女子カーリング 小野寺・林が一線を退かなければならない日本の現状
チーム青森は、これから強くなるチームだった。
出身地の常呂町では雇用がなく、青森に移って、カーリングを続けた小野寺と林。四年間、アルバイトをして遠征費を貯め、月給12万円という薄給かつ非常勤職員という不安定な身分のまま、競技を続けた。これ以上、彼女たちに同じ生活を強いるのは酷である。
河北新報より。
小野寺・林 一線退く カーリング「チーム青森」トリノ冬季五輪の英国戦で、ストーンを見ながら作戦を練るカーリング女子日本代表の小野寺歩(左)と林弓枝=2月
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2006/20060524001jb.jpgトリノ冬季五輪で7位と健闘し、人気を集めたカーリング女子「チーム青森」のスキップ(主将)小野寺歩(27)と林弓枝(28)が競技の一線を退くことを表明した。経験が武器となる競技で2人の離脱は4年後のバンクーバー五輪に痛手で、継続的強化の難しさが浮き彫りになった。
「トリノで満足したので、また4年間頑張る気にはなれない」。17日の記者会見で、小野寺は引退を否定しながらも当面休養すると明らかにした。2度目の出場だった2人は準決勝進出こそ逃したが、強豪カナダなどを破った充実感を得た。
日本代表のミキ・コーチは「このメンバーでバンクーバーに行きたい。もっと強くなる」と続行を望んでいた。戦術や氷の状態を読む力が勝負を分ける「氷上のチェス」で、小野寺らはまだ脂が乗っている。
しかし、カーリング施設は北海道や長野県などの一部に限られ、環境は十分といえない。2人も前回五輪後に競技を続けるために常呂町(現北見市)から青森市に移った。結婚などで環境が変わると、さらに続行は難しくなる。
小野寺は「カーリングは生涯スポーツ。母親になっても戻れる。機会があれば復帰したい」と、将来の再起に意欲も見せた。海外では、結婚して子育てをしながら活躍するケースも目立つ。小野寺が一線に戻れるような環境が整えば、日本のカーリングに厚みが増すだろう。
2006年05月23日火曜日
二度の五輪出場、そしてトリノ五輪での強豪とのつばぜり合い、こうした経験を積んだこれからの選手が、環境、主に経済的理由のために競技生活を中断しなくてはならないのだ。もし、二人が、そこそこの年収を競技によって得られるならば、こうした「引退宣言」は出なかったに違いない。
マイナースポーツの常とはいえ、実に惜しい。カーリングは経験が物を言うスポーツだからだ。次々と新しいヒーロー・ヒロインが五輪ごとに生まれる他の競技とは違い、長い競技生活が可能なカーリングだからこそ、国の支援が望まれる。小野寺と林に代わる技能を持った選手はいるかも知れないが、経験を積んだ選手は他にはいないのだ。
トリノ五輪でなぜ日本中があんなにカーリングに熱中したのか。
その理由を考えると、この小野寺・林の
第一線からの引退宣言
は、日本のスポーツ施策の貧困の表れである。北国はいまだに不景気だ。そうしたところにこそ、
スポーツ振興
の手はさしのべられるべきだ。
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