飛鳥藤原第142次・144次(藤原宮朝堂院東第四堂)発掘調査の現地説明会@9/30
明日、藤原宮朝堂院東第四堂の発掘調査の現説が開かれる。
飛鳥藤原第142次・144次(藤原宮朝堂院東第四堂)発掘調査の現地説明会を下記のとおり開催いたします記
【日 時】
平成18年 9月30日(土)
説明は午後1時30分〜 ※小雨決行
【場 所】
奈良県橿原市高殿町
「藤原宮朝堂院東第四堂」発掘調査現場
http://www.nabunken.go.jp/record/setsumei/img/2006/20060930/20060930map.jpg【交 通】
近鉄大阪線「耳成」駅下車南へ徒歩25分
【報告者】
都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区) 考古第三研究室
研究員 中川 あや
※ 駐車場は、全くありませんので車でのご来場は、ご遠慮ください。
一応、耳成下車徒歩25分と書いてあるけど、大和八木駅からバスに乗って、小房で降りて歩くのが近そう。
中川あやちゃんの報告なので、かなり楽しみ。
朝日の記事はこんな感じ。
藤原京跡 規模縮小の跡「格付け」か
2006年09月29日出土した朝堂院東第四堂跡。中央手前の人が示しているのが、新たに見つかった北東隅の「6列目」の柱跡=橿原市の藤原宮跡で
http://mytown.asahi.com/nara/k_img_render.php?k_id=30000000609290001&o_id=1766&type=kiji◇朝堂院の東第四堂◇
藤原京(694〜710年)の宮殿、藤原宮跡(橿原市、特別史跡)を調査している奈良文化財研究所は28日、政務・儀式の中心となった朝堂院の南東端にある「東第四堂」で建築開始後に建物規模を縮小した形跡が見つかった、と発表した。同研究所は、建物ごとに構造や大きさで格付けをしていたとみている。
朝堂院(南北約320メートル、東西235メートル)は、太政大臣や役人らが入る朝堂が東西対称に6棟ずつ計12棟並んでいた。東第四堂は確認された遺構としては5棟目で、身分秩序を管理した「治部省」として使われたと考えられている。
戦前の調査では、東第四堂の柱穴の並びは5列だったが、今年4月からの調査で、さらに6列目の柱筋が確認された。同研究所は、6列目の柱筋は基壇(高さ10センチ)よりも外にあることから、建設途中で5列に変更したか、建て替えた可能性があるとみている。東第三堂でも、規模を縮小した形跡が見つかっている。
同研究所は、朝堂院の建物のうち、大臣らが国政を審議した東第一堂は、中国式の豪華な土間でいすを使い、第二堂、第三堂、第四堂はむしろ敷きの床に座っていたとみている。
中川あや研究員は「第一堂、第二堂は現在の内閣、第三堂、第四堂は省庁にあたる。官位差を明確にするため、第三堂、第四堂を縮小したのではないか」と話している。現地説明会は30日午後1時半から(小雨決行)。近鉄大和八木駅下車。
《設計者と施工者考え方にずれ?》
山中章・三重大教授(考古学)の話 藤原京では、本格的な礎石建物による朝堂院が初めて造られた。当時としては斬新なスタイルで、設計者と施工者の間に考え方のずれがあり、途中で計画が変更されたのではないか。計画段階では朝堂にどの位の役人まで入れるかなどが決まらず、最終的に下の役人を排除して、建物規模を縮小した可能性もある。
朝日が「大和八木駅下車」と書いてるってコトは、バスが出るのか?
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