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2008-03-14

東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)十三日目@3/13 うどんと達陀(だったん)

ともかく今日は暖かい。
昨日はありつけなかった
 二月堂名物うどん
を求めて、4時半過ぎに二月堂へ。お参りしてから北休憩所へ。

これが名物うどん500円。
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きつねと山菜があるが、今日はきつね。出汁がえもいわれぬお味。うどんの麺はいわゆる食堂のうどんレベルだが、出汁がすごいので許せる。

「本坊台所」と書かれたアルマイトの薬缶。
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「お茶、熱いのに換えました」とおじさんが持ってきてくれた。新しい熱々のお茶がたっぷり入っていた。
器物への「墨書」は奈良時代も現代もあんまり変わらない。


今日はここから。
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お松明が上がってくるのが見え、その後目の前を通りすぎる。

やっと暗くなってきました。
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前列には写真家のグループが屯していて、自慢の写真を披露していた。一人のおじさんは、奈良の写真ばかり撮っていて、毎年修二会に通っているとか。もちろん、撮影許可を貰って、局や参籠宿所で写真を撮っている。
 まだ誰も撮ってない絵
にご執心の元気な70代。今日は京都から
 女性カメラマンの星野佑佳さん
が来ていて、舞台の上からお松明を撮影していた。結構かわいい、元気なおねえさん。

宗教行事を撮影するのは、わたしの場合は記録・資料の意味以上の物はない。それにこれだけ動画が簡単に撮れるようになると、記録としての写真からは「一瞬を切り取る」必要性がどんどん低くなる。芸術性よりも、ちゃんと過不足なくその場が記録されているかどうかの方が重要だ。とは言っても、わたしの場合は見えてないから写真に撮っておいて、あとから確認するんだが。結構、撮りこぼすことが多いのが悩みの種だ。だいたい前列で、他の人達が気合いの入ったカメラで撮ってる横で、IXY900ISで手ぶれを起こさないように両手でカメラを固定して、両足を踏ん張って撮ってるから、カメラおじさん達からは、何だあいつ、とか思われてるんだろうな。最近、自分で露出が決められないくらい視力が落ちてるから、IXY900ISで十分。

登廊を上がってくるお松明に照らされる堂童子。
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お松明の後ろには練行衆がついてきており、そのたびに堂童子は低頭合掌して挨拶。

目の前を通り過ぎていったお松明。
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風があるので、激しく燃え上がる。


風に煽られて、こんな姿に。
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天狗が翼を拡げたみたい。


こちらは、耳のある兜をかぶった人の顔に見える。
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いずれも撮ったときは気がつかなかった。

今日の鹿。
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お松明の後、二月堂参道の土手からぬっと顔を出した鹿。

今夜も
 達陀(だったん)
がある。ダメもとで、「鹿男あをによし」を半分見てから、10時半に出かけた。

結論から言うと
 西の局(ご本尊正面)に人が溢れていて、局の扉が最後まで開いたままだったので、達陀を拝見できた
のだった。行ってみてよかった。
達陀は、水天と向かい合った火天が達陀松明を内陣の床にこすりつけて引きずる行法で、大きな火の付いたままの燃えさしが、内陣の床に大量にこぼれる。そのままにしておくと火事になるが、四職が箒で掃き出すのだ。
達陀松明の火力は強く、炎が発した熱気が内陣から外に向かって流れてくるような感じを受ける。
達陀松明に大きな火が付く前に、内陣から大量の水を礼堂に撒く。その水を四食が箒で礼堂に拡げ、そこへ松明の燃えさしを掃き出すのである。
達陀は、松明が消えるまで終わらないので、かなり大きな燃えさしがあちこちに飛び散る。そのたびに、四職が掃き出して消火する。
最後に火勢が弱った達陀松明を、とんとんとんと三度床に打ち付けた後、礼堂の側にどっと倒すと、大きな火の欠片が礼堂に飛び散る。
達陀が終わると、外陣に座って行法を見守っていた山内のお坊さんたちが席を立つ。
そのあとに晨朝の行法があって、ご本尊にお粥を供えるのだが、割愛して、北出仕口の方に出ると、これから下堂だといあうので、通行止めになっている。
やがて晨朝の行法が終わり、練行衆一人に普通の小さい松明を持った童子一人がついて、下堂する。下堂の際は、天狗が二月堂に入り込んで火遊びをしないように、
 トイレ休憩だ
という意味の
 手水手水
と叫びながら、登廊を駆け下りていく。
練行衆が全員下りられると、すぐに通行止め解除。石段には、駆け下りる練行衆を照らした松明の小さい赤い燃えさしがあちこちに落ちていた。

ちなみに、
 下堂は撮影禁止
と、北出仕口で散々呼びかけてたけど、聞いてない振りをする人が結構いたし、北出仕口から遠いところでは徹底してなかった模様。
全国民に代わって、滅罪懺悔のための行法(修二会は十一面観音悔過)に身を削っている練行衆は、 
 菩薩行の体現者
だから、「撮影禁止」と言われたら、下堂する姿に、ご挨拶の合掌をすることはあっても撮影する気にはならないんだけど、これは個々人の信仰の問題だからしょうがないだろう。わたしは上堂の時も合掌している。上堂で合掌していたら、隣にいた60-70代のカメラマンのおじさんには、化け物を見るような目つきで見られた。最前列に近いところにいて、練行衆が見えられたら、挨拶を優先しているだけなんだけどな。わたしは修二会は信仰の場だと思っているから、撮影の絶好機と考えている人たちとは立場の違いがある。それに、ご出家に出会ったら、合掌してご挨拶するのが習慣になっているしな。

どんな宗教行事でも、以前は最前列は信者で、カメラマンはその後ろだったんだけど、いつの間にかカメラマンの方が、でかい顔をするようになってきた。今だとデジタル一眼レフに高そうなレンズ付けて、一般参拝者を威嚇するからな。
 カメラに当たって壊すなよ
という、「素人はすっこんでろ」モード全開で、気の弱い人はそれだけで、見るのによい場所には近づけない。実際には、直前に人がたくさん押し寄せてくるので、威嚇も効かなくなるのだが、そうなると舌打ちしまくってる。人がぶつかったら、二月堂周辺は許可された場所以外は三脚全面禁止、手ぶれしますからね。しかし、おっちゃん達も大半がアマチュアカメラマンやろが。写真が趣味のおばちゃんもいるけど、おばちゃんはおっちゃん達よりは無茶しないから、まだマシ。なんかアマチュアカメラマンの一部には
 高い機材使ってる奴が偉い
みたいな間違った機材信仰があるようで、それをカメラに興味のない一般参拝者にも押しつけようとする姿勢には辟易する。本人はその滑稽さに気がついてないんだろうけど。世の中に
 株に投資した額が多い奴が偉い
なんて思っている人はいないわけで。

東大寺は撮影には割と寛容な方だけど、これだけ皆がプロ用機材に近いものを持てるようになってくると、場所取りも熾烈だ。お松明を撮影するのには、舞台の下の芝が一番だと言われているけど、わたしは近づいたことがない。早い時間から人で溢れているのを見ると、
 高級機材の大衆化の勢い
を感じますな。どんな写真が撮れてるのかは知りませんが。

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コメント

写真。
松明の火がぶわっと形を変えて最後に生鹿になったのかと思いました。
一瞬だけ。一瞬だけですよ。

投稿: GaK | 2008-03-14 20:55

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