昨年12/2に共同通信が配信した「孝昭天皇陵から5世紀の埴輪片」を、2ヶ月以上経過してから、新たな記事として毎日新聞奈良支局が取り上げる不思議
穴埋め記事にしても、おかしな話だ。
先ほど、毎日新聞奈良支局の大森記者が書いた記事が、webにアップされていた。
読むと、一瞬2ヶ月タイムスリップしたのかと思った。
孝昭天皇陵:古墳か 5世紀代の円筒埴輪片2点発見−−御所 /奈良◇葛城の豪族集団再考も−−1935年に確認、宮内庁が公開
孝昭天皇陵(御所市)で5世紀代とみられる円筒埴輪(はにわ)片2点が見つかっていたことが分かり、宮内庁書陵部は研究者らに公開した。自然丘陵とみられていたが、宮内庁書陵部は「古墳の可能性が高まった」としている。
日本書紀によると、孝昭天皇は紀元前506年生まれ。同475年に第5代天皇として即位し、同393年に114歳で死亡したとされる。書紀に詳しい功績はなく、学会では実在が疑問視されている。宮内庁が指定した孝昭天皇陵は最大径約90メートルの円形丘陵。発見された埴輪片は日本書紀による在位時期とは合わないが、その一方で、5世紀代の豪族が拠点とした奈良盆地南部・葛城地域にある古墳群の再検討を迫る内容という。
埴輪片は1935年、当時の宮内省職員が発見。出土状況は不明だが、書陵部が研究者向け展示会のため調査した際、倉庫で見つけたという。大小二つあり、一方は約18センチで円形の透かし穴があり、もう一方は約10センチ。
埴輪片を見学した県立橿原考古学研究所の今尾文昭・総括研究員は「形状から埴輪片は5世紀代だろう。孝昭天皇陵が5世紀の古墳なら、御所市の宮山古墳(238メートル)など、葛城地域の他の古墳との関連の再検討が必要で、葛城地域に当時いた豪族集団の構成を考える上で重要。詳しい現地調査などを宮内庁に求めたい」と話している。【大森顕浩】
毎日新聞 2007年2月6日
ところが、この話題自体は
昨年12月2日に共同通信が配信した記事とほぼ同一
なのである。12月2日に記事が配信された理由は
12月2日までに宮内庁が孝昭天皇陵から出土したとされる円筒埴輪を一部の研究者に公開
したからだ。上記大森記者の記事では
いつ宮内庁が公開したかは明記されてない
のである。
産経新聞2006年12月2日付記事より。
奈良・孝昭天皇陵で5世紀埴輪片 古墳か山か?論争続く
奈良県御所市の孝昭天皇陵で見つかっていた5世紀代とみられる円筒埴輪の破片(宮内庁提供)
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/061202/bnk061202000-1.jpg古墳か、自然の山か、論争が続いている奈良県御所市の孝昭天皇陵で5世紀代とみられる円筒埴輪(はにわ)の破片2点が見つかっていたことが分かり、同天皇陵を管理している宮内庁が2日までに、考古学研究者らに公開した。
孝昭天皇は紀元前に即位したとされるが、学界では伝説上の人物との見方が強い。宮内庁書陵部は「孝昭天皇陵は古墳だった可能性が高まった」と話しているが、孝昭天皇と埴輪の年代は500年以上離れており、今後論議を呼びそうだ。
埴輪片は、大きい方が縦約18センチ。円形の透かし穴があり、形などから古墳時代中期の5世紀とみられる。大正10(1921)年に宮内省(現宮内庁)職員が発見、書陵部が所蔵していたが、これまで未公開だった。詳しい出土状況は不明。
日本書紀によると、孝昭天皇は第5代天皇として83年間在位。113歳で亡くなったとされるが、研究者の間では第9代天皇までは実在が疑問視されている。
埴輪片を見た奈良県立橿原考古学研究所の今尾文昭総括研究員は「時代は5世紀代だろう。拾われた時期が古く、本当にここで見つかったかどうかも疑問だ。仮に古墳だとすれば、奈良盆地南西部の首長墓の見直しが必要になる」と話している。
(2006/12/02 21:58)
この記事は、共同通信のクレジット付きで、同じく昨年12月2日付京都新聞にも掲載されている。
Kyoto Shimbun 2006年12月2日(土) 孝昭天皇陵で5世紀の埴輪片 古墳か山か、論争続く古墳か自然の山か論争が続いている奈良県御所市の孝昭天皇陵で5世紀代とみられる円筒埴輪の破片2点が見つかっていたことが分かり、同天皇陵を管理している宮内庁が2日までに、考古学研究者らに公開した。
孝昭天皇は紀元前に即位したとされるが、学界では伝説上の人物との見方が強い。宮内庁書陵部は「孝昭天皇陵は古墳だった可能性が高まった」と話しているが、孝昭天皇と埴輪の年代は500年以上離れており、今後論議を呼びそうだ。
埴輪片は、大きい方が縦約18センチ。円形の透かし穴があり、形などから古墳時代中期の5世紀とみられる。1921年に宮内省(現宮内庁)職員が発見、書陵部が所蔵していたが、これまで未公開だった。詳しい出土状況は不明。
日本書紀によると、孝昭天皇は第5代天皇として83年間在位。113歳で亡くなったとされるが、研究者の間では第9代天皇までは実在が疑問視されている。
埴輪片を見た奈良県立橿原考古学研究所の今尾文昭総括研究員は「時代は5世紀代だろう。拾われた時期が古く、本当にここで見つかったかどうかも疑問だ。仮に古墳だとすれば、奈良盆地南西部の首長墓の見直しが必要になる」と話している。(共同通信)
なんだかよくわかんないな〜、大森記者。
1. 12/2に共同通信が配信した記事内容とほとんど変わらないものを2ヶ月遅れて奈良版に出す理由は何?
2. 共同配信では、埴輪の写真も配信されてるのに、「埴輪の形状を記事内で描写」して、一目瞭然なモノについて、わかりにくくする理由は何?
ひょっとして
12/2はスルーした内容でも、2ヶ月経ってほとぼりが冷めたから、まるで新たな事実が出てきたように報道してもOK
なんですか、毎日新聞。
考古記事って、所詮は埋め草だから、2ヶ月経とうが、共同の記事をパクった中身でもOK
なんですか?
すごいな〜。それとも
共同が配信した中身でも、「独自に取材」したからOK
なのか?なんか読んでもあんまり共同との違いがわからないんですが。
一番、善意に解釈すると
2/6にアップされた記事は、実は2ヶ月前の記事を誤ってアップしたもの
ってことになるけどねえ。
もし、これが「新規の記事」なら、今頃、しれっとして記事にする神経が謎。単なる共同のパクリなら話になりませんがね。
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