キトラ古墳の亥・丑像、剥離成功
11/1に文化庁が発表。報道は昨日〜今日とやや時間差ありだ。
asahi.comから。
キトラ古墳、「丑」と「亥」像もはぎ取り成功
2005年11月02日06時39分はぎ取られた十二支像の「丑」=文化庁提供
http://www.asahi.com/culture/update/1102/image/OSK200511010065.jpgキトラ古墳石室内部
http://www.asahi.com/culture/update/1102/image/OSK200511010070.jpg丑(一部は想像図)
http://www.asahi.com/culture/update/1102/image/OSK200511010069.jpg奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡)で壁画の修復保存作業を進めている文化庁は1日、北壁の獣頭人身十二支像の「丑(うし)」全体と「亥(い)」の一部のはぎ取りに成功したと発表した。亥は中心部分がかなり剥落(はくらく)しており、色の残った上部を2片に分けて外した。当初、丑ではなく子(ね)に取り組む予定だったが、丑の右下にしっくいの浮いたところを見つけ、順番を入れ替えた。
丑は、元の大きさは推定縦約15センチ、横約8センチ。周辺部を含めて縦約24センチ、横約17センチの範囲をはぎ取った。顔は消えてはっきりしないが、赤い襟の衣装を着て、右手側に武器とみられる赤い弓状のものを持っている。表面はゲル状のしみが残り、ぬれていた。
一方、亥は、大半が剥落するなど損傷が激しい。元の絵の赤い色がわずかに残る上部の2片を取り外したが、胴体部分は見送った。形がゆがんでいる上、しっくいが壁に張り付き、もろくなっているためという。
今回はぎ取られた北壁には、四神(ししん)の玄武(亀と蛇が絡まる図)と、その下に右から丑、子、亥の3体の十二支像が描かれている。
作業に携わった東京文化財研究所の川野辺渉・修復材料研究室長は「この時期は石室内の温度が下がり、しっくいの柔軟性が失われるが、北壁はしっとりしていた。以前よりは成功する自信が深まった」と話した。
はぎ取りは、6月の「午(うま)」以来。15〜17日に子、28、29日に玄武、12月12、13日に寅(とら)(東壁)に取り組む予定。
赤い弓状の武器は、「鉤[金襄]」だ。
もし、陰陽五行説に乗っ取って、四方に配置された獸頭人身十二支像の衣の色が決められてるとしたら、今回剥ぎ取った「丑」「亥」は
黒衣
を纏っているはずだが、経年劣化で色が落ちているから、これからの分析に期待するしかない。
→キトラ古墳現地Map
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