銀塩カメラの衰退
用事があって、従兄の家に電話した。テレビがアナログ→デジタルに切り変わる関係で、東京のテレビ業界では相当の人手不足が生じている。しかし、テレビ局本体は、2011年のアナログ停波以降にも、アナログ→デジタル変換で生じた臨時の雇用人員に仕事が振れるかどうかわからないので、正社員ではなく、派遣や契約社員で凌ごうとしている。ともかく手が足りないのは事実なので、即戦力となる経験者が求められている。従兄の子が、以前、テレビ関係の仕事を志望してたので、とりあえず、様子を聞いてみたのだった。
残念ながら、この話は不調に終わったが、従兄の近況が聞けた。
従兄はコニカ(サクラ)のフィルムの研究所に勤めていた。北大の化学を出て以来30年余り、一貫してフィルムの研究開発に携わっていたのだが、昨今のデジカメの隆盛で、コニカはカメラ部門からの撤退を決めた。今年の1月のことだ。カメラもフィルムもやめたのだ。日経より。
コニカミノルタ、カメラとフィルムから撤退・デジ一眼はソニーへコニカミノルタホールディングスは19日、カメラとフィルムの両事業から撤退し、デジタル一眼レフ開発向けの一部資産をソニーに譲渡すると発表した。デジカメの普及で収益が急速に悪化しているフィルム関連事業と、家電メーカーが台頭するデジカメ事業の立て直しは難しいと判断した。グループ従業員の約11%に当たる3700人を削減。今後は成長が見込めるカラー複合機や液晶用フィルム、X線装置などに注力する。
カメラはデジタル・銀塩とも3月末で事業を打ち切る。デジタル一眼レフについては、デジカメのラインアップに一眼レフを加えたいソニーと、従来ユーザーのカメラ資産を守りたいコニカミノルタの思惑が一致。ソニーが今夏、コニカミノルタのカメラシステム「αマウントシステム」に準拠したデジタル一眼レフを発売する。コニカミノルタのユーザーは、保有する一眼レフ「αシリーズ」の交換レンズやアクセサリーを活用できる見通しだ。販売済み製品のアフターサービスは、4月以降はソニーが受け付ける。
今月11日には、ニコンが銀塩カメラから事実上撤退する方針を明らかにしているが、国内大手カメラメーカーがデジタル・銀塩ともカメラを完全撤退するのは初めてで、同業他社の経営判断にも大きな影響を与える可能性がありそうだ。
写真事業のカラーフィルムとカラーペーパーは、2006年度末までに段階的に品揃えを絞り込む。地域ごとに販社の統廃合を進め、2007年度上期末には販売を終了する。店頭でフィルムの現像プリントやデジタル画像プリントなどを行う機器のミニラボは3月で打ち切るが、4月以降はノーリツ鋼機に委託し、メンテナンスサービスを継続する。
コニカミノルタのマレーシア生産子会社は、ソニーとのJV(共同企業体)とし、ソニーが開発する一眼レフを生産する。出資比率はコニカミノルタが5割強となる見込み。交換レンズも、同子会社でソニー向けに製造する。
岩居文雄社長(66)は「カメラ事業とフォト事業の終了はひとつのけじめ。経営の大きな転換期として区切りをつけたい」として、4月1日付で取締役会議長に退き、後任には太田義勝副社長(64)が社長に昇格する。岩居社長は旧コニカ社長で、太田副社長は旧ミノルタ社長だ。都内で行われた会見で岩居社長は「引責(辞任)ではない」と強調した。
太田次期社長は、「勝ち目が乏しい事業をいつまでも抱えていくのは企業価値の向上につながらない」と撤退の理由を述べた。「(ミノルタに)入社した時はカメラだけという会社だったので、カメラに対して何の思いもないということない」と無念な思いもにじませつつ、「ノスタルジーにひたっていてはいけない立場」と今後の経営舵取りに向けた決意を示した。
コニカミノルタは、1873年創業の「小西屋六兵衛店」をルーツとする旧コニカと、1928年創業の「日独写真機商店」をルーツとする旧ミノルタが2003年に経営統合し誕生した。デジ一眼では、前身のミノルタが1995年10月に「RD-175」、1999年10月に「Dimage(ディマージュ) RD3000」を発売したが、いったんは撤退。2004年11月に「α-7 DIGITAL」で約5年ぶりに再参入するまで、レンズ一体型デジカメが主力だった。
2001年6月、広角28ミリからの手動7倍ズームを搭載した「DiMAGE 7」を発売。その後、カメラからレンズが飛び出ない屈曲光学式の先駆けとなった「DiMAGE X」シリーズ、斬新なデザインの高倍率ズーム機「DiMAGE Z」シリーズ、撮像素子を動かして手ぶれを補正する機構をいち早く搭載した「DiMAGE A」シリーズなど、個性的なデジカメを次々と世の中に送り出した。
しかし、デジカメの基幹部品であるイメージセンサー(撮像素子)を他社からの調達に頼っていたため、開発期間の短縮やコスト削減が難しく、競争激化による価格下落にも見舞われ、収益が悪化していた。「全社平均の売上高営業利益率は6—7%なのに、フォトイメージング(PI)事業はマイナス続きで、PI事業が全体の足をひっぱるという状況が続いてきた」(岩居社長)という。
昨年8月には廉価版のデジ一眼「αSweet DIGITAL」を投入して巻き返しを図ったが、キヤノンとニコンのデジ一眼2強の牙城を崩すことはできなかった。コンパクト型でも、松下電器産業が光学式手ぶれ補正、富士写真フイルムが高感度対応で先行するなか、手ぶれ補正付き「DiMAGE X1」を昨夏になってから発売したが、力及ばなかった。
最終的には「将来、コニカミノルタグループがさらに大きく躍進するには、PI事業の幕を閉じる方がベター」(岩居社長)と判断したという。銀塩時代から多くの写真愛好家やプロカメラマンに愛された老舗のカメラ・写真ブランドは、100年余りの歴史にピリオドを打ち、姿を消す。
[2006年1月19日/IT PLUS]
まったく違う会社に変わったコニカでは、従兄がやるべき仕事がない。早期希望退職に応じて、5月に退職したそうだ。
家には、従兄が開発に携わったカラーフィルムがたくさんあるそうだ。辞めるときに貰ってきたという。
あげようか?
と義従姉にいわれたので、いただくことにした。わたしよりも、銀塩カメラに入れ込んでいて、フィルムを欲しがってる友達が何人もいる。そういうヒトに使われてこそ、フィルムも、従兄も、その甲斐があった、というものだろう。
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