写っちゃうんです
anakataさん経由の夏らしいお話。
ある人が公共工事を請け負い、役所に提出するために工事現場の写真を撮ったら、
知らない人たちが大量に写っていた
のだが、
知らない人たちを写らないようにした写真じゃないと、役所が却下する
という。誰が撮っても必ず写るわけじゃないだろうけど。
Fantastic Camera Gallery
今日の一枚 2003/09/09(火)より。
(略) その緑区の桶狭間が実際の桶狭間の合戦があったところかというと、そうではないという意見もあり、実際のところは愛知県豊明市あたりで合戦が行われたのではないか、という説もあります(どちらにしろ桶狭間も豊明も隣同士ではある)。その豊明市には千人塚とか仙人塚と書かれている小高い丘があり、今は住宅地になっています。そこは千人塚とか仙人塚と書かれているんですが、もともと「戦人塚」という字を書き、すなわち桶狭間の戦いで死んだ武士たちを埋めて祀ってある所らしいです。私もちゃんと調べたわけではないから、はっきりしたことはわからない。そういう話を聞いたことがあるという程度です。ここで読んだ話を鵜呑みにして、他の場所で得意げに話したら笑われたり恥をかいた、ということはよくあることだから気をつけましょう。そういう曰く付きの場所には、だいたい何かあるんです(千人塚にお住まいの方済みません)。
その千人塚で数年前、私の知り合いが下水工事をやったんです。ちなみに公共工事というのは発注元の役所に現場写真というものを提出するんです。それがないとお金が下りてこない。また下水道を造ると簡単に言っても、これが莫大な予算が必要で、そこら辺の自治体程度の予算では下水道システムを作ることができないので、国から補助金を出してもらって下水道を造るわけです。なので、予算を出してもらっている国の方にも書類やら現場写真やらを提出しないといけないわけです。その現場写真というのが一枚提出しておけばよい、というものではなく一工程ごとに写真を撮って、こういうふうにちゃんと仕事をしたんですよ、という証拠写真みたいなもので、その量も相当なものになるのです。
写真を撮るにはカメラが必要です。というわけでコニカ現場監督とか現場専用のヘビーデューティカメラが販売されているわけです。私が思うに道楽ではなく道具としてのカメラとしては、プロカメラマンが使っているEOS-1Vなどプロ機と同じぐらい過酷に使われているのではないか、もしかして写真を撮る量としてはコニカ現場監督の方が多いかもしれない、と思います。関係ないんですけど、コニカ現場監督35はなかなかいいレンズがついている。でも同じシリーズでも28mmはレンズがなぜかダメダメです。
話がそれてしまいましたが、その友人は千人塚でいつも通り現場写真を撮ったわけですけど、困ったことにあがってくる写真の中に、これが写っている写っている。
「コンニチワ〜、コンニチワ♪異世界の国から〜♪」
という三波春男の歌声がこだましてくるぐらいに、撮った覚えがないものがよく写っている。何が写っているか今更言わなくてもわかりますよね。もちろん三波春男が写っているわけじゃないですよ。
役所に提出する写真ですから、当然ながらTV番組の心霊現象特番に投稿するたぐいのものではダメなんです。でもその友人は撮り直すのも面倒だからと言って、色々な人が背後でコンニチワ写真をそのまま役所に提出したんです。
案の定、怒られてボツりました。役所は千人塚の現場写真は知らない人がたくさん写るのを経験から知っているんです。しかし、国の機関にそれを提出したら下水道予算が下りてこない。「丹波哲郎の友達のために、税金を使って下水を引く必要性があるのか」と突っ込まれてしまうんです。
友人は初めは気持ち悪いなと思っていて、夜一人で書類整理などをしているときなど、すごく怖かったらしいですけど、毎度毎度で写っているし、そのたび取り直さないといけないので、そのうちいい加減に慣れてきて
「あーぁ、また写っているよ」
という感じで、シャッターを押すときは
「オレの仕事が増えるから、お前たち頼むからやめてくれ」
とブツブツお願いしながら現場写真を撮っていたそうです。すっかり慣れてしまった友人は、別段危害を加えられるということはなかったようですし、
「写ってくるのは、たぶん一種の自己主張じゃないのかな」
と淡々と語っておりました。
う〜む。役所も知っててなおかつ
写ってない写真ね
と言ってくる、というのが凄い。
この手の写真で凄くヘンな写真がある。北海道のある場所で撮られたものなのだが
日本髪・和服の男女が写り込んでいる写真
なのである。もちろん、そんなヒトがいるような時代でも、なにか時代劇の撮影があったわけでもなく、何故か写っているのだ。
謎ですね。
北海道の「知らないヒトが写っちゃうスポット」で有名なのは
函館山
で、友人が修学旅行の集合写真を撮ったら、ばっちりと
そこにいなかったはずの4-5歳の男の子
が写っていた。しかし、幽霊って
新しいテクノロジーに反応しやすい
のかしら。
わたしの曾祖母は、亡くなる数日前に意識がなくなった。こりゃダメかな、と思いつつ、祖母が看病していたら、ガラッと玄関の開く音がして、曾祖母が目を覚まし
汽車は込んでいてねえ
と一言。玄関を見ても、戸は閉まったまま。誰かが来た形跡もない。それにしても、何故汽車なのか、祖母も他の家族もわからないまま、ほどなくして曾祖母が亡くなった。
初七日が過ぎる頃、東京のある日蓮宗のお寺の奥さんから手紙が着いた。曾祖母が懇意にしていたお寺さんである。曰く、
先日、身延山(日蓮宗の総本山)に参ったら、お宅の奥様(曾祖母のこと)をお見かけした。あれ、奥様はご病気と伺っていたが、よくなられたのかしら、と後を追ったら、本堂に曲がるあたりで見失った。変わったことがないか、心配しております。
と。そのお寺の奥さんが曾祖母を見かけた日というのが、ちょうど意識をなくしていた日で、
あらま、おばあちゃん、汽車に乗って家まで帰ってきたのね
とみながへんに納得したとか。わが家はその頃、菓子屋を営んでおり、商売繁盛を願って、曾祖父母は一代法華になっていたのだった。死ぬ前に、身延山にお参りするとは、わが曾祖母ながら恐るべし、である。
わたしの家は、「普通の人じゃないヒト」がよく出る家として、昔は有名だったらしい。店や家になにか問題が起きると、夜中に大通り西七丁目にあった家の井戸から、白い着物を着たヒトが何人も、南一条西四丁目の店の方に飛んでいくのを、少なからぬ札幌市民に目撃されているそうな。今は七丁目の家も四丁目の店も手放してしまったので、そういう「おっかない話」とは、あまり縁がなくなってはいるようだ。…とわたしは思ってるのだが、ヘンな話が多少はいまでもあったりする。てか、そういう環境に生まれた頃からいたので、閾値が高くなってしまい、気が付きにくくなっているだけかも。
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