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2007-04-27

飛燕忌@4/7のお別れの会

さつきホールに燕が飛んでいた。
窓がちょっとだけ開いていたのだが、そこから入り込んで出られなくなったようだ。「お別れの会」の間中、燕はそこにいた。それを所縁として、ひそかに「飛燕忌」と名付ける。

三七日に当たる今日、先生の急逝を惜しむ人たちが多数参列された。わたしは中牧先生と会場でご一緒した。
梅原猛先生の弔辞は哀切極まる言葉で始まり、先生の剛毅木訥を伝え、ユーモラスなエピソードを挟み、参列者は涙し、あるいは故人を思って微笑し、また涙した。
木村汎先生の弔電は、あの時期、先生とご一緒した人々にとっては、実に胸に迫るものだった。弔電を読んでいた職員の方が、声を詰まらせた。
ご遺族を代表して、ご長男が挨拶された。まだ年若い青年の挨拶は立派だった。
 父にとっては四番目の子どもでした
という研究所の行く末を祈って、挨拶を締めくくった。
海を背に満面の笑みを浮かべる先生の遺影は、二年前のあの船旅で撮られたものだという。
 父と海とこの研究所がつながりがあるような気がして
と、ご遺族が特に選ばれた旨を、献花されたご長男が説明してくださった。わたしが先生と最後にお話ししたのは、あの船旅の直後だった。中牧先生が先生を推薦されて、乗った船だったと今日伺った。

献花に赴く人の列は途切れず、用意した花は足りなくなった。赤澤先生が
 すばらしい!余るより、全然いいじゃないか
とおっしゃった。

年かさの世に名を成した方々が涙するお別れの会だった。
先生、ご覧になりましたか。
あまりにも早いお別れを惜しむ方々があんなにたくさんいらしていたのを。
今日はコモンルームに人が溢れていました。創立メンバーである先生方が発案されたコモンルームが、以前のように、にぎわっていました。

梁に止まって鳴く燕を見て、なぜか茂吉の歌を思い出した。
 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり

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» [ichamon]その部屋では燕が飛んでいたのです [はかとも/無縁の彷徨]
その部屋では燕が飛んでいたのです 出口を探しているようで 出口を避けているようで 僕はその燕を見上げていたのです 見上げていないと泪が落ちそうで 見上げていないと何かが朽ちそうで 飛燕忌に因み記す。※このエントリに関しコメント御容赦 ... [続きを読む]

受信: 2007-05-05 22:24

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