八世紀の日本人が見た中国典籍はなんだったのか
『日本書紀』には、中国の典籍から表現を借りている部分が幾つもある。一々、何を参考にしたとは書いてないから、その部分を探すのも、国文や国史の研究テーマの一つになっている。
現代なら
盗作だの剽窃だの
と問題になるけれども、基本的に
お手本に沿って作文
してるわけだから、オリジナリティは問題にならない。それよりも
できるだけ典故を用いて文章を綴ることが名文の条件の一つ
だから、現代の文章観とは大いに異なる。
ところで、『日本書紀』で援用されている中国典籍は一体どういう性質で、どういうテクストなのか。そのことについては
わからない
のが現状だ。現代は
インターネットなどを利用して、電子化されたテクストの「同じ文字列探し」
が簡単にできてしまうから、
『日本書紀』のこの部分は中国の史書のなになにと同じ
というのは、すぐに見つけられる。でも、
『日本書紀』を書いた人間が見た本は何だったか
というと、これは分かってない。
本当に膨大な史書から表現を見つけ出したのか
というと、そんなことは恐らくなくて
文章を書く参考書(類書)を使って、表現を借りた
のだろう。そうすると
現行テクストと合致する
現行テクストは違う文字列が間に挟まっている
というのは、どういうことなのかを改めて考えなくてはいけない。出典探しで
原典
にあたるのは鉄則ではあるが、『日本書紀』撰述の際、撰述した人物が見た書物が原典でないかもしれず、またいま
原典
として流通している書物と、
八世紀当時の写本の状態で流通している書物
には、文字の異同もあれば、テクストの中味も違うだろう。その当たりを発展させていくのが
今後の「中国出典」探しの課題
だ。
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