未熟児網膜症による失明を防げ 新手術で8割防げる しかし失敗する2割が訴訟に持ち込むならば、普及には暗雲
低体重で生まれる新生児が増えている。低体重で生まれるということは
保育器に入れられる
ということで、
未熟児網膜症になる危険性が高まる
ということだ。最近は、未熟児網膜症で失明する赤ちゃんは昔より減ったと聞いていたが、それでも
年間300人の赤ちゃんが、未熟児網膜症によって失明している
ことを知って、ショックを受けた。本来なら健常な視力で過ごせるはずが、低体重で生まれたために、視力を失ってしまうのである。命と視力を天秤に掛ければ、命の方が重い。生命維持に重点を置けば、視力は二の次になる。
親の方は、
保育器で懸命に生き延びようとする赤ちゃん
を、保育器の外で待たなければならない。保育器育ちは、生まれた直後からの親との接触が普通の体重で生まれた子どもより厳しく制限されるために、子どもに対する愛情や親しみが生じにくくなる欠点があるとも言われている。
病院に子どもを取り上げられた疎外感
がつきまとうとも言われる。
そんな
分離されて育った我が子が失明している
と知ったら、親はどういう態度に出るのだろうか。果たして、失明した我が子を受け入れられるのだろうか。
その中には、不妊治療の末、多胎妊娠で生まれた子どももいるだろう。やっと授かった我が子の目が見えないと知ったとき、
赤ちゃんはすばらしいもの
という希望にすがって、苦しい不妊治療を続けてきた両親は、子どもに対応できるのだろうか。
毎年300人の赤ちゃんが失明しているということは
最大で300家族が新たに視覚障碍児を家族に迎えた
ことになるのだ。
さて、そんな「命と視力を天秤に掛けると命が重いために起こる視覚障碍」に、一つの光が与えられそうだ。
NHKニュースより。
未熟児網膜症 失明防ぐ新手術失明のおそれが強い重症型の未熟児網膜症の赤ちゃんに対し、初期の段階で手術を行うと、8割の赤ちゃんで日常生活に支障のない視力が得られるという研究結果を、国立成育医療センターのグループがまとめました。
未熟児網膜症は、未熟児で生まれた赤ちゃんに起きる病気で、目の奥にある網膜で血管が異常に成長することによって網膜がはく離していき、視力が失われます。およそ5%が1週間で症状が急激に進み失明のおそれが強い重症型で、毎年およそ300人が失明しているとみられています。東京・世田谷区の国立成育医療センターのグループは、この重症型の未熟児網膜症の赤ちゃんに対し、まず、血管の異常な成長を止めるためにレーザーによる治療を行ったうえで、網膜はく離が起こり始めた初期の段階に手術で目の組織の一部を取り除くという治療に取り組みました。手術を行った14人の赤ちゃんの21の目のうち81%にあたる17の目ではく離した網膜が元に戻るなどして、眼鏡の必要はあるものの日常生活に支障のない視力が得られたということです。国立成育医療センターの東範行医長は「早めに手術をすることで、ほぼ正常に近い視力が期待でき、多くの患者が普通の学校に行けるようになる。この手術をできるだけ広めて、失明する患者を減らしていきたい」と話しています。
11月20日 5時18分
低体重の新生児に行う眼科手術だから、全国どこでも受けられるわけではないだろう。NICUがあり、小児眼科のスペシャリストがいる病院でないと、施術は難しい。今のところ、東京の国立成育医療センターでは、受けられるだろうが、これが全国に普及するには時間も掛かるし、それ以上に眼科医が足りないだろう。
300人のうち8割が助かる
のではなく、
東京の国立成育医療センターで生まれた重症未熟児網膜症の赤ちゃんの手術を受けた「眼球」の8割
が、今のところ視力を生活に支障がない程度に回復しているのである。14人の赤ちゃんで21の眼球というと
手術した14人の内、両眼とも重症未熟児網膜症の赤ちゃんが半数の7人いた
ということだな。ここでは
眼球に対する手術成功割合
しか出てこないのだが、知りたいのは
果たして、何人の赤ちゃんが「生活に支障のない程度の視力」になったのか
ということだ。
しかし、国立成育医療センターの考える生活に支障のない程度っていうのは、そんなにいい視力じゃないんじゃないかな。視覚障碍6級相当くらいじゃないか、と思ってるんだけど、どうなんだろう?
もう一つの懸念は
手術しても救えない20%の重症未熟児網膜症の赤ちゃん
のことだ。上記記事では
手術して救えた赤ちゃんの人数
には触れられてないから、この20%よりも多い数の赤ちゃんが、失明したままかも知れないし、片目だけでも視力を得た赤ちゃんが80%以上いるのかも知れない。しかし、両眼とも思ったような視力が得られない場合、恐らく
医療過誤訴訟
に持ち込まれる危険が高いと思う。
手術が適切に行われず、子どもが失明した
という民事訴訟が起こされるのではないか。もし、一件でもそうした訴訟が起きれば
成功率80%の低体重児への難しい眼科手術
を積極的に行う医療機関はなくなるだろう。わたしが低体重児の親だったら
見えなくなるよりは、80%に賭けてみる
けれども、
他の子が見えるようになって、ウチの子は失明した
事実を受け入れられない家族は必ず存在する。先にも書いた、たとえば
長期間の不妊治療を経て、多胎妊娠、低体重児を出産した家族
などだと、障碍児が産まれたという事実を受け入れるのは難しいのではないか。ましてやそれが
産後の保育器での管理
に起因するものであれば、訴訟に踏み切る両親がいることは想像に難くない。
先端医療は、成功率が高いとは言えない。新生児の生涯の生活の質に関わる手術だけに、是非普及して欲しいとは思うのだが、失敗を考えると、非常に難しい。
もし、家族が、手術の予後の全責任を医師に全面的に負わせるのであれば、残念ながら、やらない方がよい手術なのだ。そして、この手術を担当できる眼科医は恐らく全国でもそんなにいないだろう。「この子の目が見えるようにしてあげたい」という技術の確かな医師の善意が、訴訟で潰されるくらいなら、その先生には、その技術を他の多くの患者さんに生かしていただきたいと思うからだ。いまの新生児にまつわる医療訴訟を見ていると、極めて辛い選択だが、そうならざるを得ない。
続き。
技術を持つ医師は無尽蔵に存在するわけではない。非常に限られた優れた人材が、こうした先端医療に当たるわけだが、その医師が訴訟に直面した場合、多くは訴訟に疲弊して
現場を立ち去る
ことになる。つまり
せっかく磨いた腕を、社会に還元するよりは、訴訟など起きない「安全な分野」へ移る
わけだ。今の
未熟児網膜症の手術担当医
であれば、
一般の眼科開業
に移るだろう。未熟児網膜症の赤ちゃんを手術できるなら、成人の眼科手術はこなせるだろう。
現在の医療訴訟は、マスコミの論調や、判決では、一見
腕の悪い医師を告発
しているように見えるのだが、
医療の専門家から見ると、極めて稀で不幸な事例に対する適切な処置であったものを、裁判所が認めない例
が多くなっている。裁判所には
医療の専門家がいない
のに
専門的な知識が必要な事例を判断している
からである。医学的には全くの誤りと思われる判決も出るに至り、現場の医師の
訴訟を起こされたら逃散
という絶望感は深い。結局、
腕のいい医師が無尽蔵にいる
という前提で、医療訴訟が起き、判決が出ている状態で
腕はいいが、小さい可能性に賭けて、よい成果を得られなかった医師は、訴訟によって、最前線から立ち去る
ことになる。つまりは
僅かな優れた人材を食いつぶしているのが、現在の医療訴訟の暗黒面
で、実際に自分が訴訟を起こされなくても、訴訟となった同じ領域や周辺領域を担当する医師は、危険を察知して、現場からいなくなるのだ。
とりわけ、新生児の場合は、億単位の請求になる場合もある。とすれば、まだ普及してない「80%の成功率の重症未熟児網膜症手術」を果たして採用する他の医療機関が出るのか、そのあたりは
医療訴訟による現場の荒廃
と合わせて考えないといけないと思う。
ちなみに、わたしの高校の同期はギネス級といわれるくらい医療従事者の割合が高いのだが、最近MLで北海道の医師の悲惨な勤務状況や医局の人材確保の難しさが伝えられている。
月の時間外労働200時間以上
で、同期生は身体をこわし、その病院を辞め、1カ月入院するに至った。彼の親友は一人医長の多忙のために、死を選んだという。過労死である。
MLでのやりとりを見るにつけ、医療崩壊は確実に進んでいる。
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コメント
この件に関しては、手術を受けなければ失明してしまうわけで、摘出しないと絶対に死ぬ癌の手術と同じですから、手術が成功しなくても訴える親はまずいないんじゃないですか?
手術前に「不成功率20%」ということを病院側が十分に説明して親も同意してれば、不成功時の心構えも出来てるでしょうから。
妊婦の死亡とはハナシがかなり異なると思いますが。
投稿: SSMM | 2006-11-20 15:12
SSMMさん、コメントありがとうございます。
予後の問題は大きいと思います。不成功の場合、出てくるのは
事前の説明が不十分だった
という話じゃないかと心配しています。
わたし自身、幼児期に受けた眼科の手術が失敗して弱視なのですが、その時代であれば親は決して医療訴訟など考えませんでした。
現代はまさに少子化。やっと授かった我が子が手術をしても見えない、その場合、やはり「医療過誤があったのではないか」と思う家族がいても不思議はないと思います。目が見えるのと見えないのでは、人生設計が全く変わってしまいます。視覚障碍のある子どもが普通の人生を送るためには、いろいろなハードルがあります。ましてや、全盲やそれに近い低視力であれば、見えてさえいれば簡単にできることが、本人の努力と家族の支援がないと無理、ということになります。
訴訟は術後すぐ起こす訳じゃありません。たとえば、
低体重児で生まれたときの管理が悪かったから
と学齢になってから訴訟が起きることもあると聞いています。術後すぐは「しょうがない」と納得したように見えても、重い視覚障碍の子どもを育てる過程で、やはり「受け入れられない」と変わることも考えられます。
成人の「成功率80%の手術」でも訴訟になる時代、未来ある子どもの「成功率80%の手術」は、難しい要因をはらんでいるとわたしは考えています。
投稿: iori3 | 2006-11-20 15:26
ご返答ありがとうございます。
確かにおっしゃるような危惧もありますね。
これからも有意義なエントリを楽しみにしています。
投稿: SSMM | 2006-11-21 13:04
医療事故訴訟が多いから医療崩壊が進んでいると言うだけでは問題の根本的な解決にはならないと思います。
それは、今のところ、刑事訴訟も民事訴訟も被害者(患者)の「どうしてこんなことになった?」「二度とこのようなことが起きて欲しくない」という考えが発端となっていて、このような疑問や願いを解決しうる手段になっているからです。
たとえば、現在議論されているのは、刑事訴追とは切り離した医療事故調査を行う機関を作る、というものです(刑事訴追と切り離すとは、医療事故調査機関が収集した事故に関する資料を、刑事訴訟において証拠としないという意味)。
また、某大学付属病院においては、医療事故が起きた際に、医療事故カンファレンスを行って、事故の顛末を患者の家族に報告し、再発防止策をとるという試みもなされています。これを受けて家族側も提訴することなく、問題の解決が図られたそうです。
もちろん、医療の素人である法律家は、医療事故に関して適切な判断を下せないという批判は至極真っ当であると思います(したがって、個人的には、医療事故などに関しては、原則的に医療界の方が主体となって事故調査を行い、法律家の役割はごく限られたものになることが望ましいのではないかと考えています)。
しかし、だからといって、これまでの医療事故が起きた際の医療側の対応が適切だったかというと、これにも疑問があります。
医プロフェッションのありかたとして、医療事故に関してどういう解決法があるかということをもっと議論してもいいように思います。
ま、もちろん法律家だけじゃなく厚労省も悪いんですけどね。
医療事故訴訟だけが悪いような言い方をなさられると、法律家のはしくれとしては一言言いたくなるのです。お許しください。
投稿: いのっく | 2006-11-21 15:37