文化庁、高松塚古墳保存工事でまた隠蔽 2001年の工事で樹脂に防黴加工せず 黴の大量発生を招いた疑い
いや〜、もう、次から次へといろんな事実を隠蔽していたモノですね、文化庁。
防護服を着ないで工事をした2001年の「取り合い部」補修工事で
樹脂に防黴加工をしてなかったので、黴の大量発生を招いた
と文化庁が認識しているらしいぞ。それって
高松塚古墳壁画恒久保存検討委員会の議論の前提
を大きく覆す話じゃないのか。それとも
もう、石室解体は決まったから、何がばれても構わない
ってことですか?
読売より。
高松塚の石室、樹脂の防カビ処理怠る…文化庁公表せず奈良県明日香村の高松塚古墳(8世紀初め)の石室入り口で、2001年に行われた崩落防止工事の関係者が防護服を着ずに作業していた問題で、土を固めるのに使った樹脂に防カビ処理をしていなかったことが、カビの大量繁殖を招いたと、文化庁が分析していることが17日、わかった。
また、この時、石室の入り口をふさぐ蓋(ふた)に開いていたすき間も見逃されていた。これらの〈ミスの連鎖〉がカビの大量発生を招いたとみられるが、同庁はこうした事実を公表しておらず、改めて姿勢が問われそうだ。
同庁の作業日誌や同年12月に作成された内部の報告書などによると、工事は01年2月13日〜23日に入り口の天井付近の土の落下防止のために行われた。この際、工事業者は防護服を着用せず、空調施設の扉を長時間開けたまま出入りして、崩落危険個所を樹脂を練り合わせた土で補強した。
報告書では、使用された樹脂に防カビ剤を混ぜるなど滅菌処理をしなかったため、「(カビに)新たな栄養源が供給された」と記述。工事完了から5日後の2月28日に早くも石室入り口付近でカビが確認され、3月25日には「石室外表面および墳丘盛土部分にほぼすべてに発生。想像以上に状態が悪い」と報告されている。
その後、カビは石室内に広がり、同年9月には東壁、西壁の一部で白い綿状のものを確認。同年12月には東壁・女子群像、青龍付近と西壁・白虎の近くで黒カビなどが大量発生した。
報告書では、石室の開口部をふさぐ蓋の上側の目止めに使ったシリコン材がはがれていた点を指摘、「開口部の密閉度が不完全だったため、(カビが)侵入したものと思われる」としている。
その後、02年10月には除去が難しい黒カビが再び発生、同庁は03年から、カビの緊急対策を本格化。同古墳壁画恒久保存対策検討会などでは、同庁担当者が01年の工事がカビの大量発生の原因の一つになったことを認めていたが、詳細な経緯は説明していなかった。
(2006年4月17日15時26分 読売新聞)
あ〜、そうですか、としか言いようがないですな。
自らの工事管理のまずさを認めず、黴の大量発生を招いた上に、その「管理の手抜き」については、出来る限り隠蔽しておきたかったってことですか? 一体、この仕事は
どこの工務店が請け負ったのか
是非知りたいですね。奈良県の業者ですか? ひょっとして、明日香村に関係する、誰か有力議員の支援企業だったりするのですか?
続き。
一体誰がいけなかったのか。一目瞭然のインタビューを見つけた。昨年10/3付けの翻訳家大地舜氏の記事だ。大地氏は、丹念に関係者にインタビューして
高松塚古墳壁画劣化を隠し通した犯人、劣化に手を貸した犯人
を推理している。
キトンボ 今週の疑問 「誰が国宝・高松塚古墳壁画を殺したのか?高松塚古墳石室解体にみる文化庁の体質」
大地舜 10月3日
http://www.kitombo.com/gimon/1003.html
で、今日問題になった「取り合い部」の工事については、次のように明記している。
縄張り根性の犠牲になった壁画
二〇〇一年二月に文化庁の記念物課が二〇日にわたって、高松塚古墳の取り合い部と呼ばれる場所の天井を修理した。
取り合い部というのは石室と保存施設の間に存在する空間のことだ。ここは、石室のすぐ外側であり、土で囲まれている。保存施設の部屋から石室に入るには、この取り合い部を通ることになる。
ここの部分の土の天井が崩落してきたので、記念物課が奈良文化財研究所の助けを借りて工事した。
記念物課は古墳などの遺跡の担当であり、奈良文化財研究所(通称:奈文研)も遺跡の発掘を得意としているので、つき合いは古い。
一方、美術学芸課は絵画、建築物、彫刻、古文書などの保存修理・管理をしており、東京文化財研究所(通称:東文研)と親密な関係にある。
取り合い部の工事をしたとき、記念物課はあまりつき合いのない東文研には相談しないで、奈文研と一緒に仕事をした。
だが、この工事がカビ対策の面でずさんだった。
三月になって美術学芸課と東文研の人々が、定期点検に高松塚を訪れたら、取り合い部の場所に大量のカビが発生していた。
これでは、とても石室の扉を開けることは出来ないというので、東文研の技師たちはカビ退治に奮闘した。このときには民間の製薬会社の協力を仰いで、ありとあらゆる薬剤を試してみたが、カビ退治が出来なかった。そこで結局、東文研の技師たちのアイデアを採用して、翌年になって工事のやり直しをしている。
六ヶ月後の九月の時点でもカビとの戦いは続いており、取り合い部のカビの状態は完璧ではなかった。だが、すでに一年半も石室内部の調査をしていない。そこで、当時の林主任調査官は不安になり、扉を開けてみたという。
そうしたら、壁画が描かれている壁全面にこれまで見られなかったようなカビが大発生していた。黒カビ、緑カビ、白カビとなんでもありだったそうだ。
二〇〇〇年三月までの高松塚古墳壁画は安定期にあり、年一回の点検しかしていなかった。ところが二〇〇一年三月に点検が出来なかったため、一年半も石室内の点検が出来なかった。ということは毎年行われていた殺菌剤の散布(パラフォルムアルデヒド薫蒸)も一年半にわたってできなかったことになる。
この散布の効果が衰えたためカビが大量発生した可能性があるという。
また、東京文化財研究所の佐野千恵生物室長は「胞子の状態のカビは空気と同じ動きをします。石室はトータルで見ると二〜三センチ平方の穴が開いているのと同じ状態です。そこで取り合い部からカビが入った可能性もあるでしょう」という。つまり工事のミスも影響しているわけだ。
取り合い部にカビが大量に発生した大きな理由は、記念物課が天井工事に使った樹脂が疎水性(水をはじく)であったことにあったという。翌年行われた美術学芸課主導の再工事では、親水性(水を取り込む)の樹脂を土に混ぜて、天井部に張っている。これでカビの発生が止まったのだ。
疎水性の樹脂は水分をはじくため、水滴が出来やすい。一方、親水性の樹脂は水分を取り込んでしまい、カビが生存に必要とする水滴を生みにくいという。
キトラ古墳の取り合い部でも同じようにカビの大発生が起こったが、使う樹脂を親水性に変更したら収まったという。
記念物課がカビの専門家がいる東京文化財研究所と相談せずに工事を施工したのは、縄張り根性がからんだ人災だとは言えないだろうか?
樹脂が疎水性だっただけでなく、防黴対策も行われずに、「取り合い部」は工事された。その結果が、2001年の工事終了後から始まる
大量増殖した黴との終わりなき戦い
に繋がるのである。で、当時の記念物課の課長って誰?
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