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2007-02-12

文科省は粗製濫造博士号という誹りをこれ以上広げるのか 図書館サービスの拡充なくして文系博士号の「増量」は暴挙

いかに日本の官僚が
 数でしかモノを見られないか
という好例。

朝日より。


文系の博士号、難しすぎ? 理系の3分の1以下
2007年02月12日09時18分

 博士号は文系の方が理系より難しい——。博士課程の修業年限内に学生が博士学位をどれだけ取得できたかを文部科学省が初めて調べたところ、文系の学生の取得率は理系の3分の1以下であることがわかった。博士号については「理高文低」と言われてきたが、それを裏づけた格好だ。文科省は「文系は低すぎる。対策を考えてほしい」と話している。

 調査は国公私立すべての大学院576校で、博士課程に在籍する学生を対象にした。05年度時点で、分野ごとに3〜5年となっている修業年限内に博士号を取った学生の数を調べた。

 対象となった学生1万8516人のうち取得者は7912人で、平均取得率は42.7%。分野別では、最も高かったのが医学・歯学などを含む保健の56.3%で、農学53.3%、工学52.8%、理学46.3%が続いた。

 これに対し、人文科学が7.1%、社会科学は15.2%と文系の両分野がワースト1、2位を占め、理系の3分の1以下の水準だった。

 大学が学生に博士号を与える条件は、「自立した研究ができる能力」があること。理系の各分野ではこうした考えが浸透しているが、文系の分野では約120年前の制度発足以来、「功成り名を遂げた人」に与える意識が根強く、理高文低の一因となっている。

 文科省は05年9月の中央教育審議会(文科相の諮問機関)の答申を受け、大学院教育について学問研究とともに人材育成面にも力点を置く方針を打ち出し、その一環で修業年限内の学位授与を促している。同省の担当者は、文系の現状について「ちょっと低すぎる」とし、「どの程度の授与率が適当か、各大学院で考えてほしい」と話している。

人文系でこれ以上
 博士号を増量
するのは、無理がある。というのは
 日本の大学図書館は貧弱なまま
だからだ。インターネットが発達したとはいえ
 電子化されてないテクスト
は大量に存在する。
人文系でも、フィールドに出たり、実験をしない
 文献に依拠する研究分野
では、いかに文献を読みこなし、自家薬籠中のものとするかが鍵だが
 24時間オープンしている図書館で、司書から常に最新の文献についてのアドバイスが受けられる
というシステムのある大学図書館は果たしていくつ存在するのか。

わたしは人文系のいわゆる「課程博」(論文博士は「論博」)で、大学院三年修了で学位を得た。蔵書の少ない大学院だったので、司書の方にお願いして、相互利用で大量の論文を複写していただいたり、現物を利用して論文を書いた。国立大学だったので、国立大蔵書に関しては、複写代はかからず、かなり恵まれた環境だったと思う。
しかし、同程度のサービスをしてくれる図書館の大学が果たしてどのくらいあるのだろう。また、相互利用の複写料金についても、わたしが利用したときは国立大学間は無料だったが、私大から国立大学もしくは私大と私大の間では料金が発生する。研究分野によっては、古文書のマイクロフィルムを焼いてもらったり、現物を見たりする必要もある。明治期の公文書が論文の資料だった同期生は、文献資料に研究費が相当かかっていた。(院生使用の文献については、年間一人25万円が認められていたが、それでも足りず、確か指導教官の研究費を回してもらっていたんじゃないかな)
少なくとも
 図書館サービスの充実なくして、修業年限内の博士論文合格はあり得ない
だろう。ちなみに、かなり図書館サービスが充実していても、文系の場合は、都合よく文献がそろうわけではないのは、理系で実験結果が仮説通りにそろわないのと同様である。わたしの在学した博士課程の同期5人のうち、3年で博論を書いたのは2人(残る1人は留学生)だけだった。あとは半年・1年延期で博士課程修了(いずれも国内生)、1人は論文を書かなかった。
ちなみに
 3年で論文を書いて学位を得る
というのは、学位授与の半年前には論文が完成していないといけないので
 論文作成に当てられるのは最長で実質2年半
ということになる。わたしの場合はD2でテーマ変更したので、1年半で書かざるを得なかった。理系の場合、実験がうまくいくと
 テーマ変更しても、1年で論文が書け、半年早く学位を得られる
こともあるが、文献中心の人文系だと同じことはなかなか難しい。

博士論文の
 大学間格差
というのは確実に存在する。現在、
 人文系で博士号を取っても、決してアカデミックポストへの就職は約束されない
状態であり、人文系の大学院の士気は相当落ちている。パーマネントの職位については、
 人文系は教員に欠員が出ても、後任不補充が続出
していて、
 1公募に200人前後が押し寄せる
ことは珍しくない。人文系で二人欠員が出て、やっと一人公募というようなのは、まだいい方だ。ポスト自体が消滅している場合もある。
任期制のポスドク(おおむね短期)はあっても、
 パーマネントの職位はかなり少なくなっている
のが現状で、
 助教授(新年度からは準教授)クラスは5年程度の任期制
を取っているところが増えている。要するに
 高額の借金(旧育英会からの奨学金)をして博士号を取っても、就ける職業が極めて限定され、場合によってはない
ので、
 目端の利く優秀な学生は大学院に進学しない
ことすら起きている。はっきり言って
 大学は構造不況業種
で、これから
 大学のつぶし合いが始まる
から、大学教員になったとしても、研究よりは、教育業務に多くの時間を割くことになる。
 学生募集のための高校回り
はもちろんのこと、
 オープンキャンパスの手伝い(大学によっては全国展開するので大変)や募集宣伝に関わる業務
は、教員の負担になっている。最近は、人文系では
 国立大学を定年退職した後の職場
も、減ってきていて、
 出講日数は少ない代わり、給与も低く抑えられる特任教授などの採用
が増えてるんじゃないかな。もし、
 常勤での採用
なら
 週五日以上の勤務
を求められる大学も少なくない。国立大学でのんびり暮らしていると
 二度目の職場は驚きの連続
だろうな〜。というわけで
 生涯賃金でも大して恵まれない大学教員
は、
 優秀な学生に取って、魅力的な職場とはいえない
のが現状だ。

もし、文科省のいう
 数を増やせ
というのが、
 量的な問題のみ
なのならば、
 文系の博士号の質は更に低下する
のは目に見えている。大学院教育の質を向上するような政策をとらず
 数しか見てない
のならば、それは
 亡国の施策
だ。誰が
 大学院修了時には数百万円の借金を背負い、しかも年齢が高くなってるので、普通の就職ができず、アカデミックポストが極端に足りない状況
に、進んで身を置くのだろうか。有望な若者であれば
 自分の能力を正当に認め、能力に見合う賃金を払ってくれる場所
に行くだろう。博士号を取れるのは通常でも27歳。海のものとも山のものともつかぬ状態に5年を費やすよりは、その前に稼いでおくことを考えるだろう。そうでなくても
 今の日本は人手不足
で、優秀な人材は、大学院に進まなくても、いろんな職場が用意されている。
 就職氷河期
の頃は、優秀な学生が大学院に流れてきたが、昨今の大学院進学は
 就職できないから、大学院に来る
などと揶揄されることすらあるのだ。極めて嘆かわしい状況なのだが、文科省は
 大学院生の質を真面目に検討したことはない
と思う。結局
 数でしか評価できない
のだろう。

これ以上、
 不幸な博士を増やしてどうしたいのか
文科省。
 学位に見合う職場がない
以上、人文系では
 博士課程進学者の数を減らす
方向に行かざるを得ないのだが、一方で
 大学院定員が増加している
という問題があり、定員枠を満たさないと、それはそれでまた文科省に文句を言われる。結局
 見た目の「数」重視で大学院の水準を下げ、優秀な学生に敬遠されて、更に院生の水準が下がる悪循環
が起こっていて、そうした状況で
 博士号をもっと授与しろ
というのは
 自ら日本の博士号の価値を下げたいと文科省が望んでいる
としか思えない。もし、本気で
 文系博士の質も量も充実したい
のであれば
 細く、長い経済的支援
が必要だ。たとえば
 COEで毎年一億単位を人文系にそそぐ
よりは
 毎年一千万円を十年間支給
する方が、文系の大学院教育のレベルはかなり上がるだろう。理系では
 資金の集中投入が成果を上げるスピードを速める
かもしれないが、文系では
 資金の長期投入が効果的
なのだ。文献を扱うのと、実験をするのでは、成果の出方の速度には大きな開きがある。
 総額が同じなら、文系には長期計画の資金投入
を望みたい。
 文系の人材育成は、樹木を育てるのと一緒
なのだ。
いったいに
 人材を育てるには時間がかかる
ということを、なぜ
 教育政策の中枢である文科省が理解しない
のか。目先の
 短期型大型資金投入
が、本当に文系大学院に効果があったかどうか、その辺は検証されているのか。文系COEで血税を費やして発行されている報告書の中には、
 なぜこんな論文が国民の税金を使って公刊されているのか、理解に苦しむレベルのもの
が少なからず見られる。有り体に言って
 大学生のレポートレベル
のものがあるのは確かだ。書いてるのは博士課程の院生の筈なのだが、指導教員がどういう指導をしたら、そんな信じられないレベルの論文が公刊されるのかという点についても理解に苦しむ。COE報告書は、発行部数が少なく、COEを取っている大学間では報告書の交換が行われているものの、COEにタッチしてないと実際に目にする機会は少ない。
 血税をそそいでいるにもかかわらず、COEの成果は一般国民にも、COEに関係してない大学教員の目にも触れにくい
ので、
 国民やCOE外部の大学教員の側からの検証
は行いにくい。現在は
 大学人の良心
に任せるしかない状態だ。
そうした
 検証なくして資金投入、あとは放置
という文科省の行政を許しておくと、文系の大学院教育は、真の成果を得られないだろう。回り回って
 世界の中での日本の学術的地位の低下
も避けられなくなるのだが、たぶん
 3年で部署移動する官僚諸兄姉
におかれましては
 自分が担当の時に「派手な予算を使う、事業の立ち上げ」と推進
の方が大事なのだろう。結局
 高等教育における教育亡国
に邁進してるのは
 大学院教育の本質を見誤っている文科省の教育行政
ということになる。
 

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