遺骨を寺の境内に放置で「死体遺棄」
死んだら火葬にするのが、日本の多くの埋葬方法だが、都会では
墓地が高い
という問題がある。墓地を買っても、子どもが一緒に住んでいなければ、その内、墓は荒れ、無縁墓になるのがオチだ。子どもがいても、家制度が崩壊している現在、墓や家の祭祀を守ってくれるとは限らない。
73歳の女性が、夫の骨壺をお寺に放置して、書類送検された。
死体遺棄
になるらしい。
朝日より。
「金に困って」夫の遺骨を墓地に放置 女性を書類送検
2007年09月05日11時08分夫の遺骨を寺の境内に放置したとして、神奈川県警藤沢北署は5日、横浜市瀬谷区の無職の女(73)を死体遺棄の疑いで横浜地検に書類送検した。
調べでは、女は5月19日、藤沢市打戻の妙福寺の境内に夫の遺骨を放置した疑い。同署によると、遺骨は白い布に包まれ、火埋葬許可証の切れ端と、「供養してください」と書かれた紙、たばこなどと一緒にポリ袋に入れられていた。
調べに対し女は「墓を買う金がなく、子どもに迷惑をかけたくなかった」と話しているという。女は遺骨を放置した後、「線香をあげてください」と書いた匿名の手紙を、数千円の現金とともに寺に送っていた。 女は04年7月に病死した夫を横浜市内の火葬場で火葬し、遺骨を自宅で保管していたという。
永代供養料は結構高い。
妙福寺の永代供養料は
最低で百二十万円から
で、お寺の側とすれば
たった数千円でお骨をお寺に捨てられても
ということだったのだろうと思う。ここは古刹のようだから、それで永代供養料が高くなるのかな。
お寺にお骨を預かって貰うには、猫を捨てるんじゃないんだから、それなりの供養料がいる。
もし、お経を読んで貰いたいというのなら、対価は取られる。寺院経営というのは、そういう商売だ。
ただ、この話が何とも切ないのは、
供養できないお骨をどうしたらいいか
とこの女性が悩んだときに、誰も手をさしのべなかった点だ。
お骨に対するお寺の中の人達の感覚は、結構ドライだ。
田舎のお寺だと、古いお墓が壊れて、放り出された骨壺がまたどこかに埋もれて、長い間かかって、外に出てきたりすることがある。
なあ、松の木の根元に骨壺があんのやけど
ああ、あれな。こないだ気がついた。お寺やし、お骨なんてどうも思わんわ。子どもの頃から、見慣れてるし。
という会話を以前関西のお寺で聞いたけど、案外、お寺の中にいる人達は、こんなもので、お骨に対しては、
死体遺棄
なんて言われても、驚くばかりだろう。法律上は「死体遺棄」に当たるだろうけれども。
こっそり供養してあげれば、この73歳の女性も書類送検されなかったんだろうけど、火埋葬証明書をつけて、わずかなお経料を送ってしまったのが、逆に寺側の不信を招いたのかも知れない。
非常に悲しいお話である。
捨て子は育ててくれる大人が必要だけど、放り出された遺骨は、心ある人がいなければ、誰も供養してくれない。
今でも戦地に遺骨収集に行く人達がいる一方で、市井の死者は身の置き所がなくなってきている。
続き。
札幌の家の墓は、お骨が入ってない。「清墓」というらしい。
曾祖父が、
子孫は札幌から出て行くだろうから
という理由で、檀那寺に納骨堂を建てた。上海から将来した観音様が塚のように石を積み上げたてっぺんに立っていたのだが、祖母が「お観音さまが粗末になる」というので、観音堂を寄進した。いま、納骨堂は、観音堂の下にある。
その祖母が亡くなり、四十九日にお骨を中に納めた。曾祖父母も祖父もその中にいるし、有縁無縁のさまざまな死者の遺骨がそこには納められている。
お彼岸、お盆と年三回は忙しかった。檀那寺の位牌場に参り、納骨堂に参り、里塚にあるお墓に参り、家では棚経に回ってくるお坊さんをお迎えする。一番軽いのが、納骨堂のお参りで、お供えができる間はお供えもしていたが(最近制限されているはず)、子どもの頃は訳も分からずに手を合わせていた。
最近、死んだらどこに入ろうという話を家族でするのだが、まだ決まっていない。ハワイにいる友達は
そのうち海中葬をやろうかしら
と言っていたので、彼女たちが生きてる間に死んだら、お願いするかも知れないけれども、あんまり年齢が変わらないから、こればかりは頼りにならない。
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