吹奏楽の「聖地」で「甲子園の土」ならぬ「普門館の床」配られる
全日本吹奏楽コンクール全国大会中学・高校の部の会場「普門館」の床材が
コンクール出場記念の思い出に
と配られた。
朝日より。(全日本吹奏楽コンクールは朝日新聞主催 ステージには朝日の社旗が掲げられる)
「吹奏楽の甲子園」出場者に人気、普門館の床、記念品に
2007年10月23日00時58分第55回全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中学・高校の部が21日まで開かれた東京都杉並区の普門館は、別名「吹奏楽の甲子園」。吹奏楽部の「あこがれの舞台」で今年初めて、ステージの床材と同じ素材が記念品として配られ、大人気となった。「甲子園の土みたいな思い出の品に」との試みだ。
記念品は縦4センチ、横2センチ、厚さ5ミリほどの黒いカード状で、建材のリノリウムでできている。普門館は70年に多目的ホールとして完成。吹奏楽コンクールは、同館では72年に初めて開かれ、77年以降はほぼ毎年のように、中学・高校の部の会場となり、「吹奏楽の甲子園」として有名。特に、舞台で顔が映えるようにと、床に黒色が採用されているステージは出場者のあこがれで、数年前からは「目指せ黒い床」が、各校吹奏楽部員らの合言葉だ。
その床材の記念品は、普門館を所有する立正佼成会が今年から同コンクールへ全面協力することになり、「せっかくの来場者にもっと会場をアピールできれば」と佼成文化協会の益子典久・総主管(58)が考えた。
補修ではがした床は壊れてしまって配れないため、益子さんは業者に補修用の在庫を探してもらい、大会3日前、カッターで切り分けた。
会期中に口コミで広がり、出場者はもちろん、「独特のにおいが懐かしい」と来場した卒業生にも好評で、人気が集中。大会2日目の21日朝に急きょ増産したが、途中から1人1枚限定に。2日間で4000枚がなくなった。
益子さんは「いい思い出になれば。床材が手に入るなら、来年以降も続けたい」と話している。
若干、微妙な気もするけど、喜んでくれる人がいるのだから、PRとしては成功ですね。
日本中で、1972年から何人、普門館のステージで演奏した人がいるのか。考えると、すごい数だな。
知らなかったんだけど、普門館って、立正佼成会の持ち物だったのね。出典は
『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品 第二十五=観音経
か。
確かに、立正佼成会のサイトには次のように書いてある。
普門館あらゆる人々に法華経の精神を広め、文化、学術、芸術活動の発展に貢献することを目的に、普門館は1970(昭和45)年に建てられました。5000人収容の大ホールなどを備えています。
建物を真上から見ると二つの円を重ね合わせた形をしています。これは人間と自然の調和など「和」の精神を大切にする本会の信仰姿勢を表現したものです。屋上に建てられた3本の鉄塔は三法印の教えを表し、28本の外柱と28枚の外壁は法華経の経典が二十八品から成り立っていることを示しています。
全国大会のチケットは、入手困難。最近は指定席になっている。
コンクールという性格上、聞きに行くというより出場校応援の人が多いからなあ。
おまけ。最近は翌年度の課題曲も先に発表されるのね。
今年の課題曲Iは「ピッコロ・マーチ」だったのか。名前からするとピッコロが格好いいけど、死ぬ曲だな。
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コメント
>知らなかったんだけど、普門館って、立正佼成会の持ち物だったのね
なにしろ「東の佼成,西の市音」で知られる日本最高峰の吹奏楽団は東京佼成ウィンドオーケストラですし・・・
結局全国大会は一度しか聞きに行っていませんが,初めて普門館を見たときにはその威容に「さすが宗教法人は金があるなあ」と妙なところに感心してしまいました.
投稿: 元チューバ吹き | 2007-10-23 09:40
環状六号線沿いにそびえる巨大な建造物、それは「聖堂」。
「普門館」といえば、立正佼成会を連想しない人間なぞいないものと思っていましたが。(創価学会におけるかつての「大石寺」のようなもの)コンクールで有名とは思いませんでした。
投稿: SY1698 | 2007-10-23 21:30
小児科医としては、立正佼成会といえば小児科医の中原先生が過労で自殺した病院の経営母体、というかなり悪いイメージですが…こういう面もあるんですね。
投稿: ニート小児科医 | 2007-10-24 02:56