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2006-03-12

石神遺跡出土「観世音経」木簡の「奉経」と年代・意味について

昨日行ってきた奈文研の
 石神遺跡現説→Map
だけど、簡単にざっと調べたことをメモしておく。(奈文研からアクセスあるみたいだし)

取りあえず、次のように点を切る。
・己卯年八月十七日、白奉経。
・観世音経十巻。記白也。
(己卯年(=679 天武八年)八月十七日に「奉経」について申し上げます)
(観世音経十巻 記録して申し上げます。)

「奉経」は熟語で仏教語。ある経典を奉じるというのは、そもそもはある特定のお経を信仰するってことだけど、写経して寺院に納めるのも「奉経」だ。
以下、古い例を『大正新脩大蔵経』よりいくつか引用。一つめ。


 西晋・竺法護訳 『正法華経』巻八 御福事品第十六 偈文の部分(大正巻9  No.263 p117c2-3) 286年訳出
其人奉経卷  供養当如是
得福甚衆多  其限不可量

今回出てきた『観世音経』とは単行経ではなく、おそらく
 姚秦・鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』巻二十五 観世音菩薩普門品
のことだろう。一般に『法華経』というとこの鳩摩羅什訳を指す。上に挙げた竺法護訳『正法華』は、286年に訳されたが、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は405-406年に訳されているので、その間には120年の開きがあり、竺法護訳と鳩摩羅什訳では、元になったサンスクリット原典が違うと考えられている。また『観世音経』は、もとは別に行われていた観音信仰が法華信仰に取り入れられた、という説もある。『法華経』類の梵本には種類がたくさんあり、また中国でも何度も訳されているし、『観世音経』の部分だけ抜き出すことも早くから行われていた。いまでも人気のある経典だ。
たとえば、隋の法経たちがつくった『衆経目録』には、次のように挙げられている。
隋・法経等撰『衆経目録』巻二 別生四(大正55 No.2146 p.124a9-13)
提婆達多品經一卷
觀世音經一卷
  右二經出妙法蓮花經。

 光世音經一卷
  右一經出正法華經。

というわけで
 法華経類から「観音経」にあたる部分を抜き出して単行経にする
のが流行っていたのがわかる。一番古い単行「観世音経」の記録は、このあたりだろう。
 梁・僧祐撰 『出三蔵記集』 巻四(大正55 No.2145b19)

 新集続撰失訳雑経録第一
觀世音經一卷(出新法華)

「新法華=妙法蓮華経」で、鳩摩羅什訳とそれ以前の竺法護『正法華』=「古法華」が並行して読誦されていたことがわかる。ていうか、中国の経録(仏教典籍目録)は、梁のこの『出三蔵記集』より古いのはないので、『出三蔵記集』に出てれば確実、というわけだ。つまり、
 百済とつながりの深かった南朝には、『観世音経』があった
ってことだ。これ重要。

「奉経」のかなり古い例をもう一つ。

後漢・支婁迦讖訳『無量清浄平等覚経』巻第四(大正12 No.361 p.298a9-12)
則君率化為善、教令臣下、父教其子、
兄教其弟、夫教其婦、室家内外親属朋友、
転相教語作善為道、奉経持戒各自端守、上下相撿、
無尊無卑、無男無女、斎戒清浄、莫不歡喜。
以上の例からも分かるように、非常に古くからある言葉なので、「奉経」は動かないだろうと思う。
じゃ、この木簡の正体は?

 経典整理の帳簿
だろうと思う。 裏表になっているのは、
 表 年月日 事項
 裏 経典名 記録した旨を明言
という書式で、同じ書式の木簡が他にもあったのではないか。
では、この木簡の時期だが、経典整理のためのものであれば、必ずしも「己卯年」に書かれたとは限らない。「己卯年八月十七日」は、写経の末尾に記されているものを写していることだって考えられるからだ。「観世音経十巻」とはいかにも少ないが、もし、病気平癒のために納められたものだとすれば、あまり重態ではなかったのかも。百巻となると
 死にそう
という感じだが、「十巻」だと何かなあ。もちろん、写経にはかなりの経費が必要なので
 施主の懐具合がそれほど豊かではない
ということも考えられる。 『法華経』全巻の通読は大変だけど、『観音経』のみの読経・写経は今でも盛んだ。

追記(3/12 15:00)下三橋遺跡の現説から帰ってきてみたら、ある先生よりメールが。
 『木簡研究』に投稿しなさい
だそうです。 

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