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2006-04-26

清朝考証学と郭店・上博楚簡

諸子百家の話をするために、予習をしているのだが、
 郭店・上博楚簡の発見と分析
は、これまでの勉強をひっくり返す話なので、なかなか準備が大変だ。

京大中国学は、今はどうだか知らないけど、以前は
 清朝考証学
を基本としていた。
 文献として伝わっているモノで考える
立場で、更に言うなら
 失われた漢代のテクストを出来る限り復原する
というのが、その手法である。法るテクストは
 清朝考証学の厳密な校勘を経ているテクスト
で、それでも今尚
 テクストクリティック命
な日々。ともかく毎日
 一字一字の齟齬、誤謬を見つけ出し、真のテクストを再構成する
のが楽しみ。校勘は、
 ちまちまとした細部に神が宿る
わけで、丹念にやっていると、十日に一遍くらいとんでもないことに気がつく。そうなると実に幸せな気分になるのだが、端から見ていると、一体何が面白いのかさっぱりわからない。
 Philologyで出る脳内麻薬
というのは、他人には説明しにくい類のものである。

もっとも、中国学以前は
 印度学
をやってたので、これは
 清朝考証学よりも甚だしいテクストクリティックの世界
である。印度学のテクストクリティックに比べると、まだ中国学のテクストクリティックは甘い。甘くなる理由は
 印度学は異民族の学だが、中国学は漢民族の学だから
である。異民族はテクストに容赦しないが、漢民族は、
 祖先を重んじる
ので、その分遠慮がある。 日本人は、漢民族から見れば
 東夷
なので、さらに遠慮がある。

ところが、この美しき
 清朝考証学
を打ち破る資料が、墓の中から陸続と発見されている。最近、整理されて思想史でよく使うのは
 湖北省荊門市の郭店一号墓出土の郭店楚簡
と、
 出土地不明ながら、香港から上海博物館に売られた、おそらく郭店楚簡の残りである上博楚簡
だ。どちらも紀元前300年前後に竹簡に記された書物で、時代で言えば、孟子の活躍時期と重なる。
この竹簡の中に
 老子と儒学の書物が一緒になって入ってた
ので、話がひっくり返ってるわけだ。『史記』に書いてある
 老子説話
は、清朝考証学の疑古派では
 お話であって史実ではない
ということになっていた。つまり
 老子は孔子よりずっと後の人物、あるいは学派
ってところまで推し進められていたはずなのに、戦国時代の墓から、両方の書物が出てきちゃったんだから、
 疑古派のよりどころは崩れた
ということになる。

手元に『諸子百家 再発見』(岩波書店) があるが、これを読むと、清朝考証学の末裔達は、自らの地歩を根底から突き崩しかねない郭店・上博楚簡には戦々兢々としているのだとか。2004年の段階では
1. どうせニセモノ派
2. ホンモノだけど、それほど古くないよ派
3. ホンモノで紀元前300年頃の思想を伝えてるよ派
の三派に分かれてるんだそうだが、今はどうなっているのやら。
こないだ池田秀三先生にご飯をご馳走になったときは、楚簡の話は一つも出なかった。と言って、池田先生が、楚簡を無視してらっしゃる訳じゃないのだけれども。

尾崎雄二郎先生の『説文解字注』の授業では、
 科斗文字
の議論のあたりをちょうど聞いた。久方ぶりに『晋書』巻三六衛恒伝の「四体書勢」序を開いた。段玉裁は、科斗文字については、
 そんなものはねえ
な立場だったと思ったが、いざ楚簡が出てきてみると
 科斗文字=楚簡などに用いられる東方の文字=古文
ってことになるのかなあ。このあたり議論はまだ終わってないように思う。

書庫を調べてみたら、いつ買ったのか
 楚簡帛文字編 湖北教育出版社 1995
 出土文献与中国文学研究 北京広播学院出版社 2000
が手元にあった。最近、中国の出土文物については、ほったらかしだったけど、本だけは買っていた模様だ。
今は、師法に則るべき立場でもないので、時間を掛けて、楚簡を読み出そうか。倉卒に結論を出したり、論文を書いたりするつもりはないが、
 教科書がひっくりかえりつつある現状
をきちんと文献学的に見定めたい。

段玉裁も王国維も『古史弁』も、結構好きなんだけどね〜。

続き。
で、わたしが中国学を始めた頃に読んだ史書といえば呂思勉だったりするわけで、まあ、疑古派バリバリのテクストばっかり読んでたってことになる。疑古派の手法はそれなりに面白いんだけど、問題は
 出土文物が出てきたときにどうするか
という構えが出来てないところだな。
しかし、19世紀の最後の年1900年に、ヨーロッパ人にかっさらわれた
 敦煌文書の発見
の衝撃を考えると、ま、
 出土文物でそれまでの仮説がぶっ飛ぶ
というのは、あり得る話で、そうそう守株するのも賢明とは言えないだろう。確かに
 中国人はニセモノを作るのがウマイから、アレはダメ
という考えも成り立つけれども、こう毎年毎年湖北あたりから竹簡が出てくるようだと、それも説得力がない。東洋史では、真面目に竹簡文書に向き合ってるんだから、思想史だけが知らん振りするのも大人げない。単に
 自分たちの依って立つところが瓦解しそうだから無視
なのだとしたら
 天動説を墨守し、地動説を排撃したかの教会
を笑えはしないだろう。まあ
 『史記』をもう一度読み返す
には、いい機会だな。

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