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2007-10-23

『日経メディカル』10月号特集「医師を襲うトンデモ医療判決」

『日経メディカル』10月号の特集は
 医師を襲うトンデモ医療裁判
だ。


 医療裁判の提訴が年間約1000件にも上る昨今、医療者側から見て明らかにおかしいと感じる判決が目に付くようになっています。その中身を読み解けば、トンデモない事実認定や注意義務を理由に、医療者側が敗訴していることにがく然とさせられます。日経メディカル10月号特集では、そんな“トンデモ医療裁判”を特集しました。連動企画としてサイトでは、まずトンデモ判決の特徴を4つのタイプに分類し、さらに3つのケースを紹介します。

むむむ。
マスコミの医療裁判記事も相当だが、司法判断の方もかなり医療に闇い判決が出ているというのは、
 同じように高等専門教育を受けた司法と医師とが互いに不信感を抱く、エリート分断の構図
になるわけで、実によろしくない。だって
 エリートが分断されれば、それぞれの職能だけでコントロールできてしまう
んだからな。誰が一番トクするのか、ちょっと考えてみたらわかりそうなものだ。医師にしても、司法に携わる法曹の専門家にしても、子どもの頃から少なからぬ年月をその資格を得るために割いており、資格を得た後は、職務遂行のために、日夜勉強が欠かせない。そうした人たちが、
 ディスコミュニケーションのために分断されている状況
は、国家的な知的損失だと思うんだけどね。もっとも「国家的戦略」としては
 賢い奴はできるだけ分断して統治する方向
なんじゃないのかね。その方がラクだから。
医療は医療で
 なぜ司法は理解しないんだ
と思ってるし、司法は司法で
 なぜ医師はあんなにひどいんだ
と誤解しているフシがある。原因は
 お互いに通じない言語で話している
からで、
 通訳が必要
なんだけど、これがまた、不十分なのが日本の現状だ。専門家の通弊として
 テクニカルタームで話して分からない奴は問題外
だと思ってしまうところが、相互理解を妨げている。そりゃ、自らのdisciplineに誇りを持つのはいいけど、それが、つまらない壁になってしまっては困る。営々として築いた現在の地位を保証するものが、勉強時間の長さを自慢しあうことであってはいけないと思う。

『日経メディカル』の分析する
 トンデモ判決4つのタイプ
は次のようなものだ。


2007. 10. 19【日経メディカル10月号特集連動企画◆医師を襲うトンデモ医療裁判Vol.1】トンデモ判決に4つのタイプ

医師の気力を削ぐようなトンデモ判決が、なぜ生まれるのか

 人は過ちを犯す──。それは、医師も裁判官も同じだ。ところが、医師は裁かれて過失を認められる一方、裁判官が過ちをとがめられることは、あまりない

 医療裁判の提訴が年間約1000件にも上る昨今、医療者側から見て明らかにおかしいと感じる判決が目に付くようになっている。その中身を読み解けば、トンデモない事実認定や注意義務を理由に、医療者側が敗訴していることにがく然とする。

「あのときこうしていれば、患者を救えたはず」──。“後出しジャンケン”で裁く裁判官からは、厳しい言葉が浴びせられる。だがこのような判決を下す裁判官は果たして、医療の持つ特殊性を理解しているのだろうか。医療には限界がある。不確実性がある。教科書通りにはなかなかいかない。後から検証すれば、最善の方法などたやすく見付かるものだ。だからといって、その治療法や処置を選択したことを責められてはたまらない。にもかかわらず、そのような責めを平然としてくる。そんな判決を、多くの医師や弁護士が「トンデモ判決」と呼んでいる。

 もちろん、医師側敗訴の判決がすべてトンデモ判決だというわけではない。医療関係者の大方が納得するような判決も少なくないだろう。しかし、明らかにおかしく受け入れがたい判決も、確かに存在するのだ。

トンデモ判決の4タイプとは

 トンデモ判決にはどのようなものがあるのか。今回本誌では、トンデモ判決の特徴を理解しやすくするため、大きく4つのタイプに分類してみた。その4つとは、「最高水準要求型」「説明義務過剰型」「因果関係こじつけ型」「医学的根拠希薄型」だ。

 「最高水準要求型」は、医師や病院に要求する医療水準があまりにも高い判決で、「医師は全員ゴッドハンドであるべし」というに等しい判決のことを指す。救急や産婦人科など、ハイリスクな診療科で頻発しており、トンデモ判決の中でも最も多いタイプといえそうだ。

 「説明義務過剰型」は、医療側に求める説明義務の範囲があまりにも広すぎるタイプの判決だ。最高水準要求型と並んで多いタイプといえるだろう。説明義務違反は、今や医療訴訟で必ずといっていいほど争点にされる。医療者側に明確な過失がない場合でも、裁判所が患者救済を考慮して何らかの損害賠償を認めるために、その口実に使われているように取れる判決が少なくない。それどころか、争点となった医療行為とは関係のない部分の説明義務違反を指摘して、慰謝料を認めるような判決もある。

 「因果関係こじつけ型」は、何らかの医療行為やミスを、患者の転帰と無理やり結びつけるタイプ。裁判では、医師の行為が死亡や後遺障害などの転帰に影響を及ぼした、という因果関係が認められなければ、原則として賠償責任は発生しない。その因果関係を、「風が吹けば桶屋が儲かる」のことわざのごとく、無理矢理にこじつけているように取れる判決がある。

 「医学的根拠希薄型」は、トンデモ判決の真骨頂ともいえるタイプで、医学的に誤った、または疑わしい根拠を基にして、医師の過失を断じているような判決のことを指す。専門家による検証が不十分であったり、鑑定が偏りすぎるといったことが背景にある。

 以上のように分類すれば、読者にもピンと来る判決が幾つかあるのではないだろうか。次回からは、3つのトンデモ判決を具体的に見ていくことにする。

トンデモ判決の背景に「鑑定」の問題

 「トンデモ判決が出る最も大きな要因は、鑑定の問題」と語るのは、弁護士の米田泰邦氏だ。鑑定人が、現場の実態や時代背景などを考慮せず「考えられる最良の医療」を鑑定書に記してしまうことがあるという。

 弁護士の桑原博道氏も、「鑑定人に選ばれるのは、多くの場合大学教授や有名病院の部長クラス。「最良ではなかった処置」を見付けるのはたやすい。それを過失と見なすかどうかは、鑑定人の考えによって大きく左右されてしまう」と語る。医療裁判では、医師が“同業者”の判定によって敗訴している面が多分にあるのだ。最近はこうした問題を避けるため、複数の鑑定人が共同で鑑定書を作成する方法や、複数の鑑定人が裁判所で議論しながら鑑定する方法(カンファレンス制)などが取られているが、十分とはいえない。

 また、主要な都市部の裁判所では5、6年前から、医療訴訟を専門に扱う「医療集中部」を設置している。「医療を専門的に扱うならトンデモ判決は少なくなるのでは」と期待できそうなものだが、必ずしもそうではないようだ。ある弁護士は語る。「医療集中部ができて変わったのは、裁判のスピード。争点整理と証拠調べが早くなる一方で、時間のかかる鑑定はあまり行われなくなってきた。そして、裁判の実務を行うのは医学の専門家ではない。そのため、医学的におかしいと思うこともスルーされやすくなっている」。

 要因はほかにもある。弁護士の蒔田覚氏は、「医療に限らず、裁判全体の傾向が消費者に有利な流れになっている」と指摘する。また、医療側の弁護士からは「トンデモ判決を出すことで有名な裁判官が複数いる」との声も聞こえてくる。

(野村 和博=日経メディカル)

明らかな医学的知識の不足や誤解に基づく判決は、それだけで犯罪だと思うのが、裁判官が誤判の責任を問われることはない。「この裁判官に裁かれたら、医療側はアウト」という裁判官が複数いて、それが放置されているというのは、司法側に問題があるだろう。
人間の致死率は100%だ。誰だって、いつかは死ぬ。しかも、日本では多くが医師の治療を受けながら病院で亡くなる。避けられない病死であったとしても、「後出しじゃんけん」で「こうすれば、助かった」という判決を出されたら、医療側は堪らないだろう。しかも、それが
 自らが最善の医療を求めるような努力を怠っていた患者とその家族
であったとしたら、更にしんどい。

身内の経験だが、持病はあったものの、あまり病院にかからない習慣のあった伯父一家で、伯父がちょっとした手術のため入院、そのまま亡くなってしまった。もっとちゃんとした病院に掛かった方がいい、と他の親族が勧めていたのだが、小さい病院に掛かったために、必要な処置ができなかったようだ。もちろん、裁判などにはならなかったが、残された遺族には
 なんであのときあそこで手術をしたんだろう
という思いはある。病院選択に関して、魔が差したとしかいいようがない。
こうした例でも、裁判になる場合はある。事前に医師が口を酸っぱくして
 〜しないでくださいね
と指示をしていたとしても、それを無視して亡くなったり、重い障碍を負ったりする患者さんがいる。そして、その場合も、裁判が起こされることがある。医師の側からすれば、あれだけ指導したのに、なぜ言うことを聞いてくれなかったんだ、という気持ちになるのだが、不幸な転帰を迎えた患者側にしてみると
 医師が悪い!病院が悪い!
という思いがぬぐえない。医師にとっては、一つの症例かも知れないが、患者にしてみれば
 身体は一つしかない
からだ。
このあたりは
 契約社会に馴染まない、日本の慣習
も、響いているだろう。医師がよかれと思ってしたことが、裏目に出ることもある。

あまりに無茶な裁判が起きるのを見ていると、
 治療を受けるときには、分厚い確認書にサインしてから治療開始
というところまで行っちゃうんじゃないのかなと危惧する。今のところ、医療裁判報道で
 患者がどういう指示を受けたか、その指示を誠実に守っていたか
というところまで、踏み込んでいるのは聞かない。というか、
 マスコミは一般市民の味方というポーズを取らないと、新聞や雑誌が売れないし、視聴率が取れない
からで、マスコミが
 患者が納得するまで説明しなかった医師が悪い
という論調を崩すことはない。でもね、
 納得しない患者さんとか聞いてない患者さん
って、たくさんいるよね。マスコミ関係者が患者だと、医師の指示に従わない患者になる率は高い。
これも身内の話だけど、治療は継続しなくてはいけないけれども、一生治らない病気にかかっている叔母がいる。結構強い薬をのまなくてはならないから、時々治療をくじけそうになっていた。でも、その治療をやめると、もっとひどいことが起きるのだ。なだめすかして、治療を続けてもらっている。もう20年以上その病気とつきあっているが、今でも、医師の指示の意味がよくわかってないことがある。自分の都合のいいところだけ聞いているからではないかと思う。長年大学病院の専門外来で治療を受けていても、そんなものなのだ。

治療を受ける、というのは、実は自分で選択していることなのだ。選択した以上は、患者も努力はしないとダメだ。
 患者はカネを払ってるんだから、あとは全部医療側の責任
というのでは、いつまでたっても、医師は疲弊する一方だろう。
 果たして、誠実に治療を受ける患者だったのかどうか
が、真面目に考えられない限り、不毛な医療訴訟が頻発する傾向は続くだろう。
医療は有限な資源だ。いまの「不毛な医療訴訟」を見ていると
 食事制限が必要なのに、制限を守らず、どんどん症状を重くしている患者
のように見える。あわてて食事制限を始めたときはもう遅い。その時は
 今ならすぐに助かる病気や事故が治療できなくなり、死に至る
という、貧困な医療が当たり前の社会になってしまっているだろう。
医師は、どんどん逃げていく。言語道断の医療過誤は別として、良心的な医師ほど、訴訟に悩み、最前線の医療から立ち去っている。
 

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