漢訳仏典十講(第二期)第三回@奈良女子大 松尾良樹教授 3/18 15:00-18:00
奈良女子大のCOEプログラムの贈る連続公開講座の一つ。今期は
中天竺出身の求那跋陀羅が訳した『過去現在因果経』
を読む。釈迦の伝記である「仏伝」のかなり古い漢訳仏典だ。翻訳時期は、劉宋・文帝の子南譙王義宣の任地・荊州について行き、彼の地の新寺(もしくは辛寺)で翻訳されたものなので、元嘉二一〜三〇(444-453)年の間、すなわち五世紀の半ばと言うことになる。『宋書』によれば、倭の五王の一人、済が劉宋に使いを送った時期ですな。倭王済が、「安東将軍倭国王」の称号を得たのが、元嘉二〇(443)年だそうだからね。(『宋書』倭国伝)
講義形式で、出席者は、松尾先生の解釈を聞くスタイル。この講義の真骨頂は
漢訳仏典には、どの程度の口語表現が含まれているか
をつぶさに知ることが出来る点に尽きる。現代中国語を学んだ人は、
補語
と格闘した記憶があるだろう。その「補語」が、すでに漢訳仏典の古い段階から現れているのだ。実際、隋唐以前の僧尼の多くは、出自のはっきりしない、文章を司る家柄よりは遙かに低い階層から来ている。つまりは、文章を司る士大夫層のように、幼い頃から系統的な学習をしているわけではない。六朝までの仏典は、翻訳も文章も
坊主の漢文
と悪口を言われるわけだけど、大方が正規の学問を経験してない僧尼の書いたもの、読みにくい理由は
口語成分が多く含まれるから
なのだ。このあたりは、気にしないとわからないのだが、今までは、ほとんど無視されていた領域だ。
松尾先生は、この
口語成分
を一つ一つ抜き出して、六朝〜隋唐の仏典を研究されている。
中国語学的アプローチ
としては、正しい。
仏典、とりわけ
漢訳仏典
の場合は、
サンスクリットやプラークリットなどの原典のシンタックスと中国語のシンタックスの違い
を考えなければならない。特に、中国語にはない
関係代名詞による構文
をどう処理しているかは、『過去現在因果経』の訳文からも伺える。『過去現在因果経』の原典は失われているが、仏伝の梵本やパーリのテクストは存在するので、ある程度の類推は可能だろう。
『過去現在因果経』は、今回の途中から
奈良時代の写経『絵因果経』(画像リンクは奈良博の所蔵)
http://www.narahaku.go.jp/meihin/kaiga/image/046_a.jpg
が存在する。『絵因果経』は、『過去現在因果経』に絵をつけた、絵巻物形式の写経である。上半分は経文の内容を挿絵にしたもの、下半分は経文である。この絵の部分がなかなかかわいい。昨日は
提婆達多や難陀などが放り投げた象を、出家前の釈迦が城外に放り出し、自分で受け取って、象にケガをさせなかった
シーンが出色だった。いや〜、どう見ても、最近のイラストの象さんみたいなんだもん。奈良時代の人達が、ホンモノの象を見たことがあったとは思えないのだが、どう見ても
子象
が、ひっくり返されたり、放り投げられたりしている。今の日本なら
コマ割
という技法で、時の推移を漫画にあらわすことが出来るけど、奈良時代の『絵因果経』は
同じ場面内で時の推移をあらわす
ので、よく見ると、結構笑える。
中国の古い口語も勉強できて、『絵因果経』で笑える
一粒で二度おいしい講義が、この講義。しかも
受講は無料、テクストもタダ
なので、興味のある人は是非。
次回は
4/8 15:00-18:00 奈良女子大文学部南棟3F LL第2教室
に開催される。その次は5/13の予定。問い合わせ先は
奈良女子大 COE研究室 桑原さん coe-kodai@cc.nara-wu.ac.jp
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