墓参り@西新宿成子
新宿へ墓参り
というと何事かと思うんだけど、菩提寺が西新宿、昔は「成子」という地名で、そっちが通り名のお寺だからしょうがない。サイトにあるように、
常円寺
「成子の常円寺」が通り名だ。
青梅街道沿いに山門があり、檀家は中に車を入れられるけど、結構入り口の坂が急。警備担当者が配属されて、車の交通整理をしている。
このお寺には
留学生寮
がある。別に仏教の勉強をするためでなくても、入れるという。学会でこの寮にいたことのある韓国人の尼さんにたまたま出会った。
このあたり、その昔のボキャブラの常連
フォークダンスDE成子坂
で全国的に有名になった「成子坂」がある。成子坂と常円寺は切っても切れない関係がある。
新宿区観光協会のサイトより。
成子地蔵『成子地蔵』は、享保12年(1727年)勝厭という道心者が、回国巡礼を終えた帰路に建てたものといわれています。もとは四尺九寸(約148.5cm)の石像でしたが、第二次世界大戦の戦災に遭い、新たに建てられました。
由来については、子煩悩な父親がわが子を誤って殺してしまった末、自殺を遂げたという哀れな伝説も残されています。
付近にある「成子坂」は、天正年間(1573〜92年)、常円寺の創建に助力した源左衛門が往来にむしろを張り、にごり酒などを置いて商いをして、合図に「鳴子」を取りつけたことから、もとは「鳴子坂」でした。やがて、享保年間(1716〜36年)に地蔵が建てられてからは、「地蔵坂」とも呼ばれるようになりました。
上記にもあるように、常円寺が成子に創建されたのは天正年間。常円寺の縁起によると、成子に移転する前は幡ヶ谷にあったお寺だそうから、開基はもっと遡るという。日蓮宗のお寺である。
で、こんな東京都庁のご近所に、
墓所のある大きなお寺
があるのだ。天正年間創建じゃ、江戸幕府より古いんだから、お墓があるのは当然といえば当然か。
墓所は、道路で二つに分割されている。たぶん、大昔は道路なんか通ってなかったんだろうけど。両彼岸とお盆には、道路から墓所に入る小さい門が全部開いている(普段は一箇所だけらしい)。
境内の花屋さんで花を一対、お線香を一束買う。花を買うと、手桶に入れて、柄杓も貸してくれる。今日は秋の彼岸らしく、竜胆と赤紫の小菊が綺麗だった。
お墓は綺麗になっていたので、お花を上げて、線香を手向けて、水を掛けて、お経を上げるだけ。
帰りは、本堂に附属の会館でお茶の接待がある。おいしいお茶をいただいた。さすがにお寺の会館だけあって、トイレは足の不自由なお年寄りでも快適に使える広さと仕様。
帰りにお灯明の小さな蝋燭か、鈴か、どちらか一つをどうぞ、と置いてあったので、鈴をいただく。
場所柄、墓所の塀の外には、ホームレスのおじさん達が、段ボールハウスを各所に配置、昼間はお仕事中のようで、きちんとたたんで、青いビニールシートを掛けたりして、雨に備えてあった。
お寺から徒歩2-3分で
怪しいブート屋や妙な品揃えのCD屋多数
の、いわゆる
西新宿のCD屋密集地域
に行き着く。Garden ShedでギリシャのCDを眺めていたら
NAMA
というちょっと気になるCDがあったんだけど、今日はパス。家人と畏友galshy師は、西新宿のこのあたりを徘徊して、
あやしいプログレCD
を買いあさって、帰りにジョルジュ・サンク西口店でお茶するのが、一時期の習慣だった。新宿レコードのおばちゃんに顔を覚えられているというgalshy師は最近蕎麦行脚の方に忙しい模様。
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