国語嫌いが増えるだけかも 古文・漢文を小学校で暗唱
齋藤孝明大教授の一連の本が売れていたり、NHK教育「にほんごであそぼ」で子どもに暗唱をさせたりしてる影響だと思うのだが、
小学校で古文・漢文の暗唱
をさせたい、と中教審が思ってるらしい。
共同通信より。
「古文暗唱」小学国語に 中教審検討、漢文指導も
2006年 8月18日 (金) 19:46学習指導要領の見直しを進めている中教審の教育課程部会は、小学校の国語の授業に「暗唱と音読」を重視した古文・漢文など古典の指導を盛り込む方向で、18日までに本格的な検討に入った。
「やさしい文語調の文章に親しむ」ことを掲げた現在の指導要領よりも「文化の継承」を強調し、古典重視の姿勢を鮮明にした。改定されれば全国の小学校で枕草子など古い時代の古文や論語、漢詩などの漢文を暗唱する授業が実施されることになる。「復古調」と指摘する声もあり、議論を呼びそうだ。
小学校での古典学習は現在、短歌や俳句、ことわざなどを音読させる指導が主流で、時代が古い漢文や漢詩などは、全員が学ぶ必要のない「発展的内容」として扱われている。
まあ、なんていうか
美しい日本語を守ろう
運動みたいな話で、これを全国的に義務教育でやるの?という気はしますがね。てか、古文は沖縄なら
おもろそうし
なんじゃないの?
で、問題は
教師が古文・漢文を嫌いなら、逆効果になる可能性大
ってことだ。「にほんごであそぼ」がうまくいってるのは
大人も子どもも楽しくやってる
からで、もし、あれを嫌々教えたら、全く効果がない。たぶん、子どもは「古文・漢文の暗唱」が嫌いになるだけだろう。そもそも「暗唱」なんて
本人に覚える気がない
内は、なかなか効果がない。小学生であれば、本人が
あ、これ面白い! 楽しい!
と思える「とっかかり」がなければ、ただただ苦痛なだけなのだ。
教える側が
古文・漢文嫌い
であったならば、
生徒に「楽しい、面白い」と思えるような「とっかかり」を授業で与えられるのか
という疑問がある。絶対に
やらなきゃなんないから、適当に流す
だけだろな〜。それだったら
子どもに俳句や短歌を作らせる
とか、
地域(not 学校)で参加自由の暗唱大会を開く(アメリカで子どもがやってる「綴り」コンテストみたいな感じで)
とかの方がいいんじゃないかな。暗唱が出来ない子どもが劣等感を抱く方が困る。暗唱が出来なくたって、人生に問題はないからだ。「暗唱」って、そうした「つまらない躓き」を増やすことにならないかな。音読は大事だけどね。
「暗唱」に時間を費やすよりは
書き方(硬筆習字)
に時間を掛けた方がイイな。ワープロ全盛とはいえ、手で文字を書く局面は常にある。語学学習では、字を書きながら音読すると、一番頭に入るんですがね。日本語もそうした機会を増やす方がいいんじゃないかな。
小学校の先生って学科担任制じゃなくて、
担任がすべての教科を教える
って体制だから、全員が
国語科出身
なわけじゃない。たぶん
古文・漢文大嫌い
って先生の方が多いと推察する。わたしの小学校の中学年の担任は数学、高学年の担任は体育の先生だった。中学年の先生は、ベテランだったし、文章を書くのが好きな方だったので問題なかったけれども、高学年の担任は、今から思うと
ご本人が国語嫌い
だったのだろう。授業が面白くなかったし、時々
国語の代わりに体育の授業
をやったりした。そんな二年間だったので、わたしは国語がすっかり嫌いになったのだが、中学で素晴らしい国語の先生に出会えて、国語は大好きな科目に変わった。
たとえ国語科出身であろうとも
古文・漢文大嫌いな教師
はたくさんいるし、中学・高校の国語教師には専門分野であるはずなのに
古文・漢文苦手
な先生を見かける。高校の頃、ある先生が、漢文で間違ったことを教えて、次の授業の時に
俺は国文専攻だから、漢文は不得意なんだ
と開き直られたときは、
プロってそんなんでいいの
と失望した。まあ、その先生はすぐに管理職になって教育現場を離れたので、実害は少なくなったけど。
以前、予備校や教育実習で漢文を教えたときに感じたんだけど
漢文嫌いの国語教師は大量にいて、そういう先生に習うと、生徒も漢文が嫌いになる
のだ。ま
高校までで習う漢文のシステムはたいしたことないので、中国語が出来て、文言(中国語文語文)が読めれば、それほど指導に困らない
んだけど
国語の先生の大半は、大学で中国語をやってないか、やっていても中国語で文言を読む訓練はしてない
のですね。もともと漢文って
外国語を無理矢理日本語の構文に合わせて読むシステム
だから、現代のように簡単に中国語を学べる時代にあっては隔靴掻痒っていうか、恩師清水茂先生のように
京大の国語の入試から漢文を外した方がイイ
と仰って、結局外れちゃったりしたんだけど、ま
専門(中国文学・中国哲学・東洋史など)の人は習慣として訓読するけど、それ以外の人にはわりとどうでもいい分野
なのだ。はっきり言って
義務教育で全員が学習する必要はない
と思う。漢文をやるよりは、中国語の勉強をした方が、よほど役に立つ。それに学校漢文って、変な読み方を強いたりするからなあ。予備校で教えてたときは、センター試験の問題に
間違いとは言えないまでも、不適切な出題
はたくさんあって、生徒には
これは〜という出題意図だから、選択肢の中に正解がないけど〜を選べ
と指導していた。ま、センター試験すらその程度なんで、漢文教育は
やるなら、中国のように、大学の初年度に中国語で教えた方が効率がいい
と思う。
雲南省で日本書の調査をしていたら、
日本の明治期に出版された、中国人留学生(この頃は清朝留学生)のための、日本語の文章を「中国語」のシステムをつかって翻訳する教科書
があった。なぜそんなことが可能だったかというと、
明治期に日本で翻訳された西洋の「先進知識」の書籍は「漢文脈」で書かれていたから
で、
助詞や助動詞を手がかりにして、簡単に中国語に翻訳できる
のだ。
もちろん、漢文脈が衰退した現代日本語じゃ、そんなことは無理なのだけどね。
要するに、当時の日本留学には
手っ取り早く、日本語から西洋の知識を仕入れる手段
という一面があった、ってことなのだ。英語やフランス語・ドイツ語ができなくても、日本語にさえ翻訳されていれば、すぐに中国語に「変換」できるのだもの。
ま、漢文脈の文章が読めなくて困るのは一部専門家だから、残りは
現代語訳 明治期の文学
でもいいじゃない? 他に勉強すべきコトはある。古文だったら
百人一首
でいいじゃん。
百人一首を書きながら、毎日一首ずつ覚える
で。月〜木まで朝の時間に短い時間でやって、金曜日にその週の短歌をおさらいするのを、何年かに分けてやればいい。あとは、
百人一首のカルタ大会
でも開けば?
文化を守るといいつつ、実際は
文化嫌いを増やす
だけなんじゃない、中教審。
年寄りの懐古趣味
に見えますね。それとも
敗残に次ぐ敗残で追い込まれた国文学の最後の抵抗
かしら。
おまけ。
学のいま 江戸期文芸の魅力を伝える(上)
http://book.asahi.com/clip/TKY200608190271.html
より。
■国文学研究 100年経て岐路に
大学改革の波のなかで、国文学科が減り続けている。本居宣長につらなる国学に、ドイツ的な文献実証学の方法を接ぎ木した国文学研究が確立して100年あまり。存亡が問われる曲がり角を迎えた。「国文学が大きな危機を迎えているとき、鬼となってこの世にとどまり、国文学の行く末を見守ってほしい」
学会の中心的存在で、『国書総目録』を編集した市古貞次さんが2年前に亡くなった時、葬儀委員長を務めた秋山虔・東京大名誉教授はこんな弔辞を読んだ。状況への危機感が生んだ、型破りともいえることばだった。
(略)
◇国際化・学際化
江戸の文化が多くの日本人に共有されなくなる一方で、研究の国際化は進んでいる。江戸中期から明治期までに書かれた漢詩文学を東京大で教えるロバート・キャンベル助教授が、初めて江戸文芸に出あったのはカリフォルニア大の学生の時だった。
(略)国際化や学際化は、ある種の必然とも言える。近松門左衛門研究を振り出しに、歌舞伎や東アジアの文化へと関心を広げ、学際的な研究を切り開いた諏訪春雄・学習院大名誉教授は「研究をすればするほど、列島の文化を東アジアのなかでとらえないと分からない点が出てくる。それを狭い枠組みに閉じこめておくことはできない」と指摘する。
ただ、国際化や学際化自体が国文学研究の突破口になるとは、諏訪さんも考えていない。「私自身、かつては中国やアジアとの類似点を見つけて満足していたが、影響を受けながらも中国・朝鮮と違うものを生んだ日本文化の根とは何かを考えるようになった。それを現代に提示できるかどうかに、古典研究の価値はあるのではないでしょうか」
* * *
〈本から学ぶ〉
・藤井貞和『国文学の誕生』(三元社) 国民国家の完成期に生まれた国文学の思想を解き明かす。
・中野三敏『読切講談 大学改革』(岩波書店) 文系基礎学の窮状を訴え、その重要性を説く。
・諏訪春雄「ジャイロス 国文学の死と再生」(勉誠出版) 危機と可能性を13人が探る。
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コメント
漢文訓読というのは,つまりは漢文(中国古典文語文)をいかに楽に日本語に翻訳するかで発明された方法です。オランダ語や英語を訳すときにも役に立った。この方法を発明した古代日本人には敬意を払うけど,小学校教育に取り入れるとなると,大学の国語教師である私も疑問符。
疑問符があろうがなかろうが,小学校での英語教育義務化の流れには負けるだろうけど。
投稿: 宇三九斎 | 2006-08-24 15:53
英語・古文・漢文より、まず国語現代文の音読でしょうね。
投稿: 国語 教育 心配性 | 2008-09-11 21:52