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2006-09-25

民博に行く

monodoi学兄のblogに啓発されて、民博に出かけた。行きしなに、某大学に寄ったが、月曜日は誰もいなかった。ま、通り道だから寄っただけなので、実害はなかったのだが。

Ms


例によって、行きと帰りは経路を変えた。近鉄奈良→日本橋(大阪地下鉄堺筋線/阪急千里線乗り換え)→山田(大阪モノレール乗り換え)→万博記念公園(大阪モノレール彩都線乗り換え)→公園東口
万博記念公園→千里中央(北千里急行/大阪地下鉄御堂筋線乗り換え)→天王寺(JR大和路線乗り換え)→奈良
民博に行くのは、10年ぶりくらい。97年に博士論文の公聴会を聞きに行ったのが最後かな。
久しぶりに万博記念公園に行くと、有料ゾーンとか無料ゾーンとか、変なことになっていて、東口から入ったら、見えているのに民博に行けない。一度出て、日本庭園側に回る。

目当ては、全盲の民博助手廣瀬浩二郎氏の企画した
 国立民族学博物館|企画展「さわる文字、さわる世界─触文化が創りだすユニバーサル・ミュージアム─」
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/shokubunka/
だ。廣瀬氏とは、京大に戻ったときに、専攻は違ったけれども、何年か文学部で一緒になった。荻窪で飲んでたら、廣瀬氏のご母堂のお友達が隣にいて、いきなりご母堂と電話で話をさせられたことがある。廣瀬氏のすごいところは、荻窪から、目白台の筑波大学付属高等盲学校まで、一人で通っていた点からも伺える。荻窪から電車一本では護国寺には行けない。朝の通勤通学ラッシュ時に、一人で電車に乗り、高校に通った。京大でも、よく一人で大学に通っているのを見かけた。最近、拙blogに時々登場するT助手と廣瀬氏は、国史の同期先輩後輩(T助手の方が下)である。
廣瀬氏を教員として受け入れるに当たって、民博では、いろいろ初めて経験することがあったと聞く。そりゃ、これまで視覚障碍のある教員はいなかったのだから、戸惑うこともあっただろう。もっとも、民博には、他にも障碍をおもちの教員はおいでだし、そもそもがフィールドワークを基本とする集団だから、受け入れには、問題はなかったそうだ。廣瀬氏は、非常に優秀な研究者である。
廣瀬氏の企画展は、力のこもったもので、白杖をもった参観者が、今のシステムが出来る前の点字や、文字を浮き出させるシステム、盲人用算盤などを、実際に触って確かめていた。驚いたのは、明治期に作られた
 金属製の京都の地図
で、その高価なこともさることながら、そうした地図が作られ、販売されるような
 教育のある盲人社会の土壌
が、明治初期にはまだあったのだ、というのを実感した。

廣瀬氏が働いている職場なので、わたしがうろうろして困っていても、みなさん、声を掛けて助けてくださった。これも、廣瀬氏の人徳の御陰であると感謝している。

企画展の後は、インドのヒンドゥー教と仏教の展示を見て、必要なところを撮影、その後、図書室に行った。
民博の図書は、誰でも利用できる。(要身分証)
http://www.minpaku.ac.jp/library/userguide/how.html
民博には、永ノ尾さんや、立川さんが集めた印度学の書籍がある筈なので、それを目当てに行った。もっとも、系統的に集めたわけではないので、同じシリーズでも抜けている物がある。
民博は、書庫に入れてくれるので、本探しが楽なのだが、それでも初めて行く書庫の配列は、わかりにくい。リグヴェーダの文献を探していたのだが、書目による分類ではなく、同じ出版社のシリーズを一つにまとめているので、あちこちに散らばっていて、とうとうBloomfieldのものが見つけ出せなかった。ひょっとしたら、なかったのかも知れないけど。
そもそもが、わたしの覚えてるのは、京大の研究室と今は亡き哲閲の印哲・梵文・仏教学の配列だから、今となっては、まったく役に立たない。ちなみに、探していたのは、四階の研究室の宗教学研究室側の壁の、窓から三番目の本棚のたしか下から四段目の棚の右から七番目くらいにあった本、とかいう、碌でもない覚え方である。(そのあたりにリグヴェーダやアタルヴァヴェーダの祭式関連文献が幾つも並んでいた)
印度学の本棚は、整理の仕方によって、使い勝手が全く変わってしまうのだが、今日は時間が足りず、どこに何があるかを、きちんと見極められなかった。縱になってる背表紙から、横書きのデバナガリを読み取るのは、かなり面倒なのだが、同じシリーズの分類番号が全部一緒なので、結局、きちんと検索してからピンポイントで探しに行かなくてはいけないのがちょっと辛い。あいまい検索で、背表紙をみながら本を抜き取る、というやり方が通用しないのだ。Pali Text Societyのテクストが手前にあったりして、分類の根本思想がわかりにくかった。
家のどこかに沈んでいるはずの、Winternitzのテクストをもう一度コピーして帰ってきた。今更Winternitzでもないのかもしれないけど、基本的な事実関係が、それほどドラスティックに動いてるとも思えなかったので。今年度は、古いバージョンでやってみて、来年度以降、徐々にバージョンアップしていくつもりだ。St

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