現説 石神遺跡第20次調査@明日香村 12/15 奈良文化財研究所都城発掘調査部
NHKの中の人のリクエストにお答えして、昨日、明日香村大字飛鳥字石神で行われた、
石神遺跡第20次発掘調査現地説明会
の様子を簡単に紹介する。(写真はクリックすると拡大します)
石神遺跡の最盛期は、斉明朝。
石神遺跡現説に先立ち、挨拶する奈文研副所長。
手前でカメラを持っているのは取材に来ていた毎日新聞。この日は、ABCも取材に来ていたが、狭い現場の通路でカメラを振っていたので、かなり難儀なことになっていた。
出土遺物。
漆を入れた壺の破片。 東西石組溝から出土。時代は7世紀でいいのか?(聞いてくるのを忘れた)
石神遺跡の南北溝遺構。
現場の北端から南に南北溝を望む。
この溝は今回発掘されてない部分を含めて全長200m程度。このまま須弥山石出土地点の横まで延びる。
丁寧に石が組まれている様子が見て取れる。
写真が傾いているのは、前に何人も人がいて現場が見えないので、背伸びしてシャッターを押したためで、現場が傾いているわけではない。
南北溝の底面部の石組みの様子。
西側に大きな石が護岸用に積まれていて、底面にはそれより小さい丸石が敷き詰められている。
南北溝に東西溝がとりついている部分。(T字形につながっている)
南北溝の石積を壊して、東西溝が後から付けられているのが分かる。
底に見えている細かい東西方向の横縞は、木樋。東西溝は、とりつき部分が一番幅が狭く、30cm程度。
東西溝の木樋の終端。
白い石が画面右側(西側)に見えているが、ここで木樋が終わっている。
木樋になっている理由は、とりつき部が詰まりやすいからだとか。
おまけ。
毎日新聞奈良版より。
石神遺跡:「迎賓館」遺構説明会 石組み溝などに熱視線--明日香 /奈良斉明天皇(在位655~661)が辺境の民や外国使節をもてなした「迎賓館」があったとされる石神遺跡(明日香村)で15日、発掘調査の成果を発表する現地説明会が開かれた。約900人の古代史ファンが訪れ、東限の可能性がある塀跡や精巧な石組み溝などに見入っていた。
今回の調査では、「迎賓館」の東限を示す可能性がある塀跡や、須弥山(しゅみせん)石や石人像が出土した地点の延長上(北へ約200メートル)にあたる石組み溝などが見つかった。
この日は、奈良文化財研究所の黒坂貴裕研究員が調査の概要を説明。現地で実際の遺構を見ながら訪れた人たちの疑問に答えた。兵庫県猪名川町の主婦(71)は「溝には石が整然と敷き詰められており、現代人と変わらない技術力を感じた。須弥山石から流れ出た水がこの溝を流れていたかと思うと、夢がある」と話していた。【林由紀子】
毎日新聞 2007年12月16日
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