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2007-10-06

F1日本GP雨の富士スピードウェイ(その23)1966年に指摘されていた富士スピードウェイの問題点は40年以上放置 2000年に買収したトヨタは「カイゼン」しなかった→トヨタ東富士研究所の下は第二東名がトンネルに

今回のF1日本GP開催については、1年前からあちこちで
 今のままだと問題ありまくり
と指摘されていたのにもかかわらず、なぜかたいした
 カイゼン
がなされず、その結果、あちこちで報告されている
 悲惨な日本GP
になったのだった。
富士スピードウェイを三菱地所からトヨタがF1参戦に先駆けて買収したのは2000年のことだったが、実は
 富士スピードウェイで10万人規模のレースを開催する時の問題点
は、すでに
 1966年の時点で指摘されていて、それが40年あまり後の今年の日本GPでもほとんどカイゼンされてない
ことが判明した。
1966年の"CG"誌を発掘した人がいる。富士スピードウェイがオープンしたのが
 1966年1月
だから、実に
 この問題は富士スピードウェイ開業当時からの懸案
であることが分かる。ちなみにCGの創刊は1962年だ。
2007 F1TOYOTA GP大反省会part2スレッドより。


21 :音速の名無しさん:2007/10/04(木) 18:50:18 ID:OnnhtGgj0
スタッフが制服脱いで逃げ出したって話聞いて、1960年代の日本グランプリ(当時はGr.7規定の
スポーツカーレース)の話を思い出した

あの時も会場は富士で、今以上に道も狭くて少なくて行きの道からして既にお客さんのクルマで大渋滞。
路肩にクルマを止めて徒歩でゲートをくぐった人もいれば、結局スタートに間に合わず諦めて帰ったり
近隣の家でテレビを観させてもらった人も多かったとか。
帰りも大パニックで、全部のクルマが敷地から出るのに深夜まで掛かった上に雨が降り出して道が完全に
ぬかるみ状態であちらこちらでスタック、怒った客が徒党を組んで事務所に怒鳴り込み、身の危険を感じた
JAF(当時日本グランプリの主催者)の係員は着ていたジャンパーを脱ぎ捨てて逃げ出したとか。

・・・初めて聞いた時は笑ってしまったけど、まさか同様かそれ以上の地獄を自分も40年後に同じ富士で
味わうとは思ってもみなかったよ(苦笑)。結局何も成長していない訳
だったな・・・。

で、この21さんが自宅に眠っていた"CG"誌を発掘して文字を起こしてアップしてくださった。


94 :21:2007/10/05(金) 10:54:22 ID:jbZdPFee0
昨日あれから自宅に帰って書庫の旧いカーグラフィック誌漁ってたら、興味深い内容の記事があった。
【CG 1966年7月号『第3回日本グランプリ・レースをふりかえる』より】

 今回のグランプリレースに対して、最も強く批判しなければならないのは、サーキットの総合デザイン
関するものである。一口に言って、富士スピードウェイは日本グランプリほどのビッグイベントをするには
不備であるばかりでなく明らかに誤ったデザイン
である。まず、当日集まった10万余の観客のほとんどが
感じた
であろうことは、行き返りの極端な混雑と無計画な導入路のデザインの悪さであろう。入場する時は
クルマはかなりの時間帯を持ってレース場に来ると考えられるから、切符をチェックするゲートを1台ずつ
通しても良い。しかし帰りは全く事情が異なる。あれだけ多数のクルマが一度にネックになった狭いゲートに
押し寄せるのだからたちまち機能はマヒ
してしまう。一番ひどい時はクルマの列は目撃者の話では、1時間
かかってようやく30mほど進んだという。この混雑を予想して一部の観客はエキシビジョンレースがスタート
するとすぐ席を立って帰りかけたが、それでも駐車場からゲートを潜り抜けるのに1時間は軽くかかった
という。
これは全く設計上のミスで、予算の問題ではない

95 :21:2007/10/05(金) 11:03:25 ID:jbZdPFee0
続きです。

 サーキットと国道246号線を繋ぐ道路計画も甚だお粗末で、大量のクルマがゲートを出た途端に
この細い道に突っ込んで動きが取れなくなるだろう事は、それが実際に起きる以前から明らかな
である。その導入路がまた酷い悪路であったが、それは問うまい。鈴鹿の時だってそうだったし
あれだけの道を完全舗装するのはわが国ではかなりの時間が掛かるのが通例である。だが、悪路を
走ることは我慢するとしても、もっと流れをスムーズにする知恵はないのか。話が前後するが
レース場に到着してゲートを潜ってから駐車場に達するまでの誘導が全く不手際であった。
 ルマンなどでは、パリで切符を買うとそれが色別になっており、レース場に向う時には
自分の切符の色と同じ色の道標を辿って行けば、全く自然に駐車場に行きつくようになっている。
鈴鹿では小規模ながらこのような工夫があり、動物のマンガで駐車場を覚える事が出来たが富士に
こうした配慮がなかったのは完全なミスであろう。

96 :音速の名無しさん:2007/10/05(金) 11:04:34 ID:Ik2IK0780
>>94
40年前から全く進歩してないのか…
こりゃ来年は絶対にカイゼンしないな。

97 :音速の名無しさん:2007/10/05(金) 11:07:16 ID:Wp8vx9xx0
そのほんのコピーをトヨタなり富士スピードウェイに送った方が良いね。

彼らはネット上の発言は【全てねつ造】と受け取るから

98 :音速の名無しさん:2007/10/05(金) 11:07:21 ID:+KTCNz2Q0
>>94
まぁマイカー使うとそんなもんだろ・・・

大規模な花火大会で会場近くの駐車場に止めた事が有るんだけど
帰りは何ともならなかったからな・・・
100m先の出口に到達した頃には日付が変わってたし。

大規模イベントにマイカー使うのはダメだって痛感したよ

99 :21:2007/10/05(金) 11:15:48 ID:jbZdPFee0
もういっちょ。

 場内の遊歩道もほとんど整備されていなかったし、レストランやトイレット等の休養施設の
絶対量が甚だ不足
していた。レース場側も10万人も集まるとは思わなかったにしろ、そういう
付帯施設に殆どお金を掛けていなかったようだ。もちろん限られた予算内で全てが出来上がる
訳ではないが、レース・コースの舗装が出来たからといって、直ちにレースが出来るものでもない。
(中略)
 日本グランプリも曲りなりに3回を終えた。今後も各メーカーは力を入れるに違いないし、JAFも
その圧力に押し切られて次回をまた開催する事になろう。現在のJAFが全く独自の見解でレースを
オーガナイズする事は現実問題として近い将来に期待を持てないだろう。
 しかし我々は、もうこれ以上醜い政治的な泥仕合を見たくはない。そこで提案だが、今後日本グランプリ
レースの開催を、鈴鹿と富士で1年ごとに交替で受け持つような取り決めをする事だ。また第3の
グランプリ級のサーキットが出来れば、それも加えて三者で交代制にすればよい。要はそういう大原則を
作って、皆でそれを守る事だ。これを確実に実行するだけで、巨額なカネが無駄になるのを防ぐ事ができよう。

これ読んで、アレ!?と思った方もいるのではないでしょうか。
どう見ても40年前からまるで進歩してません、本当にありがとうございました。
というか既にこの時から、今回の失敗が垣間見えていたような気もします(他にも色々あるのですが・・・)。

21さん、どうもありがとうございます。

あ〜あ。呆れてモノも言えない。
何やってるんだよ、トヨタ。
車屋が、道路設計の見直しもせず、40年間放置したそのままで、F1だけ呼んできたってのは恥ずかしいことではないのか?

続き。(9:38)
富士スピードウェイの道路周りは40年以上、ほぼ手つかずのようなのだが、
 裾野市にあるトヨタの東富士研究所
の近くには
 すごい道路
があるという。
トヨタ車不買運動スレッドより。


278 :音速の名無しさん:2007/10/04(木) 23:28:02 ID:YPE2m5TWO
地元民だが、
富士SWの隣の隣の市である裾野市ってとこに、トヨタの研究所がある。
その付近を第二東名が走るのだが、
そのトヨタの研究所の付近だけ、なぜか急に地下トンネルとなる。
なんでもトヨタの研究所の安全を守るためにそうなったらしい
地形的にはトンネル掘る必要なんて全然ないんだよ。
あくまでもトヨタのためらしい。
普通、高速道路って地上数十メートルの高いところにあるのに
急にそこだけ地下トンネルにしたら、すごい金かかるよね?
その莫大な費用は税金から出てるのかな? 詳細は不明だが。
しかし、トヨタはやることがすげーな。

ソース
http://www.extec.or.jp/pdf/extec76/p007.pdf

このスレに書き込むのが不適切だったのなら
誰か他スレにコピペしてくれ。

278さんの考えるように
 トヨタの秘密を守るための地下トンネル
かどうかは謎だが、たしかにリンクされた
 低土被り双設大断面トンネルの貫通―第二東名今里第一トンネル― 中日本高速道路(株)横浜支社
の工事に関するPDFを読む限り


 下り線側は移設困難な重要民間研究施設(3階建て研修棟・8階建て宿泊棟)の地下を通過する延長230mのトンネルである、

とあり、この第二東名のルート決定の際に
 道路公団とトヨタの間で交渉が行われたが、トヨタが東富士研究所の移転を拒否した
ということですかね。
東富士研究所はここにある。

拡大地図を表示

トンネルはこういう形で通っている。(クリックすると拡大します)
Toh_2


で、このトンネル工事が技術的に困難なモノだったので、こうしたPDFで工法の紹介をしていると思われる。以下目についたところを抜粋。


地形・地質の概要 今里第一トンネルが通過する地形 標高約300mで多少の起伏を伴うなだらかな丘陵地形 形成される地質は、裾野溶岩層~層と呼ばれる三層の溶岩からなり、非常に硬い玄武岩溶岩と自立性の悪い自破砕溶岩層が、不規則に互層状に介在する地質構造

施工検討 
掘削は、トンネル上部に建物があることから、当初計画では振動・騒音を抑える機械掘削としていたが、切羽に出現した玄武岩溶岩が非常に堅硬で亀裂も少なく、一軸圧縮強度が100N/mm2の強度を有していた。このため、経済性を考慮し発破工法を採用し、機械掘削+制御発破による掘削へと変更

地盤改良工 地盤改良工(注入工)は、自立性の悪い自破砕溶岩層のみを対象として注入を行うため、削孔機械の掘進速度やトルクなどから地層を判別する地層判別システムを導入し、自破砕溶岩層を把握
地盤改良工の効果確認のため、ボーリング調査を行った結果、超微粒子セメントによる改良体は、200万kN/m2程度の変形係数が確認され、対象の自破砕溶岩層はほぼすべて改良

トンネル掘削
地盤改良工の効果確認後、下り線側のトンネル掘削へ着手 
掘削による影響度合いを観測するため、トンネル上部の民間研究施設に直接計測器などを設置し、変位観測を行った。下り線トンネル切羽が建物直下を通過した際、約2mm程度の変位(沈下)が確認されたが、民間研究施設等への影響はほとんどない状況

おわりに
今里第一トンネルは、近傍の民間施設の地下を通過し不安定な地質条件等の制約のなかでの大断面トンネル掘削であったが、地盤改良による効果が良好であったことや、トンネル掘削開始からの地表面・トンネル本体の変位についても、小さな値は確認されているものの近傍の民間施設などへの影響はほとんどなかった。

このPDFには工費については書かれてないが、東富士研究所の下を通るトンネルの工費については、たぶんどこかに公表されてるだろうな。
 天下のトヨタの東富士研究所の業務を妨げないように発破を掛け、地質改良してから掘削されたトンネルを作るのにかかった税金
がいくらになるのか、是非知りたい。

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コメント

なんとなく意識の底に、「そりゃ好きで集まるんだから、多少の混雑は我慢せよ」ってのがあるんじゃないですかね?
あと、道路はアンタッチャブルとか。
ちょっと穿った見方だと、そういうことをイメージできない人で頭数だけ揃えてたので、誰も何も考えずに言われたことだけやっている、というのもあるでしょうね。

トヨタのクルマ、ニッサンのクルマ、ホンダのクルマ、と考えてみると、やっぱり40年前からキャラクターが違って、その違いってのがブランドとして延々と続いていますよね。
ものの考え方、その表出としてのイベント運営のポリシーってのは、もう刷り込まれちゃっててどうにもならないのではないですかね?

最近、開高健を読み直してるんですが、「ずばり東京」なんて1963年の話なのに、これって今のこと? と思うようなことばかり書いてあります。
人間も世の中も、そう簡単には変らないのかな?

投稿: ttanabe | 2007-10-06 09:04

初めまして。CG誌の内容をUPしました21です。
取り上げていただき有難うございました。
自分は昔のレースに興味があり、過去にもホンダF1やダイハツ、そして改修前の富士スピードウェイに関して
ミニコミ誌を作成しておりました。
今回の入場方法を聞いた時、60年代の日本グランプリの時と同じ轍を踏まないつもりなのだろうなと
思っていたのですが、結局は自家用車がバスに変わっただけで何の変化もなかったのだなと痛感しました。
正直、富士は10万人規模のレースには向いていないと思います。確かにそれなりの施設はありますが
文中でも指摘されていた通り、良い施設があるからといってそこで実際にレースをするのはまた
別問題です。既に過去から散々指摘されていた事を全く理解しようともしていなかったのでしょうか?
(そうでなくても当時はトヨタと日産とポルシェが富士で激しいつばぜり合いを演じていたというのに)

投稿: 21 | 2007-10-07 21:49

ttanabeさん、21さん、コメントありがとうございます。
しかし、40年間放置とはいくらなんでもびっくりです。
21さん、記事をアップしてくださってありがとうございました。おかげさまでよく事情が飲み込めました。
一方では税金を使わせて、東富士研究所の下にトンネル掘らせてるし、なんだろな、と思ってます。

投稿: iori3 | 2007-10-07 23:06

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