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2006-02-11

北京の食卓

ここ十数年の中国の変貌ぶりは凄まじい。前近代から近代、現代から近未来までが、一つの国土でモザイクになっている。超近代的なマンションの大規模開発地区の裏に回ると、ここ50年来全く変わっていない農村があったりする。それが、たとえば日本人なら誰でも知っている都市西安の南地区で起こっているのだ。
初めて中国語を勉強した頃、天安門事件前夜の北京に短期留学した。もう文革は終わり、改革開放政策が打ち出されていたが、まだ北京市内には文革の傷跡が色濃く残り、共産党の腐敗は手の施しようのないところまで行っていた。その当時ですでに「清末並の腐敗ぶり」と囁かれていた。今は腐敗しすぎて、何が正しいのか誰も分からなくなっている。
今のようにコンビニなどなく、スーパーマーケットが出来てはいたが、あちこちにあるわけでもなく、街角の限定されたところに開かれている自由市場で食べ物を買い、できあいのものがなければ自分で作り、というのが当たり前で、知り合いの北京人はみな料理が得意だった。外に自由に食べに行けないのだからしょうがない。学内の食堂は営業時間を外すと閉まってしまうので、規則正しく食事を取る習慣はイヤでも付くのだった。留学生にとってやっかいなのは、場所によっては「糧票」が必要なことで、これは主食を購入するときに求められることがあった。中国人ならいざ知らず、外国人はこんな食料支給クーポンを持ってないので、そのたびに「留学生だから持ってない」と事情を説明しなくてはならない。
外国人は「外貨兌換券(FEC)」という外国人用紙幣を持たされる。これは輸入品を中心とする贅沢品を置いてある友誼商店や、パンや輸入食品が買える友誼賓館で使える特別な紙幣なので、当然、闇交換の対象になっていた。「換銭」の大規模なブラックマーケットは、去年当局に潰された「秀水東街」の屋台にあった。建国門で地下鉄を降りると、革ジャンを着た怪しげな風体のにいちゃんたちが「チャンジマニ?」と声を掛けつつ、身体を寄せてくる。こいつらは高いレートをふっかけてくるが、ペテン師だから、と留学生はみな秀水東街をぶらつき、声が掛かるのを待った。FECを人民幣に替え、中国人民と同じようなものを買うのである。FECは特別な紙幣なので、街角の屋台でアイスクリームや点心を買うのには問題があった。「これは偽札だろう!」と、FECを知らない老百姓(一般庶民)に突っ返されることがしばしばあったのと、外国人が持っているFECを狙って来るやっかいな「友人」がいたためである。
最初の留学時には、FECもあったし「外賓」は大事にされた。大事にされただけでなく「外賓料金」が設定されていて、どこへ行っても外国人だとわかると、一般人民の何倍もの料金をふんだくられた。一般人民・華僑・外賓の順で、なにもかも高くなるのだ。
北京市内の「外文書店」には、外国語の書籍がたくさん置いてあった。ここの二階は「外賓止歩(外国人立ち入り禁止)」になっていたが、別に国家機密が隠されてるわけではなく、たぶん何らかの版権上の問題がある書籍が置かれていた。ここでわたしは
 『中国の家庭料理』
という日本語で書かれた中国料理の豪華本を買った。実に良くできた料理本で、中国各地の名物料理を、その当時の中国の都市で入手可能な、質素な材料で作れるレシピが、全頁カラーで掲載されているのだった。紅腐乳を使う扣肉(豚の角煮)や玉子焼きを皮につかう餃子、普通の水餃子に四川名物の辛い水煮牛肉など、この本から学んだ料理は多い。

そんな80年代末期の雰囲気を伝えているのが、現在日本人と結婚して、中国料理研究家になっているウー・ウェンさんの
 『東京の台所 北京の台所』

 『北京小麦粉料理』
だ。前者は、文革が知識分子であるウーさんの家族にどのようにふりかかったか、がよく分かる。後者は作りやすい分量のレシピ、手順を示すたくさんの写真が、実際に北京でこれらの小麦粉料理を食べたことがない人にも、よき導き手となる。そして何より、ウーさんの文章を読み、レシピに従って小麦粉を捏ねていると、80年代末期、銀輪が埋め尽くしていた長安街、銃弾に晒される前の人民英雄紀念碑、老百姓で熱気溢れる前門を思い出す。人民服を着ている人が少なくなかった頃だ。服務(サービス)という概念はなかったが、拝金主義のごうつくばりも少なかった。
天安門事件以来、わたしは一度も天安門広場に足を踏み入れてない。

単行本の原稿を抱えている現在、ウーさんのレシピを参考にしながら、水餃子を作り、小豆粥を炊く。豆や粥を炊いたり、煮込みを作るには、シャトルシェフが便利だ。火に掛け、短い時間加熱してから、保温鍋に放り込む。あとは時間が来るまで放っておけばいい。
ウーさんは、麺(小麦粉全般を指す)を捏ねていると気が紛れるらしいが、わたしも地粉を触ったり、豆や水を計っていると気分が落ち着く。そのうち、気が向いたら、拉麺でも打ってみようか。北京の拉麺は、綿実油を生地に塗って、一本が二本、二本が四本、四本が八本と延ばしていくものだった。手元には北海道産のホクシン小麦がある。これが拉麺に向いていればいいのだけれど。

おまけ。人民英雄紀念碑が2/8から修理されているという。
人民日報(日本語)版より。


天安門の人民英雄記念碑、8日から修繕工事
2006年02月07日
  
 天安門広場の人民英雄記念碑が8日から、修繕工事に入ることがわかった。工事期間は3カ月。北京市天安門地区管理委員会が6日明らかにした。
 人民英雄記念碑は、長年太陽や雨にさらされて劣化が進み、一部には破損もみられる。
 人民英雄記念碑は1958年に建てられた。中華人民共和国の成立後に天安門広場に建てられた初めての建造物だ。

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