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2007-02-11

飛鳥京跡第157 次(橿考研)・甘樫丘東麓遺跡(奈文研)現説@2/11 12:00-16:00 明日香村

飛鳥京第157<br />
 次・甘樫丘東麓遺
写真は甘樫丘東麓遺跡の第3期層から出てきた滑石製の子持ち勾玉と漆布。工房があったと見られる。

続き。以下の写真はクリックすると拡大します。
いつもながらのことなのだが、飛鳥の現説は人出が半端ではない。
第一回目の現説に間に合うように、大勢の人が押しかけるのが通例で、そのために現説開始時間が繰り上がったりするのもよくある。
最近は、取材チームに知り合いがいないので、早出はしない。今日は2時台の現説をめがけて出かけた。

橿原神宮駅東口から臨時バスが出ている。
今日は建国記念日で、橿原神宮は別な意味で大盛り上がりの筈。午後の東口は閑散としていた。雨が落ちてくる。
臨時バスは、甘樫丘東麓遺跡の現説を通り過ぎて、飛鳥のバス停に着く。見た感じ、えらく混んでいそうなので、先に飛鳥京跡第157次の方に回る。雨は強くなった。

それでも
 一杯のお運びで
という状況。
As1
遺跡の北側の遺構写真は、結局いい状態では撮れなかった。南側の石組遺構を撮ろうと思ったら、少し前の方にいかなくてはいけないので、今回は北側の撮影を諦める。順次、歩きながら出て行く形になるので、先の方に行ってしまうと戻れない。
見えている斜行溝は、飛鳥寺の方位の振れ幅と合致しているとか。飛鳥京跡の方は正方位で設計されているので、プランが違うのがはっきりわかる。ま、正方位は天武期らしいといえばその通りだ。

As2飛鳥京の北限か、と思われる東西方向の石組み溝。ただし、石組み溝の南側に塀が未だ検出されてない。
塀がない、ということは、宮は囲まれていたと考えられてるので、ちょっと変。まだ北限かどうかは確定しない、ってところか。

続いて、甘樫丘東麓遺跡に向かう。
谷の東半分を整地して、一段高く造成、その法面に石垣を組んでいる。
Am1
見た目、川原石かな?
この時期が
 蘇我氏の邸宅があった時期ではないか
と言われている訳。

その後、谷の残る西半分にも土を盛った。かなり土を入れ、石垣は完全に埋まる。
総柱建物が二棟あり、倉庫か高床の建物か謎。
こないだの大嘘Nスペ「大化の改新」ネタで
 武器庫か
とか言い切ってたのが、この総柱建物なんだけど、今のところ
 武器の痕跡はない
そうだ。ま、武器は一斉に移動しちゃうことがあるから、出てこないから武器庫ではないとはいえないけど、武器庫だったという証拠もやはりない。
Am2
写真はこの時期に作られた石敷きの様子。雛壇のように段差がもうけられていて、段差の部分には石を立てて貼ってあるのがよくわかる。

第3期が、工房跡と思われる遺構が出ている時期で、藤原宮期。
炉が四つ出てきていて、その内二つには送風口が残っている。何を加工していたかは不明。
漆を盛った土器や漆布なども出土している。
加工前の水晶や、子持ち勾玉も出てきているので、鉄工・玉作・塗師など多岐にわたる工房跡か?

甘樫丘まで行くと、雨は止んだ。ちょうど、雨を降らす黒雲がわずかな範囲にだけあった状態で、変な天気だった。傘の用意のない人はかなり濡れ、気の毒だった。

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