« 「マスコミたらい回し」とは? (その69) 毎日新聞が「奈良県周産期医療センター建設延期」を叩けない理由 自分たちの大淀病院産婦死亡事例報道が招いた「奈良県南部の産科絶滅」を隠蔽する意図 | トップページ | 「マスコミたらい回し」とは? (その70) 共同通信の「横浜焦土作戦」を数字で見る »

2007-06-16

下三橋遺跡現説@6/16 大和郡山市 平城京の十条大路出土 京南特殊条里の謎も解明

毎度おなじみ、平城京の当初計画では
 大路は九条まででなく十条まであったのではないか
という、驚きの発掘結果が出ている、大和郡山市の下三橋遺跡の現説だ。
以前の記事はこちらに。
 2006-03-12 下三橋遺跡 平城京の羅城と十条まであった都市計画
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2006/03/post_67c7.html
 2005-08-27 平城京は広かった? 定説を覆す発見
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2005/08/post_7404.html

なにが梅雨入りだか。
本日は晴天で暑い。まさに現説日和。
今日の現説は、10時〜12時までと、時間設定が短い。朝一は、たぶん報道陣などとかち合うだろうからと、1時間遅らせて正解。報道陣がいると、カメラの三脚や脚立が邪魔だし、絶対に報道陣がいいカメラ位置を取っている。
こちらは今後も繰り返し使う商売道具、研究資料の現場写真を撮らなくちゃいけないのだ。できるだけ広く視野を取れる状態で写真を撮りたい。遺跡は恐らく埋め戻される。チャンスは短い。
取材に来る記者達のどれほどが、奈良県の遺跡に興味があるか知らないけど、半分以上の記者は、そのうち
 昔遺跡の取材に行かされたなあ
で終わってしまう話だろう。覚えてないかも知れない。

それほど混んでいない状態で、まず
 十条条間小路と東二坊坊間西小路の交差点(XW調査区)
を見る。前回前々回から掘っているところの延長部分だ。ここで
 この道路が建設された時期は、道路の幅が710cm=20×35cmで、713年に廃止された「1大尺=35cm」の単位を用いて設計されていることからも、当初の都市計画で作られたことがわかります(平城遷都=710年)
と説明を受ける。ここの発掘は元興寺文化財研究所の佐藤亜聖さんの担当。非常に手慣れた現説でわかりやすい。
XW調査区は、後世の土地利用によって、削平を受けていて、道路の溝が分かりにくくなっていた。

さて、問題の十条大路へ。XW調査区から5分くらい歩いたところに現場がある。途中、脚立を担いで、道路の右側を戻ってくる報道陣(おそらく新聞各紙)とすれ違う。気のせいか、誰かにガンを飛ばされたように感じたのだが、右目は見えないので、よく分からなかった。ま、勘違いでしょ。
現場に着く手前のところで、読売新聞記者が、現場の人にいろいろ質問していた。たぶん、このあたりの地名について聞いていたのだと思う。

十条大路が見つかるかどうか、というのは去年の現説で
 あの池あたりですね〜
という話を聞いていたのだが、現場は池の東側だった。
 十条大路と北側の2本の側溝、南側の1本の側溝
が綺麗に出ている。こちらは大和郡山市教育委員会の担当。現説担当者が名乗らなかったので、氏名不詳の男性。
十条大路も側溝もまったく削平されてないのだった。そのため
 北側の溝の中心から南側の溝の中心まで幅が15.75m=45×35cm=45大尺
 北側の溝の北端から南側の溝の南端までの幅が17.5m=50×35cm=50大尺
と、都市計画の様子が明確に遺構に残されているのである。
面白いことに
 九条以南の道路が廃絶すると、建物の柱は抜き、溝や道路は埋めた
のだが、
 十条大路の幅一杯に水田を作った
のだという。
 十条大路の北は畑、南は荒れ地
だ。このあたりは、所謂
 京南特殊条里(106m四方)
と呼ばれる、一般条里(109m四方)とは違う、変な条里地割が残っている場所である。
 京南特殊条里の一番南端は、なぜか正方形地割でなく南北が35mと短い長方形地割になっているの
のは、謎とされ、諸説があった。
ところが、今回の十条大路の発掘で、
 九条以南十条までの道路廃絶後、106m四方の地割=九条〜十条の532m四方の一辺を5等分したもの=京南特殊条里
だということが判明した。その後、京域外の南の方から
 109m四方の一般条里
が北上してきて、ちょうど十条大路で、
 106m四方だった一番南端の京南特殊条里が70mほど一般条里に浸食され、残りが35m分の短い長方形に変わった
ということが分かったのだ。つまり、このあたりの地割の変遷は
 十条条坊→京南特殊条里→一般条里
という順序だったのである。
 35mの謎
は、こうして解決したのだった。

いや〜、地割なんて地味なものだけど、掘ってみると、いろんなコトが分かって面白いな〜。

残された課題は
1. 十条大路と交差する南北の道路を掘ってT字形になっていれば、めでたく「十条大路が平城京の南端」と判明(まだ掘ってない)
2. 今回発掘したのは、平城京の東半分にあたる左京部分。では、西半分の右京にも十条大路があったのかどうか(これもまだ掘ってない)
の二つ。
発掘続けられるのかな〜。大丈夫なのか? イオンスーパーセンターを作るためにやってる発掘なんだけど。

十条大路の南側は竹藪。竹藪のあたりもいくつか試掘したけど、道路の跡は出てこなかったそうだ。
竹の蔭で、ため池を通る涼しい風にちょっと当たって、一服。
1時間に1本しかないバスが、ちょうど行ってしまったところだったので、神殿(こどの)まで歩いて、帰りのバスに乗った。さすがに神殿まで行くと、もう少しバスの本数が多い。

しかし、神殿の「神」ってなんなんだろう? 忘れない内に調べておかなくちゃ。

|

« 「マスコミたらい回し」とは? (その69) 毎日新聞が「奈良県周産期医療センター建設延期」を叩けない理由 自分たちの大淀病院産婦死亡事例報道が招いた「奈良県南部の産科絶滅」を隠蔽する意図 | トップページ | 「マスコミたらい回し」とは? (その70) 共同通信の「横浜焦土作戦」を数字で見る »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/109312/15454220

この記事へのトラックバック一覧です: 下三橋遺跡現説@6/16 大和郡山市 平城京の十条大路出土 京南特殊条里の謎も解明:

« 「マスコミたらい回し」とは? (その69) 毎日新聞が「奈良県周産期医療センター建設延期」を叩けない理由 自分たちの大淀病院産婦死亡事例報道が招いた「奈良県南部の産科絶滅」を隠蔽する意図 | トップページ | 「マスコミたらい回し」とは? (その70) 共同通信の「横浜焦土作戦」を数字で見る »