尾崎雄二郎先生ご逝去
尾崎雄二郎先生が亡くなられた。先ほど、一週間ほど前に亡くなったと、人文研経由で知ったばかりだ。あまりに急な知らせで、動揺している。
敬愛する恩師である。わたしのような出来の悪い学生にも、細かなお気遣いをいただいた。学者として一番脂の乗り切った時期に目を患われて、辛い思いをなさったからだろう、視力の弱いわたしの勉学に、気をもんでおられた。
尾崎先生、こんなに早くお別れするとは、考えてもおりませんでした。どうか、この出来の悪い受業生を時には、夢に訪れて、叱ってください。思い浮かぶのは、先生のある時は慈愛に満ちた、ある時はいたずらっぽい、あの笑顔だけです。
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コメント
このページが、2007年1月13日の時点で、尾崎先生の仙逝にふれた唯一のものです……。
投稿: 如棋居士 | 2007-01-13 19:02
たまたま父の名前で検索してみたら、あなたのブログの記事に出会いました。
悲しんでくださる方がおられるとは思っておりませんでしたので、大変驚いております。
父のことをほめていただき、恐縮しております。どうもありがとうございました。
実は、私も脳性まひの障害者なんです。
お互い障害は違いますが頑張って生きていきましょう。
投稿: wqxrl | 2009-03-05 13:52
お世話様です。貴殿のお父上の従兄弟になる新潟の六日町の覺です。偶々、雄二郎さんの同亜文書院に興味があり検索していて、見つけました。私の父が清水の叔母の弟にあたり、一番中の良い親戚だったと記憶してました。父の所によく遊びに来られ、父の葬儀の時も初めから終りまで付き合って頂き大変感謝してます。会話の中で、漢詩が次々と出てきたのを、尊敬の気持ちで聴いていたのを、懐かしく思い出します。毎年、何回か京都に行きますので、一度はお会いしましょう。元気にいてください。私も64歳です。会社の経営と顧問を何社か頼まれてやっています。
投稿: 高橋 覺 | 2015-09-28 10:12
はじめまして。私の母が尾崎雄二郎さんと従兄妹でして、雄二郎さんのお名前を検索してこちらのブログにたどりつき、しかも、コメント欄で母の親戚の方々のお名前にも触れ不思議な感じがしております。
母は雄二郎さんと同い年で、17年前に他界しているのですが、雄二郎さんは命日が12月8日でいらしたのですね。
雄二郎さんのお名前は母が生前、よく口にしておりました。母の兄弟と話題にしているときも、いつも笑顔でした。自慢の従兄だったのだと思います。高橋和巳の小説のモデルになっていると聞いたこともあります。
コメント欄にありました高橋様のお宅に、小学生の頃、遊びに参りました。覚様のお姉さまに絵を描いて頂きました。こんなところで、清水のおばさんのお名前まで出てきてビックリしております。如棋居士様にはちんぷんかんぷんでしょうけど。
長々と失礼しました。母がこの記事を読んだら、どんなに喜んだことでしょう。
投稿: 長門屋の娘の娘 | 2015-12-09 23:37