」に対する有効な治療策を持って来ると期待している。
原文はこちら
http://mdn.mainichi.co.jp/specials/0506/0617weller.html毎日新聞 2005年6月17日 3時20分
その他のウェラー・レポート全文の日本語訳。
長崎原爆ルポ:ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その1
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050617k0000m040167000c.html
その2
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050617k0000m040168000c.html
その3
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050617k0000m040169000c.html
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