「マスコミたらい回し」とは? (その43) 毎日新聞の「紙面批評」で「大淀病院産婦死亡事例」報道の言い訳 責任は取らないつもりだし、呼んでるメンバーは3/4が65歳以上の「年金受給世代」
報道が医療を潰す。
「大淀病院産婦死亡事例」報道は、その初期から
奈良県南部の産科を崩壊させるだろう
と憂慮されてきたのだが、事実、その通りのことが起きた。4月から、奈良県南部唯一の産科があった大淀病院は産科の診療を休止している。
で、毎日新聞はその件について頬被りし
医師個人の責任を追及する気はなかった
などと、紙面批評の特集で言い抜けている。
この「マスコミたらい回し」シリーズで明らかになっている毎日新聞の「所行」は
・遺族感情に引きずられた感情的な筆致で、医師・病院叩きをした
・医学的知識に基づかない誤った報道の垂れ流し(極めてまれで不幸な症例を「医療ミス」と断じた)
・大淀病院の産科休止および奈良県のNICU増床がわずか10床に止まるという、「報道被害」しか残さず、他府県に妊産婦が流れることで、近畿圏の「お産難民」増加の引き金を引いた
ということである。しかも
・中心的な取材記者が「記者の目」(本社の「ご褒美」)で「自画自賛」
しており、話にならない。
・毎日新聞の「スクープ優先体質」が「奈良県南部の産科崩壊」を招いた
のは明らかだ。
今日付の毎日にこの「紙面批評」が載っているそうで、テキスト化してくださった先生がいる。
JE9WJebr0先生およびkY/7OXoz0先生、ありがとうございました。
引用しようと思ったら、毎日が全文をwebに掲載した。
最初に断っておくが、この手の
紙面批評
は
日本ではアリバイ的に行われている
のが実情である。こうした「座談会」に呼ばれた人たちにはギャラが発生する。誰が
結構な額の謝礼をもらえなくなるような発言をするだろうか
と考えたら、どういう展開になるかは分かりそうなものだ。結局は
紙面批評で社会参加の名誉(一応学識経験者や専門家として扱われたという勲章)、かつ結構な額のギャラ
という
二重にオイシイ仕事
であり、こうした場に呼ばれれば
毎日新聞で自分の仕事(作家なら著作)が紹介されて、宣伝してもらえる。毎日主催の講演会などのイベントでも「使ってもらえて」日銭が稼げる
というオマケもつく。したがって
誰も本当のことはいわず、「批判しているスタンスを示す」だけでOK
なのだ。
本当に毎日新聞を批判しようと思ったら
毎日新聞からは一切ギャラをもらわず、手弁当で、外部から発信する
しかないのだ。つまりは
御用学者や御用文化人が「公平を装って」紙面批評をしている
と考えるのが真実に近い。以下では
柳田邦男が比較的まとも
なのだが、医療記事に関する座談会なのに
一人も医療従事者が呼ばれてないどころか、理系の人が誰もいない
という
極めて偏った人選
であることも念頭に置いて、読んでいただきたい。普通は
報道によって不利益を被った側の人間も呼ぶ
のだが、毎日新聞は
自分たちの報道姿勢が論破されるのを恐れてか、作家「高村薫」を呼ぶ
という、極めて不自然な人選を行った。高村薫が医療現場についてどの程度知ってるというのか。高村薫の作品群から察するに、
鋭いコメントを出す高村薫に毎日新聞の社会部記者を守ってもらうという役割を振った
と見るのが妥当ではないかと思っている。実際、高村薫は
医療については素人
記者が個人攻撃されているので驚いた
と発言し、それを記事に採用してもらっている。逆に言えば
大淀病院産婦死亡事例報道に対する、毎日新聞への外部批判がかなりある
から、防戦に出た、と見ることもできるだろう。少なくとも
奈良県南部の産科崩壊によって発生した近畿の「お産難民」と急変時の「搬送の遲れ」は、毎日新聞が引き金を引いた
と、みんな思っている。その責任を覆い隠すための座談会が以下である。
開かれた新聞:座談会 医療現場に構造欠陥 さらに分析し提言を(その1)◇「開かれた新聞」委員会・座談会
医師不足のため病院の診療に支障をきたす「医療崩壊」が各地で進んでいます。奈良県では昨年8月、分娩(ぶんべん)中に容体が急変した妊婦の緊急搬送先をなかなか確保できず、妊婦は8日後に死亡しました。毎日新聞は奈良の事例を通じて医療体制の不備を問うキャンペーンを展開し、さらに今年1月から企画「医療クライシス」を連載中です。地域間格差にも焦点を当てています。賛否の意見が多数寄せられており、「開かれた新聞」委員会のメンバーに意見を聞きました。作家の高村薫さんも議論に加わりました。【司会は朝比奈豊主筆、写真は大西達也】=座談会は13日に毎日新聞大阪本社で開き、紙面は主に東京・大阪本社発行の最終版を基にしました。◆医療
◇記事の見せ方に工夫を−−玉木明委員
◇政治の流れ無視できず−−吉永春子委員司会 昨年8月、奈良県の大淀病院で分娩中の妊婦が意識不明になり、緊急搬送先の病院で亡くなりました。10月以降、搬送先の確保に手間取った背景などを含めて報じています。昨年2月には帝王切開手術中に妊婦を死なせたとして福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕される事件もありました。こうした問題の構造的な要因を調べ、報告する狙いで、今年1月から東京と大阪の記者たちが企画「医療クライシス」を連載中です。一連の報道には多くの反響があり、患者側だけでなく、医療関係者からも賛否の意見が寄せられています。
玉木明委員 奈良の記事は大変意味のあるスクープだ。たまたま昨年末から正月にかけて、同居の義母が1カ月入院したが、人手不足ですさんだ病院の現状を実感した。義母は認知症で歩き回り、夜中に病院から「介護に来てくれ」と言われる。私たちが行けないと義母を拘束してしまう。どんどん気力をなくしていくのを見かねて家に連れ帰った。多くの人が深刻な状況を経験しているのではないか。このまま医療を放っておいたら大変だという印象を持ったので、「医療クライシス」を含めて良い記事だと感じた。こういう医療の現状を広く世に知らしめていくのが新聞の重大な任務だと思う。
吉永春子委員 奈良のスクープは見事だった。いろいろな恐れを感じながら取材を進めた担当記者は大変だったと思う。他の週刊誌のルポなどと比べると、毎日の記事は非常に抑制が利いており、影響を考えながら書いたという気がする。ただ「放置」や「たらい回し」といった表現は、誤解や反論を受けやすい。本当に「放置」していたのか繰り返し確かめたほうがいいし、「たらい回し」の見出しは慎重さが欠けていた。
砂間裕之・大阪本社社会部兼科学環境部デスク 国立循環器病センターに運び込まれるまでの6時間について、“放置”という表現を使いました。その間、何も処置されなかったという遺族の強い思いがあり、事実関係としても19病院に搬送を断られ、遺族から見れば、結果的に放置されたというのは間違いでないと思います。一方、「たらい回し」は事実と異なり、東京本社の一部紙面でそういう見出しになったのは不適切だったと反省しています。
柳田邦男委員 過去の医療報道でいくつか間違いはあったと思う。例えば「院内感染」と「患者の死亡」が結びつくと、記者は「医療事故だ」と決めつけがちだが、医学的な意味を探るかどうかが、単なるセンセーショナリズムか問題提起の記事になるかの分かれ目だ。奈良の問題では、2カ月間かなり慎重に取材し、科学環境部の記者も一体となって調査報道として第一報を出した手順は正解だった。今までの報道の姿勢で言えば妥当だったと思うが、もう一つ違う座標軸や視点を持ち込んではどうか。時代の変わり目には、記事の重点や意味付けも変わらないといけない。
司会 高村薫さんには、「開かれた新聞」委員の立場ではなく、作家として、新聞読者としての視点からご意見をお願いします。
高村薫氏 医療のことは全くの素人で、一読者として大淀病院のニュースに接すると何が原因で、誰が悪いのか、まとまりのあるストーリーが示されているとは受け取れなかった。素人には医師側の主張が妥当なのか判断できない。逆に被害者側の主張が正しいのか間違っているのかも分からない。利害関係のない第三者として医療事故の記事を読むと、いつもどう判断していいのか悩む。結局、誰が悪いのか、誰が責任を取るのかという形では見えてこない。
司会 柳田委員の言うこれまでと違う視点の必要性とは、具体的にはどういうことでしょうか。
柳田委員 大野病院の産科医逮捕に時代の変わり目が鮮明に表れている。一般に医療への期待は絶大で、万が一、出産時に新生児を死なせたら、親は殺されたという意識さえ持つ。お産は時にはリスクを伴うと認識されていた時代とは違う。そこに警察の強硬姿勢が加わり、その影響で分娩を扱う産婦人科医が激減した。警察側には遺族の心情を背景に刑事罰で医療界を糾(ただ)そうとする姿勢がある。それなりの理由があるにせよ、医師を凶悪犯的に扱うことで、産科医が激減し、医療崩壊を加速させるという由々しい事態が生じている。第三者機関が医療ミスの有無にかかわらず、被害者や遺族に補償の手立てを講じながら、原因を科学的に究明する制度を作らない限り、この二律背反は解決できない。報道はそこまで考えるべき時代だと思う。その点で「医療クライシス」シリーズはいい企画なので、提言の議論をさらに深めてほしいし、医療事故発生時の記事でも、その都度その視点を入れてほしい。
高村氏 高度な医療技術が発達し、かつては、ここまででいいだろうと思われていた以上の治療ができるようになった。ただし先端医療にはお金がかかる。日本の早期新生児の死亡率は世界一低くなった。大いに喜ばしいことかもしれないが、諸条件の中で、そこまで追求すれば際限がなくなる。産科の技術に限らず、患者と医師の双方が際限のない満点を求める結果、医師が足りない、お金が足りない、病院が足りないと言われている気がする。そのため私は一読者として、いつも自分自身で頭を冷やしながら医療関係の記事を読んでいる。
吉永委員 医師不足は政治の問題として考えたほうがいい。1982年に中曽根内閣の第2次臨時行政調査会が行政改革の一環として、医師数の伸びの抑制を打ち出した。実際、当時の厚生省は86年から医師の新規養成数を全体の10%程度削減する方針で医療行政を進めてきた。昨年には7・9%まで抑え込んで声高らかに宣言した。この流れは決して無視できない。もう一つは取材先の病院長からよく聞く話で、現場の実情にうとい厚生労働省が病院運営に細かく口出しする点だ。その辺りの取材も求められる。
柳田委員 医師不足には数多くの要素がある。最も大きいのは医療費抑制だ。国はなんとしても医療費をこれ以上増やさないという方針で、徹底的に抑制している。象徴的なのは介護療養型病床をなくし、リハビリテーションにも上限を導入したことだ。高齢化率の高い地方の医療機関は本当に締め上げられる。もう一つは吉永さんが指摘した医学生定数の抑制で、何の根拠もない。医療費をこれ以上増やさない有効な手段として医者が増えては困るというだけだった。OECD(経済協力開発機構)の調査では、人口10万人当たりの日本の医師数は先進7カ国の中で最低水準にとどまる。そこに医療事故の報道が追い打ちをかけた。
玉木委員 毎日新聞は個人の医師を批判するだけで終わらせないという観点で一連の報道をしてきたと説明があったが、報道の在り方として大淀病院問題を伝えた初報の社会面(大阪本社)の記事が気になった。「遺族『助かったはず』」という見出しで、亡くなった母親の顔写真と、無事だった赤ちゃんを抱く父親の写真を掲載した。これは医師を告発していれば済んだ時代の形式で、既視感がある。新聞を開いた医師の中には、短絡的に医師たたき、医療たたきの記事がまた出たと受け止める人がいたと思う。新しい時代には新しい時代の器を考えてほしい。整理の仕方、見出しの付け方の問題もあるが、そろそろこういうパターンから抜け出し、新しい作り方ができないか。
砂間デスク ご指摘は真剣に受け止めます。ただ、決して古いステレオタイプの記事だとは思いません。今日の議論のように医師、医療界をどうするかを考えながら、医療事故の一方の当事者である患者、遺族の権利を守ることも新聞の使命です。医療側の意見とともに患者の意見も掲載しないと、全体像は分からないと考えます。
玉木委員 それは分かるが、記事の見せ方として新しいものを古い器に盛って出されたら、昔の料理と同じに見える。そういう感じがするということを強調したい。
柳田委員 医療事故にとどまらず、JR西日本の福知山線脱線事故(05年)でも、日本航空ジャンボ機の墜落事故(85年)でも、被害者の声は大事だから、記事の本文や見出しで被害者の言葉をカギ括弧に入れて出すのはニュースとしてあり得る。ただ玉木さんの言うように見せ方を衣替えできないかとは思う。
司会 記事が情緒的すぎるという印象ですか。
吉永委員 他紙も含め全般的に気持ち悪くなるほど情緒的な記事が多いのは事実だ。現実はもっとリアルだと思う。出産の現場は想像以上に緊迫している。ベテラン医師に聞いたが、出産の時はいつ何が起きるか分からず、緊迫した状況の中で瞬時の判断が求められる厳しいものだと言われた。こうした産科医の重責も書くべきだ。
柳田委員 被害者の声を取り上げるなという気はさらさらない。しっかり伝え、そこから出発するのが事故論の原点だが、メディアの中では、被害者の視点を事故の真相究明の方法や制度にどう生かすか、その記事の作り方が検討されてこなかった。
玉木委員 この遺族は記者の真意を理解し、協力してくれたのだから、相応の見識のある人だと思う。その言い分の掲載に反対だと言うつもりはない。しかし、社会面の記事だけを見ると、情緒的というか、引っかかりを感じる。
柳田委員 遺族報道の在り方を含めて一つだけ補足しておきたい。何か事故が起きると現場の従事者の刑事責任の追及が優先されるのは、日本の一罰百戒主義文化の欠陥だが、それでは絶対に本質に迫れない。背景にある構造を分析すると、真因は制度やシステムの欠陥による組織事故であることが分かる。医療事故も、医師の一つの行為をあまりに強調しすぎると、本質が見えなくなる。今回の報道はかなり掘り下げて、企画も継続しているから多面的だと言えるが、基本的に犯人捜査的な物の見方から脱却しないと、本質に迫る記事にならない。私が医療事故にかかわる第三者調査機関の設置を主張するのも、捜査ではなく、構造分析を通じて欠陥を修復するためだ。突き詰めれば、刑事訴訟法がすべてに優先する社会システムの変更につながる。そのことも頭に入れておくと、新しい視点の記事を書けるのではないか。
◇責任の所在が見えない−−高村薫氏
◇補償と究明制度見据え−−柳田邦男委員司会 医療関係者からの批判は具体的にどんな内容だったのか。
河野俊史・東京本社編集局次長 取材班に届いた反響のうち、毎日新聞の医療報道を批判するものは2割程度でした。医師の個人責任を問うことへの反発など、医療界の人からのものが多かったです。
砂間デスク 大淀病院に関する医師からの意見はメールで100通前後です。医療体制の不備を指摘した記事への共感とともに、記者個人に対するものも含めて組織的と見られる批判がかなり寄せられました。主な内容は医師を個人攻撃するような表現で不適切ではないか、「医療クライシス」と報道姿勢が違う、医療の専門知識がないのに書くなというものなどでした。医療従事者専用サイトを通じての怒りが多いのも特徴でした。
吉永委員 私にも批判された経験があるが、たいていの医師は「専門家でないくせに」「ろくに知りもしない記者が」という意識を持っている。脳外科と精神医療の取材が多かったが、臨床現場へ入る前に3カ月勉強させられたこともある。「専門家でない」という反応は当然あるという前提で取材を進めるべきだと思う。
柳田委員 専門性のない記者が先走るなという批判はどんな分野でも起こり得るが、専門家が記者になって、いい記事が書けるかどうかは別問題だ。福島と奈良のケースでは、医師側の反応が全く違う。医師が逮捕された福島の医療界では、マスコミ批判より警察批判が強かった。一方、奈良では警察が立件を見送り、マスコミの中でも特に毎日新聞が攻撃された。その時々の状況や雰囲気で不満をぶつける対象が変わるのだから、今回の批判は、背景にあるもの、医師たちがどういう理由で揺れ動いているのかを考える材料として見るべきだろう。
高村氏 医療関係者からの反響は総読者数を考えると少ない。驚いたのは支局の若い記者が個人名を挙げられ、非難されていることだ。意見を無視しろとは言わないが、逆にものすごく重大に受け取る必要はないと思う。賛成にしろ反対にしろ、インターネットを通じて自分の意見を簡単に、しかも過激な形で表明できる社会になった。ただ大多数の読者は、記事の一部は分かるけど、残りは分からないだとか、ここまでは賛成で、ここからは違うとか、もっと複雑な判断をしていると思う。特定の先鋭的な批判は、こういう意見もあるのだろうという程度の受け止め方でいいのではないか。新聞記者であれ、私のような物書きであれ、自分の立場で表現するのだから、すべての人の意見に合い、満足させるものは書けない。ある程度の意見の違いがあることを前提に、それぞれの記者たちが取材に回ればいい。今回の取材班も基本的なスタンスとして、十分なことをしていると思う。
司会 今後の「医療クライシス」では、取材班が具体的な提言もしていく方針です。社会はどこまでを医療に求めるのか、医療ミスのとらえ方の問題、患者と医療側の間に立つ第三者機関の必要性など、記者たちはこれまでも問題意識を持って取材してきましたが、皆さんのご指摘を生かし、さらに充実した企画にしていきたいと思います。
(中略)■基調報告
◇医療体制の不備追及−−砂間裕之・大阪本社社会部兼科学環境部デスク
昨年8月8日、奈良県の大淀病院に入院中の妊婦の容体が急変し、19病院に搬送を断られた。約60キロ離れた大阪府吹田市の国立循環器病センターに運び込まれたのは6時間後。妊婦は帝王切開と脳の同時手術で無事出産したが、8日後に亡くなった。奈良支局の若い記者が関係者取材を進め、科学環境部と連携して断片情報を積み重ねた。約1カ月半後に妊婦の身元が分かった段階で書けたが、医療体制の不備を追及して改善につなげるため、遺族や現状を憂慮する医師らの取材を続けた。10月17日朝刊の初報後もキャンペーンを展開。当初から医師個人の責任に焦点を当てる単発報道で終わる考えはなかった。◇第3部で具体策提言−−河野俊史・東京本社編集局次長
医療報道は最も重要な取材テーマの一つだ。福島の医師逮捕のケースでは、背景や強制捜査の問題点をいち早く報道したつもりだ。最近のひやりとさせられる事案の背景には医師不足など医療現場の構造的な問題があり、企画「医療クライシス」では実情を深く掘り下げている。厚生労働省は医師の偏在を強調するが、私たちは医師自体が足りないと考えた。第3部では具体的な対策を提言したい。(以下略)
毎日新聞 2007年4月21日 東京朝刊
構成メンバーとポリシーは以下の通り。
==============
◇委員会メンバー
吉永春子委員(テレビプロデューサー)
柳田邦男委員(作家)
玉木明委員(フリージャーナリスト)
◇オブザーバー
高村薫氏(作家)
◇毎日新聞側の主な出席者
朝比奈豊主筆▽藤原健大阪本社編集局長▽河野俊史東京本社編集局次長▽山内雅史大阪本社社会部デスク▽砂間裕之同社会部兼科学環境部デスク▽薄木秀夫「開かれた新聞」委員会事務局長==============
◇三つの役割−−開かれた新聞委員会
毎日新聞の第三者機関「開かれた新聞」委員会は(1)人権侵害の苦情への対応をチェック=記事によって当事者から人権侵害の苦情や意見が社に寄せられた際、社の対応に対する見解を示し、読者に公表する(2)紙面への意見=報道に問題があると考えた場合、意見を表明する(3)メディアのあり方への提言=より良い報道を目指すための課題について提言する−−という三つの役割を担っています。
記事による人権侵害の苦情や意見は各部門のほか、委員会事務局(ファクス03・3212・0825)でも受け付けます。
まあ、高村薫は見事に
「書き得」を擁護
しているわけで、毎日新聞としては、呼んだ甲斐があったというものだ。しかし、高村薫はどうしちゃったんだろうな〜。サカキバラ事件の頃は、見事な分析ができたのに、ここまで目が曇るとは。
ちなみに、この座談会出席者の年齢を書いておく。
吉永春子 早稲田大教育学部卒 元TBSプロデューサー 1931年生まれ 76歳
柳田邦男 東大経済学部卒 元NHK記者→ノンフィクションライター 1936年生まれ 71歳
玉木明 早稲田大学文学部卒 元新潟日報記者→フリージャーナリスト 1940年生まれ 67歳
高村薫 ICU卒 作家 1953年生まれ 54歳
というわけで、患者側に立つにしても
過去10年以内に産科で本人や配偶者が子どもを産んでいるとは思えない、まったく現場を知らない人たちである上に、全員文系
という凄い人選なのだ。一人も理系がいないよ。せいぜい柳田邦男にその役割を担わせよう、ということなんだろうね。
これでは
医療記事に対する科学的視点からの検証
なんかできるわけないじゃん。しかも高村薫を除くと見事に
65歳以上の年金受給世代
なのだ。
一般社会では、現役を引退した世代のご老人を集めて、もっとも先端的な医療記事の問題を討論させる
って、そもそも
意味のある議論が生まれるはずはない
のだ。ま〜、
話半分に斜め読みするのが吉
である。
毎日新聞の「開かれた新聞」という煽り文句に「騙されてはいけない」
のだ。
もし、毎日新聞が今回の座談会をまともにやる気があったら
30-40代の現役バリバリの産科医
を呼ばないとね。
しかし、吉永春子の
勉強させられた
って、なんて驕り高ぶった物言いなんだろう。素人が命を扱う現場に入って取材するつもりなら
医療行為を邪魔せず
かつ
働く医療従事者
を
子どもと変わらないレベルの低い質問攻めにして、貴重な時間を無駄にさせる(医療従事者の時間は、できるだけ医療行為に割かれるべきで、取材なんて、ついでのついで)のは、厳に戒められるべき
だろう。できるだけ事前に情報を集めておくのは、フィールドワークの基本ではないか。マスコミ人の
特権階級意識
がよくわかる発言だ。こんな気分で取材してるんだから、
間違った医療記事を書き飛ばして、反省しない
んだよな。で、これを今日の朝刊に載せて
医者は素人に偉そうにする
という情報操作を狙ってるんでしょう? 馬鹿じゃないの、この座談会の最終編集者。
毎日新聞が取材に行ったら、医師はひれ伏して、喜んで取材に協力しろ
と言ってるのと同じですぜ。
頭が高いのはどっちだ。
おまけ。
最近
なんで毎日新聞とTBSを叩くことにしたのか
と聞かれたのだが、基本的に
どのメディアであっても、おかしいと思ったらおかしいと言う
だけの話。
以前「元毎日新聞のとってもエライ人」と同僚だった。その「とってもエライ人」はいい人だったし、普通につきあっている。媒体そのものが問題なのではなく
現在の報道姿勢が問題
なのだ。
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コメント
柳田邦男氏は,「新潮45」最新号(2007年5月号)で,連載「日本人の教養」(第42回)にて
「 医師逮捕の結末 一罰百壊の無残」
という記事を書いていますね.
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/index.html
(あと1ヶ月もすれば,http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/200705.html)
ところで,別の雑誌特集を紹介すると,「週刊東洋経済」です.最新2007.4.28号の特集が
「ニッポンの医者、病院、診療所」です.
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2007/0428/index.html
50ページを越す大特集となっています.医療崩壊・逃散・越境分娩・医局崩壊・大学医師引き揚げ・・・また,東京ミッドタウンメディカルセンター(これは日経ビジネスにも紹介がありました)や日中友好医院の紹介つきです.
投稿: 本読み | 2007-04-24 14:10