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2008-03-11

東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)番外編1 3/11付朝日奈良版に疑問 今年の修二会は寒いのか

このところ奈良は暖かい。
天気予報によれば、今日は16度を超えるとか。

で、同じ3/11付朝日奈良版で全く違う話になっちゃってる「修二会の寒さ」について。

まずは小滝ちひろ編集委員。


大導師の大役 増える諷誦文 2008年03月11日
(略)
 それにしても、冷え込みが厳しかった前半、上七日に比べると、後半の下七日は暖かい日が増えてきた。15日未明の満行はもうすぐだ。(編集委員・小滝ちひろ)

奈良に住んでいる人間からすると、その通りの気候だと思う。

こっちは、なぜか違う。


【奈良を学ぶ】東大寺の芭蕉俳句
2008年03月11日


黒っぽい板石に達筆の行書が刻まれた水取りの句碑。左後ろが二月堂=奈良市の東大寺で

 ◎氷の僧?籠りの僧?
 東大寺三月堂の北側にある築山に、年代を感じさせる大型句碑が立っている。高さ2メートル、幅1メートルほどの板石で、流麗な行書が3行に分けて刻まれている。
 水取や
   籠りの僧の
      沓の音
 碑の裏面を見ると、建立は1913(大正2)年2月、揮毫(き・ごう)したのは東大寺末寺の空海寺住職と分かる。
 水取は二月堂の修二会(しゅにえ)。籠(こも)りの僧はその練行衆(れんぎょうしゅう)。沓(くつ)の音は、差懸(さしかけ)という木の履物でお堂の床板を踏む音。俳聖・松尾芭蕉が、1684(貞享元)年8月から翌年4月にかけて伊勢や伊賀、大和、近江などを巡った旅行記「野ざらし紀行」に残した名句である。
 二月堂は1667(寛文7)年の修二会中に焼失、翌々年に再建された。芭蕉が聞いたのは、この復興間もない二月堂に響いた沓の音である。真新しいお堂だと、どんな音がしたのか、少し興味をそそられる。
 ところが、この碑の句には気掛かりなことがある。
 実は、芭蕉自筆の「野ざらし紀行」には「二月堂に籠りて」という前書きに続いて「水とりや氷の僧の沓の音」とある。句碑の中七音「籠りの僧」が「氷の僧」になっているのだ。
 もう半世紀以上も前になるが、中学時代に教わったこの句の中七音は「籠りの僧」だった。だから、ずっとそう思い込んでいた。十数年前、新聞に修二会の記事を書く機会があり、念のため歳時記を開いた。それにはなんと「氷の僧」とあるではないか。仰天して別の歳時記も何冊か調べた。すべて「氷の僧」だった。現代俳壇の著名俳人にも尋ねたが、「氷の僧だから名句。籠りの僧では駄句」と一蹴(いっしゅう)された。
 新聞には「氷の僧」と書いた。翌朝、苦言電話が続々。面談で抗議に来た人もいた。この反響にも驚いたが、「籠りの僧」と習ったのは私だけでなかったという妙な安堵(あん・ど)感も覚えた。
 「野ざらし紀行」には稿本や写本がいくつか残っている。中でも由緒の確かな芭蕉直筆とされるのが、天理大学付属天理図書館にある天理本。それにははっきりと「氷の僧」と書いてあり、芭蕉が「氷の僧」としたのは疑いようがない。
 それでは、なぜ「籠りの僧」になったのか。その起源は、芭蕉から1世紀ほどおくれて登場した蝶夢(ちょうむ)という18世紀の俳人にある。
 僧だった蝶夢は、30歳代で俳諧の道へ進み、京都を中心に活躍した。芭蕉を敬愛して数々の著作を残し、芭蕉墓がある義仲寺(ぎちゅうじ)(大津市)では堂舎の修理や顕彰碑建立などに尽力した。
 その一つが1793(寛政5)年刊行の「芭蕉翁絵詞伝」。この中で蝶夢は、水取の句の中七音を「こもりの僧の」として世に出した。直接的で明解な言葉だったため、またたく間に広まり、以後「籠りの僧」が定着し、〈常識〉になってしまった。三月堂裏の句碑はそんな名句の歴史を刻みつけた文化遺産である。
 それにしても今年の修二会は寒い。参拝・聴聞者の目に映る練行衆はまさしく「氷の僧」である。(岸根一正)

え〜、好意的に解釈するなら
 「氷の僧」という文句を生かすために「修二会は寒い」というレトリックで文末を締めた
ってことなんだけど、果たして、どっちが正しいのか。

修二会は東大寺二月堂で行われていて、二月堂の中には、灯明など明かり以外には火の気はない。
奈良気象台の気温データを見てみよう。平年との気温差は0.5℃未満は割愛。

日付/平均平年値/最高平年値/最低平年値/平均(差)/最高(差)/時刻/最低(差)/時刻
3月1日 5.0/10.4/0.3/6.3(+1.3)/10.3/12:47/2.1(+1.8)/24:00
3月2日 5.1/10.6 /0.3 /5.2/11.9(+1.3)14:18/-0.5(-0.8)/06:58
3月3日 5.3/10.8 /0.4 /4.6(-0.7)/11.0/13:40/1.2(+0.8) 03:15
3月4日 5.4/11.0 /0.5 /3.8(-1.6)/9.5(-1.5)/14:58/-0.4(-0.9)/06:32
3月5日 5.6/11.2 /0.6 /2.8(-2.8)/8.6(-2.6)/12:09/-1.3(-1.9)/23:10
3月6日 5.7/11.4 /0.7 /3.8(-1.9)/10.5(-1.4)/13:31/-2.7(-3.4)/06:51
3月7日 5.9/11.6 /0.9 /6.0/12.7(+1.1)/12:32/1.3 /23:39
3月8日 6.0/11.7 /1.0 /4.7(-1.3)/11.8/15:20/-1.1 (-2.1)/04:09
3月9日 6.2/11.9 /1.1 /7.3(+1.1)/16.7(+4.8)/15:26/-1.9(-3.0)/06:45
3月10日 6.3/12.0 /1.2 /9.1(+2.8)/13.8(+1.8)/16:10/5.4(+4.2)/24:00

修二会は1日の未明から始まり、最初の下堂は午前3時。3/1は穏やかな日で、最初の上堂の間は、最低気温6.4℃だった。夜の行法では最低気温は夜中の1時で2℃。
二日目も下堂する夜中の1時が一番寒く2.4℃。
三日目も同じく夜中の1時で1.7℃。
四日目も同様で1.2℃。
五日目は下堂の時間が夜中の2時と遅く、-1.4℃。

六日目は1時下堂で5.4℃と穏やかな夜だった。
七日目は2時下堂で、-0.1℃。
八日目は零時過ぎ下堂で、気温は0℃ちょうど。

九日目も零時過ぎに下堂、気温は7.7℃と暖かい夜だった。
東大寺二月堂は奈良気象台の百葉箱よりは寒いところにあるから、もうちょっと二月堂の気温は低いと思う。
こうしてみると
 寒い夜はあるけれども、例年と比べて著しく寒い修二会といえるかどうかは微妙
だ。小滝ちひろ編集委員と岸根一正記者の
 寒さに対する印象の違い
は、
 毎日通っている小滝編集委員と取材の時だけ寄ってみた岸根記者
という取り組みの違いでもあるだろう。岸根記者が
 過去帳が読まれる五日目に来ていた
のなら、寒い、と感じたでしょうがね。確かにあの晩は寒かった。

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