考古学的事実と文献史学の間
最近、論文を書くために、先行論文に目を通している。一つ、大変すばらしい論文があって、唸った。論旨もはっきりしているし、展開もうなずける。これはいいや、と思って、さらに先行する論文を読んだら、先の論文とはまったく違う話になっている。
先に読んだ方は、文献史学の立場で書かれたものだった。同時代の文献を集めて、ある事象の変遷をたどっている。
後に読んだ方は、考古学の立場で書かれたものだ。先に読んだ論文が扱っている事象を、発掘調査の結果に基づいて、時代順に組み立てている。この論文はたいそう古いのだが、研究所の紀要論文なので、ひょっとすると後から書かれた文献史学の論文の筆者は、目を通してないのかもしれない、と思った。文献史学の立場で書かれたすごくよくできた論文なのだが、考古学的事実と齟齬する部分があるのは困るのだ。
考古学にしても、文献学にしても
残っているのはごく一部
ということを常に念頭に置かねばならない。ある時代のある事象が文献と遺跡や遺物の双方に見つかるというのは実は幸運な例外で、文献には見えるがその後どうなったかわからないものもあれば、発掘して出てきたけれども、文献になんの明証のない遺跡や遺物もある。
現代は、
文献史学と考古学が、割合に合致することがある
時代だ。文献史学ではこうだけど、考古学ではこう、といった両分野の齟齬が、少しずつ埋まっているところも出てきている。
しかし、不幸にして
文献史学のヒトは現場に足を運ばないし、発掘報告書も読まない
考古学のヒトは、文献を読むのが苦手
で、両者はなかなか歩み寄らなかったりするのだ。
その点、中国の歴史時代を掘っている考古学者はすごい。「考古」や「文物」などの雑誌をに掲載された論文を読むと、よくこんな記述を正史から見つけ出すものだ、と慨嘆することがたびたびある。考古だから文献が読めなくていい、などという甘えはないし、文献史学の成果も、きちんと考古学的論文に盛り込んでいく。中国の考古学者では、日本のように実際に現場を掘ることは少なく、発掘の指示だけして、現場は現場担当のプロに任せるので、考える時間がたくさんある、という違いもあるだろう。しかし、基本的に
大学で読むべき史料が膨大にある
わけで、それを消化しつつ、自分の得意な時代を遺物や遺跡と文献の双方から読み込んでいくという姿勢が、最初からあるように思う。歴史記述に対する敬意と文献を博捜する能力は、大学でかなりびっちり仕込まれているのだろう。
もっとも、最近は
なんでも電子化されている
ので、
文献が読めない考古学者も多数いる
とは聞いているが、それでも、あの文献を渉猟する力は、日本人のとうてい及ぶところではない。眼力が違うのだ。
日本の歴史研究があのレベルにいくのはいつのことか。
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コメント
>なんでも電子化されているので、文献が読めない考古学者も多数いる
この部分の意味が全く分かりません。
詳しいエントリを御願いします。
>日本人のとうてい及ぶところではない。眼力が違うのだ。
ここの所も腑に落ちません。
前記事項と併せて詳しく説明してください。
投稿: ssmm | 2006-12-13 22:29
ssmmさん、ご質問を頂きましたが、ssmmさんのバックグランドがわかりませんので、分かっていただけるように説明するのが難しいかも知れません。
最初のご質問ですが、現在『四庫全書』が簡単に全文検索できるようになるなど、これまで索引と経験で探していた「文字列」がオンラインで探せるようになりました。こうなると前後を読まないので、読解能力が低下します。しかし、文字列さえあっていれば、該当箇所らしきものは発見できることにはなります。
二つめのご質問ですが、たとえば漢〜唐の墓の発掘報告論文などがそれに当たります。同時代の文献を博捜して、壁画に描かれた服制と被葬者から、当時の礼制について言及するなどは、結構当たり前にやってます。それも礼制の専論ではなく、発掘概報で軽く触れられたりするわけで、こうしたセンスはなかなか一朝一夕には身につきません。正史はもちろんのこと、『文選』やその他の同時代の文献をよく知ってないとできない記述を見かけます。
投稿: iori3 | 2006-12-13 23:37
興味深く読みました。
関連記事を書いたので、私のブログからもリンクさせていただきました。ご報告いたします。
http://takef.cocolog-nifty.com/ftrain/2007/10/post_5d3a.html
投稿: ftrain | 2007-10-06 20:11