文学部図書館
文献を探しに、京大文学部図書館に行った。
探しに行った、というのは不正確で
どこかにあるのは分かっているが、どこにあるかが分からないコピーの取り直し
というのが真相。製本したコピーが行方不明なので、取り直す。
文学部閲覧室、通称文閲は、文学部旧館が建て直されてからは、地下にある。
カウンターに行くと、学部・院で大変お世話になった哲閲のおねえさんが座っていた。挨拶すると、覚えていてくださったようだった。資料の場所を尋ねる。
おわかりになりますよね?
と言うので、もう一度
すいません、B1ってどこでしょう?
と聞くと、わたしが、文学部が建て直ってから書庫にあまり入ってないのを思い出したようで、B1の書架までわざわざ案内してくださった。ありがとうございました。在学中は、哲閲や文閲には、毎日のように行ってたから、わたしが書架の場所が分からない、という方が、おねえさんにしてみれば、あり得ない話だったのだろう。別に主だったわけではないのだが。
いっぺん配架を覚えたら、あとは大体順番なので、探すのには時間はかからない。
法経教室が改築されてから、生協にコピーを取りに行ったことがない。
文閲の横にも、コピー機はあるのだが、生協のコピーカードがないと使えない。缶切りが缶の中にあるのと同じ状態なので、ともかく生協に行く。
場所は同じようなので、学生・院生時代と同様、法経教室の中を抜けて、時計台裏に行く。以前と同じように地下に生協があった。案内図を見ると、コピーコーナーが見つかった。自販機で1000円のコピーカードを買う。
生協のコピーの写りの悪いのは、昔ながらなのでちょっと笑う。多くの人に酷使されてるからだろう。
二冊目は、梵文の棚から見つけ出す。
旧哲閲の図書は、集密書架に入ってるので、人がいないのを確認してから、書架を移動する。
う〜ん、このコピーだと、1000円のコピーカードで間に合うかな。
やっぱり3000円のカードを買えば良かったな。
足りなくなるといやなので、また時計台に戻る。
コピー機の前に学生が溜まっている。試験前なのか、ノートのコピーをしているのだが、コピーしてるのは一人だ。
いいから、お前等、そこをあけろ、というシチュエーションは、大昔から変わらない。てか、使ってないなら、コピー機の前にたむろするなよな。
で、このコピー機が使えない。どうやら使えないからたむろしてたらしいのだが、知らん顔している。一人にコピーさせて、他の連中は手が空いてるなら、誰か、知らせに行けや、と思うのだが、このあたりの気の利かなさも、大昔から変わらない。
組合員だったら、自分で行くんだが、今日はアウェイ状態なので、係の人がどこにいるか分からない。困ったな。
順番を譲ってもらって、隣のコピー機を使っていたら、次に来た人が、係の人を呼んでくれた。
備品がないので、この機械は使えないです
だったら、故障とか、はり紙しておいてくださいよ
と、次に来た人が生協の人に言っていた。そのコピー機は、30分前には使えていたから、たぶん、その後に来た誰かが変な使い方をして、そのまま居なくなった模様だ。頼むよ〜、誰だか知らないけど、使ってる内に機械がおかしくなったら、バックレないで、自分で係の人を呼んできてよ〜。
コピーのマナーは昔から良くない。伝統とも言えるくらいだ。生協も人手不足なのか、コピーコーナーは普段は無人だ。この手のトラブルは、毎日のように起きてるのかも知れない。
その昔は、時計台下のコピー室には名物おばちゃんがいて、実に口やかましく指導していた。その代わり、いろいろ世話を焼いてくれた。まあ、開くとガラスがゴミだらけになる大正大蔵経とかをコピーしてたんで、しょうがないんだけど。そういう、古い、汚れる本をコピーする人のために、ガラス面を拭く脱脂綿が用意されていた。
そもそも、新しい本をあまりコピーしないので、今でも、図書館に行くときは、汚れてもいい格好で行く。革装の本が数十年経つと、湿気で革がボロボロになり、うっかり白い服なんて着てると、茶色い、なかなか取れない汚れがつく。大正大蔵経がそれで、いつも5冊くらい積んで持っていくから、胸からお腹にかけて、よく服を汚した。
二冊目を返して、バッジを返す。帰ろうとしたら、名前を呼ばれた。今度は、文閲に前からいたおねえさんかな? 閲覧証を忘れていくところだった。身分証or閲覧証とバッジを引き替えて、書庫に入り、バッジを返して、預けた身分証or閲覧証を受け取るシステムは変わらないのだが、たまに受け取り忘れてしまう。身分証はたいてい定期券と一緒になっているから、帰りに気がつく。翌朝、図書に行くまで憂鬱だった。金曜日に忘れて帰ると、週末はブルーだった。
よく見ると、日文研でお世話になったおねえさんもいて、カウンターの中は、これまで大学・大学院と顔見知りだった方だらけになっていた。国立大学図書館司書は、3年くらいであちこち回るから、正職員の方とは、変なところでばったり会うし、京大文閲の臨時職員の方達は大体停年までずっといらっしゃる。いつもありがとうございます。
電子化テクストが普及し、オンラインで文献が落とせる時代だからか、文閲にあまり人がいなかった。電子化されてない図書は、読まれないまま、書架で朽ちていくのかな。
ビブリオは、オンラインで探せる範囲の資料だけでは作れないのだけれども、忘れられていく文献は確かにあるな。コピーした一冊は、まさにそういう一冊だった。
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