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2007-11-26

眠れない夜

一昨日、伯母が亡くなった。母の兄の奥さんで、血はつながっていない。母方の伯母は、母の姉が6月に亡くなったばかりだ。これで母方の伯母は母のすぐ上の伯母だけになった。このすぐ上の伯母一家とは、長いこと音信不通になっている。その家には、わたしと同い年の従弟がいるのだが、どうしているのやら。
一昨日亡くなった伯母は、姫路の出身だった。伯母の母、通称姫路のおばあちゃんは、函館生まれで、煙草屋の看板娘の一人だった。確か三姉妹の末っ子だったと聞いた。姫路のおばあちゃんの夫である姫路のおじいちゃんは、煉瓦職人で、
 当時、日本で数少なかった、煉瓦でアーチや丸窓を積める職人
だった。とりわけ
 煉瓦でまん丸の窓を積む腕
を見込まれたそうだ。姫路のおじいちゃんが遠く札幌までやってきて作ったのが、今も残る
 札幌ビール園の現在開拓使館とか博物館と呼ばれている煉瓦造りの旧工場
である。姫路のおじいちゃんの積んだアーチや丸窓は100年近い歳月にも耐えている。
http://www.sapporo-bier-garten.jp/img/head_bana/access.jpg
上記リンクの写真で丸く見えている部分が姫路のおじいちゃんが積んだ丸窓である。中にサッポロビールの赤い星のマークがはめ込んである。
姫路のおじいちゃんが内地に帰る時に、立ち寄った函館の煙草屋で見初めたのが、姫路のおばあちゃんだ、というような話を聞いたが、
 なんだって、姉さん達に比べたら、そんなにべっぴんさんでもないのに、一番下のおばあちゃんが良かったんだか
ということを、一昨日亡くなった伯母が冗談交じりに話していたことがあった。姫路のおばあちゃんは、かなりの高齢になってから一時期、札幌の伯母の家に身を寄せていた。

伯母は、伯父がまさかと思うような簡単な手術が元で亡くなってからは、どうしていたのか、あまり付き合いがなかったのでわからない。伯父が生きている頃から、娘一家と暮らしていたので、淋しくはなかっただろうが、娘であるわたしの従姉が、むずかしい腸の病気になり、最近までしんどい思いをしていたので、それなりに気苦労はあったかも知れない。従姉は、今年横浜で手術をしたら、ずいぶん良くなったらしい。母の兄一家では、この従姉が一番姫路と縁が深く、一時期は姫路の家にやっかいになって、裁縫を勉強していた。
従姉の手術の前になるのか後になるのか、ともかく、母が話を聞いたときには、もう伯母は入院していた。呼ばれてお見舞いに行ったら、意識はあるようだったけれども、自由に話をするのは難しくなっていたという。大腸癌があちこちに広がったらしいが、気がつくのが遅れたようだ。意識がなくなっていただろうが、治療のために身体のあちこちに管を入れられてスパゲッティになってるのがイヤで、時々、管を抜いてしまったりしていたと聞いた。よほどしんどかったのだろうな。かわいそうに。
昨日、伯母の家に電話したら、東京の従兄が出てきた。思ったより、明るい声だった。きっとわたしが知らないだけで、伯母の病は相当な長患いだったのだろう、と察せられる。

友引を挟んだので、今日が本通夜、明日が告別式となる。

弟は母方の親戚が好きなのだが、世間一般から見ると、訳の分からない生活をしているわたしのような人間は、子どもの頃から、あまり母方の親戚は得意ではなく、高校以降は、よほどのことがない限り、あまり母方の伯父の家には寄りつかなかった。たぶん、基準にしていることが違うからだろう。従兄の娘が津田塾から東大の院に行ってからやっと、大学院まで行って勉強する、世間から見ると変な人間の価値が認められたような雰囲気がある。従兄の娘は、理系だったこともあり、東大院の研究室で散々ソルジャーとしてこき使われたのに嫌気がさして、修士を修了したら、さっさと就職してしまった。

そんな訳で、伯母の思い出というと、ごく小さいときに、日曜日に我が家の一家4人で押しかけて、母方の祖父母に挨拶し、従兄弟同士でドーナツを揚げたり、ベコ餅を作ったり、餅を焼いて安倍川にしたりして、おやつを食べたことが一番印象に残っている。伯母は台所係で、何人もいる小学生がドーナツの型抜きをしたり、ベコ餅を木の葉の形に整形するのを監督していた。他にも祖母や従姉が見張っていたから、たいていは5-6人はいる小学生の従兄弟連中は、ケガすることもなく、自分の食い扶持を作らせてもらった。飲み物はココアか紅茶で、必ず、オールドノリタケのティーカップに入れてくれた。子どもの相手だけでなく、酒飲みの祖父と伯父と父が酒盛りを始める準備にも、細かく気を配っていた。出てくる酒の肴は、そんなに変わりがなくて、大蒜の効いた手羽元の唐揚げとか、二条市場まで新川の家から祖父が歩いて行って買ってきてくれた真蛸の足を刺身に作ったものとかだったが、伯父が
 キヨ〜
と呼ぶと、即座に用意が出来上がるのだった。その手早さは、伯父が亡くなるまでずっと変わらなかった。

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