平城遷都1300年記念事業の最低キャラ「鹿坊主(仮称)」の破壊的インパクト(その8)籔内左斗司が批判メールに自分のサイトで回答中 変化する白毫つき童子は籔内左斗司版「ご当地キティちゃん」らしいぞ
「鹿坊主(仮称)」について
作者の籔内左斗司が批判メールに回答中
だ。
転載不可なので、以下を御覧下さい。
http://www.uwamuki.com/j/1300qanda.html
なお、メールへの回答で目に付いたのは、
電通に指名された
500万円は妥当な金額
「童子」に白毫がついているが、観音菩薩のように「籔内左斗司の童子」は変化する存在
というあたり。
しかし
観音菩薩のように変化する
というと格好がいいが、要するに
ご当地キティちゃん籔内左斗司バージョン
って話ですな。キティちゃんには元々白毫はついてないけどね。
白毫は
仏の三十二相
に含まれる。
仏陀が備える特別な身体的特徴の一つ
で、
眉間に右巻の白い毛がある相
だ。仏陀になる前の修行段階である「菩薩」も白毫相を備える。仏像や菩薩像の眉間の丸いのはほくろじゃなくて、この白毫。
だから、籔内左斗司は
童子
とはいうけど
仏・菩薩の象徴が眉間にある
わけで、ええ加減な造像ですな。三十二相は
仏陀の偉大さ
を表す約束事であり、そのうち何相かを身に得ている菩薩は、一生補処の菩薩で、
来世は仏陀となると約束されている
わけだから、軽々に角の生えた童子形にする感覚が分かりません。てか、それは仏さんを軽うにみてるのと違いますか。それをしも
仏教が遠くなってるから、身近にするための方便
というのは、
妖怪の化け観音でも、観音信仰ではOK
と言ってるのとあんまり変わらないように思いますが。なんか違うよな〜。よほど
キティちゃん大仏
の方が
パロディや見立て
だと分かるから、罪がない。
この違和感は
子どもの無垢さを商売に使って、しかも言い訳にしている
ところから来るのだと思われる。これが
ハナから漫画などだったら誰も文句を言わない
のですよ。要は
芸術という皮をかぶっているから非難される
のだ。
えらそうなくせに、盛り込む「精神性」の卑小さがイヤ
なのだ。で、回答は
尊大
だもんなあ。
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