高松塚古墳壁画よりも商売が大事 明日香村の人達が河合隼雄長官に腹を立てる理由
余人を以て代え難い職務がある。
河合隼雄文化庁長官にとっては
文化財行政
だったはずだ。
ところが、今回高松塚古墳壁画損傷が明らかになって、文化庁の職員・元職員の処分が決定されるまでの約二年間、河合隼雄長官は、
臨床心理学
の専門家であることを標榜していながら、
傷ついた明日香村の人達の心を慰める
ための行動はなにもしなかった。そもそも明日香村に足を踏み入れなかったのである。臨床心理学者としては、どうかと思うのだが。
実は、河合長官は
7/2に帝塚山学院大学で臨床心理学の講義をする
のだ。これは平成15年から例年行われている。
平成16年度
http://www.tezuka-gu.ac.jp/info/daigakuin/counseling/counseling.html
平成17年度
http://www.tezuka-gu.ac.jp/info/daigakuin/counseling/annai.html
平成18年度 7/2
http://www.tezuka-gu.ac.jp/info/daigakuin/counseling/annai06.html
河合長官は、
日本臨床心理士会会長
で、現在民間資格である臨床心理士を国家資格にするのに奔走している。国家資格化は河合長官の長年の宿願である。
最近はなにか事があれば
心のケア
と称して、カウンセラーが派遣されるが、その中には河合長官が推進したこの
臨床心理士
がたくさん含まれている。
臨床心理士の国家資格化をめぐるきな臭い動きについては、かなり前からあって、今は亡き
噂の真相
が、詳しく取材をしていた。ともかくも
利権
であることは間違いなく、もう一つのカウンセラーの民間資格
医療心理師
とともに国家資格化をめざし、昨年は両方の国家資格化をめざす折衷案が出来たのだが、結局
国会に上程されることなく終わった
のだった。これについては、昨年8月22日の読売の記事、
解説 心理カウンセラー
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20050822ik0c.htm
を参考のこと。
で、帝塚山学院での大学院向け公開カウンセリング講座に、
日本臨床心理士会会長の河合長官がわざわざ出てきて講義をする
のは、こうした一連の動きと無関係ではなく、帝塚山学院は
大学院在学中の実習経験だけで修了後に臨床心理士試験の受験資格が得られる「第一種指定大学院」
なのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/臨床心理士
ま、
会長が来るから
というのが、この公開講座の売りなんだろうな。帝塚山学院は、河合長官の以前の職場である国際日本文化研究センターの同僚だった先生が学院長をしたりしてるから、その当たりの関係はばっちりだったと思われる。
それはいいとして、
明日香村で、怒り傷ついてる村人達は放置しても、同じ関西にある帝塚山学院の公開講座には、多忙な文化庁長官の職務の時間を割いても参加する
というのは、あまり感心した話ではない。高松塚もキトラも
明日香村の人達が長年守ってきた文化遺産
なわけで、村人が文化庁に対して怒りを隠せないのは
村人に一切手を触れさせない、見せない、という管理の下で、「以前とかわらず保存されている」と思っていた極彩色の壁画が、すっかり劣化してしまった
からだ。
まあ、臨床心理士のプロとして、河合長官の明日香村の村人達への対応は
金のないクライアントには冷たいカウンセラー
と悪口を言われても、仕方がないのではないか。ご本人はどう思ってるか知らないけれども、世間はそれほど
心理カウンセラーが何にでも効く
とは、最近思ってない。あれだけ
心のケアでカウンセラーを派遣
してると
カウンセラーなんて、役にたってへん
というのが、じわじわ認識されてきたからだ。奈良県田原本町で起きた
高校生放火殺人事件
も、スクールカウンセラーがいた高校の生徒が容疑者だ。
今年の堺での河合長官の講義は
演題:『「初回面接」について』クライエントに最初に会う「初回面接」は非常に大切で、このときにその後の面接経過の流れが決定づけられるほどの意味を持っている。実際例をあげながらそれによって初回面接のあり方について考えてみたい。
だそうだ。河合長官が、何より大切と説く予定の
初回面接
さえ、してもらってなかった、明日香村の人達には深く同情したい。
昨日の朝日には、
河合長官単独インタビュー
が載っていた。
文化庁の抜本的改革
に取りかかったのは結構だが、
これだけの不祥事があっても辞職しない
のは、まさか、
「臨床心理士」が国家資格になるのを見届ける
ためじゃないでしょうね?
ちなみに、京大には
教育学部・臨床心理系のカウンセリング
と
保健管理センターの精神科医によるカウンセリング
の両方があった。わたしのいた頃は、臨床心理系のカウンセリングにはできるだけ行かないように、先輩に忠告された。本来、薬剤投与などの医療行為によって治療すべき症例が、教育学部のカウンセリングでは見落とされるというのがその理由だった。
田原本の高校生放火殺人事件の容疑者の学校では、生徒達は、定期的にスクールカウンセラーにカウンセリングを受けるようになっていたらしいが、教育学部出身の心理カウンセラーは、悩みを聞くことはできるが、医師ではないので、精神科への通院が必要なケースがあっても、「抑鬱状態」とか「鬱」などの診断は不可能だし、そもそも医学的助言はできない。現在の学校に必要なのは
文系の「臨床心理士」
ではなく、
青少年期に発症することがある心の病を見逃さない、精神科の診断もできる学校医
だろう。「精神科」には親の抵抗が強いだろうから、少なくとも
心療内科の診断が出来る学校医
がいれば、不眠・摂食障害などへの適切な医学的アドバイスは可能だろう。医者でもない文系の「臨床心理士」では、深刻な病が隠れていても、なにもできないのだ。
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