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2007-06-15

傅芸子(ふうんし)著倉石武四郎識『支那語会話篇』弘文堂1938

大平さんに教えていただいた、
 今は亡き、客と小僧の会話で使用される小僧側の待遇表現が載っている戦前の中国語会話教科書
である。解放以後は
 労働人民はみな平等
だから、こうした身分差による待遇表現はほぼ滅びている。
著者の傅芸子(ふ・うんし)先生は、戦前京大中文で教鞭を執っていた。倉石先生の識語によれば
 旗籍(八旗の一族)
だそうで、満洲族の八旗かしら。清水茂先生が以前おっしゃってたのだが
 北京八旗いいますのは、北京にずっとおったから、いうたら、生粋の北京人で、満洲語より、北京語の本場いう感じですなあ
だそうだ。

 ネットにあるよ
というので、探したら、東京の通志堂で売っていた。送料込みで3120円。
美しい紅色の表紙のソフトカバーの教科書で、図版が多数掲載されている。今は滅びてしまった
 戦前の北京の写真
だ。場合によっては薄葉紙を写真の上に置いていて、写真の図版と地名が合致するようになっている。およそ70年前の書物なのだが、そんなに傷んでいない。

で、たとえばこんな北京の文化街である瑠璃廠の本屋での会話文が出ている。途中、日本人の岡田先生は、主人を相手に、明の袁宏道の文集『瀟碧堂集』の明版の線装本を値切る。値切るところだけ、後ろにざっと訳を付けておく。そのまま訳すとつまらないので、「岡田先生」のセリフは関西弁で訳す。(間違ってたらごめんなさい)


第二十四課 廠肆訪書(瑠璃廠の本屋で本を探す)
顧客 掌櫃的櫃上[口那]麼。
夥計 您請裏辺坐。
顧客 喝、劉掌櫃的。
主人 岡田先生[口阿]、少見少見、請坐請坐。您多喒喒従貴国来的。
顧客 前天来的、我在国裏常接倒爾給我寄来的書目、近来有甚麼好書。
主人 不知您這一時想捜集点児甚麼。
顧客 我想找点児晩明人的集子、近来行市給晩明人的集子。、近来行市怎麼様。
主人 行市微一点、以前因為上海有幾家新書店、印了些、甚麼国学珍本庫・中国文学珍本叢書、把晩明人的著作標点排印起来、定価很賎、所以買的人不少、但是真正蔵書家、仍然不要這種東西的。
顧客 実在是的、不過這於爾們売線装書的、多少総也有点影響。
主人 您看這部万暦版的袁中郎集怎麼様。
顧客 這部書日本有翻刻本、我已経有了。
主人 這部瀟碧堂集帯続集、白紙、個頭児寛大、並且有封面、您留這部罷。(この続集がついた『瀟碧堂集』は白紙で、大きめの判型で、そのうえ見返し・扉がついておりますよ)
顧客 多少銭。(なんぼ?)
主人 五十塊銭、優待您、這按書目上的八折算、四十元。(50元ですが、特別にオマケして、この目録にあるものは二割引にいたしますので、40元です)
顧客 貴点、而且裏頭有水湿。(高すぎるなあ。それに中に水で濡れた跡があるで)
主人 水湿不算甚麼大毛病、還有一部竹紙的、有点虫吃、便宜、九塊銭。(水濡れはそんなにひどい傷にはなりませんでしょう。(全部白紙なのではなくて)一部に竹紙(薄黄色の紙)もあるし、ちょっと虫食いもあるので、お引きしましょう、9元)(注 40元から9元引いたなら31元になるのだが。それとも元値を41元に下げた?)
顧客 我不要那個。(それいらんわ)
主人 您還是拿這部罷、老主顧、少算点可以。(やはりこの本をお持ちくださいな。長年のお得意様ですので、もう少しお負けできますが)
顧客 那麼我給爾三十五元罷。(じゃあ35元でどうや)
主人 您帯去罷。(お持ちください)(注 この会話とよく似た会話をやはり瑠璃廠でしたことがある。その時は骨董を値切っていたのだが。このあたりのやりとりは今でもあんまり変わらない)
主人 爾給我做個套、就手写上書根。(帙をつくって、それから本の小口に書名を書いといてや)(注 線装本すなわち唐本は、外側に「帙」と呼ばれる保護用の箱をつけ、積み重ねたときに書名が分かるように、下側の小口に書名を書いておく。それを本屋の主人に命じているセリフ。本の値段にはこの作業の手間賃も入っている)
主人 是是、得了、我就叫夥計給您送去。您還要甚麼。(はい、心得ました。 小僧に言いつけてお客様に送らせましょう。他にご入り用は?)
顧客 我想找一部鍾伯敬的隠秀軒全集、有書没書。(鍾伯敬の『隠秀軒全集』を探してんねやけど、あるやろか)
主人 現在櫃上没書、過一半天找着了、給您送去。(いま手前どもにはございません。今日明日中に探しあてまして、お送りいたします)
顧客 好、改天見。(わかった。またこんど)

上記に出てくる
 夥計
というのが、現在は死語となった
 小僧
の意味である。この会話篇の教科書は、日本人が北京に旅行に行ったときを想定しているので、しょっちゅう小僧が出てきて、用を言いつかっている。

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