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2006-09-23

北朝鮮・高麗航空の謎

それは中国での調査初日の9/6、大連に着いたときから起きた。駐機している飛行機の尾翼マークを見て
 高麗(コリョ)航空や!
叫んだのは、先日
 廢鐵メンバー
と名指ししたのと同一人物である。廢鐵メンバー氏は、鐵であるだけでなく
 薄めの飛行機オタク
でもある。薄めというのは
 啓徳空港が廃止になる前に、香港へ行き、折しも九龍塞が壊されたためによく見える、「魔の香港カーブ」を描く機影をバシバシ撮影してきた
程度の薄さだ。これが薄めになるのは、たまたまわたしの周囲にいる
 飛行機オタク
の方々からすると、この程度の行為は
 ごくごく普通の範囲
に見えるくらいの濃さだからに他ならない。一度、廢鐵メンバー氏を、わたしの偉大な友人にして、飛行機関連の仕事に就いている技術者であるたあちゃんと対決させて、果たして、たあちゃんの
 暑苦しい飛行機話
に彼がついていけるか、見極めたいところだが、さすがに本人が嫌がるだろうな〜。たあちゃんは、たぶんいつでも喜んで、飛行機への情熱を暑苦しく語ってくれると思うのだが。
文系飛行機オタクには乗り越えられない壁がある。飛行機には
 航空工学に根ざした設計の美学
があるからだ。なぜ、この設計を選んだか。審美的理由のみにしか目のいかない文系では、解析しえない、機体の美しさを語るのは設計図であり、その設計を支えた思想である。そのあたりを語らせると、たあちゃんの弁舌は留まるところを知らない。
わたしも、トム・クランシーの小説を読んだ数年前、自らの知識が足りずに装備の名前と実物が一致しないのに嫌気が差し、ジェーン年鑑を何冊か買いそろえたが、こうした行為はわたしの友人達においては、ごくごく普通の行動である。
 もっとも確かな典拠に従え
というのは、どんな調べ物においても、鉄則だ。

さて、高麗航空は、次に向かった
 瀋陽
にも飛んでいた。
瀋陽で中国に入り、早速最初の
 兌換
をしようと瀋陽空港の中国銀行に行くと、さすが中国、
 絶対に外貨兌換窓口が複数必要なのに、全部の機能別窓口を一つずつ開設
してるのである。てか、空港でそんな業務があるのか、という窓口もなぜか設置されていて、中の行員は暇そうにしている。折しも、海外から瀋陽に降り立った客達が溢れてるのだが、一つの窓口だけが、のんびりと外貨兌換業務をこなしているのである。ともかくも列が進まない。
やっとわたしたち一行の番になり、廢鐵メンバー氏が最初に兌換、わたしが換銭しようとしてると、隣の
 貯蓄窓口
に、白いブラウスに赤いアクリルのタイトスカートをはいた二人の美人がやってきた。
 高麗航空の客室乗務員
である。廢鐵メンバー氏は、めざとく襟元をチェック
 金日成バッチつけてる!
と教えてくれた。兌換さえしてなかったら、わたしも確認したかったのだが。
高麗航空の二人のおねえさんは、どうやら
 中国銀行に預けてあるお金を引き出しにきた
ようだった。結局、朝鮮語のできるヒトが通訳に入ったが、首尾良くコトは運ばなかったように記憶している。体にあってないタイトスカートが
 北朝鮮の縫製技術
を物語っているのであった。もう少し、ちゃんと作ればいいのにな。

もう一度
 高麗航空の機体
を見かけたのは
 帰りの北京空港
でのことだった。もし、わたしたちの到着がもう少し早ければ
 絶対に、高麗航空の搭乗ゲートに行って、どんな乗客が待ってるかを確認したかった
のだが、残念ながら、時間が足りなかった。
 あれはなに?
と廢鐵メンバー氏に尋ねると、即座に
 イリューシン!
と答えてくれた。イリューシン飛ばしてますか。整備をちゃんとしてますか? 恐いぞ。

残念ながら、今回は
 どんな乗客が高麗航空を利用しているかの実態調査
は、できなかったのである。次回に期待したい(ってあるのか、次回)。

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コメント

私も遭遇したことがあります。
あれは94年の年末でした。家族でプラハに行ったのですが、空港のウィングから遠く離れたところにぽつんとマークのない航空機が止まっていました。飛行機から降りてビル内を歩いていると、朝鮮語を話す一団が。バッチもつけていて明らかに「あちら」の方でした。それを見て、あぁあれが有名な高麗航空か、とわかったのでした(ベルリンとかにも就航しているのは知っていたのですが、見たことがなかったので)。
びっくりしたのは、宿泊先のホテルです。ちょっと奮発していいホテルに泊まったのですが、何と「あちら」のご一行も同宿でした。更にびっくりしたのは、5歳くらいの女の子を女官のような人が何人かでお世話していたことです。きっと位の高い方のご令嬢なんだろうな、それにしては○タリロみたいだ、と思ったものでした。
と言うわけで、超古い話題ですが、乗客の実態でした。
(ちなみに、プラハへはブダペストから入ったので、チェコ航空に乗りました。イリューシンではなかったと記憶していますが、overhead storageは観光バスみたいな網棚状態だったのと、着陸の衝撃で座っていない座席が「ぱたぱた」と倒れたのが今でも忘れられません。10人ほどしかお客はいませんでしたが、みんな着陸後に拍手をして無事を祝いました。)

投稿: oba | 2006-09-24 18:47

obaさん、貴重な目撃談をありがとうございます。
チェコに行くような人達だと、もの凄い特権階級なのでしょうね。

投稿: iori3 | 2006-09-24 20:02

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