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2006-06-22

地方国立大学と文化財 吉備塚古墳の象嵌大刀はいつ研ぎ出せるか

昨日は、奈良教育大で
 学内にある吉備塚古墳から出土した象嵌大刀の図柄について
の発表があった。
 吉備塚古墳の調査(平成18年3月31日発行)
http://www.nara-edu.ac.jp/KK/kibizuka2006.pdf(象嵌大刀についてはpp.15-17)
小規模な集まりで、たまたまお誘いがあったので、出席することが出来たのだが、ここで明らかになった深刻な問題は
 重要な文化財だと思われるけれども、それを証明するためのお金が奈良教育大にはすぐに出せない
ということだった。つまり
 象嵌を研ぎ出して、大刀の文化財的価値を証明したいのだが、研ぎ出し予算に数百万単位でかかり、一地方国立大の一学科がすぐに出せる金額ではない
のである。銀象嵌と思われる大刀は、今はまだ、研ぎ出しが不十分で、
 どれほどすばらしい絵が描かれているのか
がはっきりしない。

総合大学であれば、何らかの学内プロジェクトを作って、数百万円単位なら、学内で融通できる大学もあるかも知れない。しかし、奈良教育大学は、そこまで大きな規模の大学ではない。
研ぎ出して、文化財指定を受けたとしても、今度は展示場所がない。たとえば京大ならば、総合博物館があるけれども、一地方教育大では、これまでそうした要請がなかったから、作るにしても一から始めないといけない。
奈良教育大学の象嵌大刀は、
 仙人らしき人物像と青龍・白虎および雲気を伴った植物文が刃の両面に象嵌されている
非常に価値の高いものだ。もし、今はまだ錆に隠れている象嵌が、綺麗に研ぎ出されて、図柄の全貌が明らかになれば、他にもある、古代の刀身に象嵌を施した刀剣や
 安倍晴明が関わったという伝承で有名な、宮中にあった「百済献上の二振りの霊剣」
などと比較できるだろう。「百済献上の霊剣」は、平安時代に宮中の火事で焼け出されたため、作り直したことが、平安時代の貴族の日記に見えるし、岡野玲子『陰陽師』11巻の中心テーマになっている。

象嵌大刀は
 学内にある吉備塚古墳
から出てきたのだった。吉備塚、という名称は
 吉備真備の墓という伝承からつけられた
らしいのだが、もちろん、吉備塚の方が、吉備真備よりも遙かに古い。
 吉備塚の由来
http://kobunka.nara-edu.ac.jp/kibi/wkibi.htm
元々、
 以前、軍の施設だった場所で、古墳は墳丘が削られたりしていて、大したものはないかもしれないが、学生実習にはちょうどいい教材が学内にあって良かった
くらいの、軽い気持で掘られたものだろうと思う。京大でも、学内で
 昔の墓
を掘ってたりするけど、学生に掘らせるくらいだから、大した遺跡ではないようだ。
ところが、吉備塚古墳は違った。文化財科の考古学実習の一環として、発掘してみたら
 すばらしい文化財が出てきてしまった!
という経過がある。象嵌大刀以外にも、何振りか刀が出てきている。確定してないのは、今も全部を掘り上げてないからだ。
国立大学構内で、
 これから価値が明らかになる文化財
が発見されたとき、
 その価値を証明するにはどうしたらいいのか
という問題を、吉備塚古墳は投げかけている。発掘や出土品の整理には、大層お金がかかるからね。
企業の接待費で一晩に数百万とか一千万とか使うところがあるらしいけど、そういう
 次のでかい儲けに繋がりそうなところには金は出す
けど、こうした
 次代に伝えられる文化財にポンと金を出す
なんて奇特な企業はないからね。ま、日本の文化財への関心なんてこの程度。吉備真備の墓か、なんて言われてるところから出てきた
 5世紀後半〜6世紀前半にかけての日本と中国・朝鮮半島との文化交流
が明瞭な大刀って、わたしは凄いと思うけど。だって
 倭の五王の最後、武=雄略天皇の時代の大刀
なんだもん。倭王武は、当時の中国・南朝に使いを出していることが、中国側の史書に記されている。そんな時代のロマン溢れる大刀なんだけどね。

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