東大寺二月堂修二会(しゅにえ=お水取り)七日目@3/7 小観音出御・走り・小観音後入と香水授与
一生の不覚。
午後6時からの
小観音出御
を聴聞できなかった。
石段下から西側を見る。(画像はクリックすると拡大します)
午後6時前でこんなに人がたくさん。
今日は人出が多く、いつもより早めに二月堂へ上がる階段が締め切られてしまった。しょうがなく、また、南西角、石段の真ん前でお松明を待つ。
ちょうど南西角の真下。
南西角から結界の注連縄が張られているのが見える。
待っている間に、紫の衣を纏ったお坊さんが、石段を上がって行かれた。
午後6時になると、二月堂から雅楽の音が響く。
小観音出御
だ。雅楽は南都楽所かしら。親切な警備員の方が教えて下さったが、小観音出御には
手向山八幡の宮司さんも見える
のだとか。手向山八幡は、東大寺建立の際に、宇佐八幡を勧請した鎮守社なんだけど、神仏分離で独立してしまっている。修二会は神仏習合の行法だから、手向山八幡の宮司さんが来るのは不思議はない。
もと修二会は、七日ずつ、練行衆が交代したという。現在は11名で二七日を勤めているけれども、明治以前は全部で26人、前後半それぞれ13人ずつということもあったそうだ。廃仏毀釈で山内の僧侶の数が減り、仕方なく11人が二七日を勤めるという今のやり方に変わったのだとか。
で、二七日の前半は
大観音
後半は
小観音
が修二会のご本尊である。どちらも十一面観音で秘仏だ。小観音出御は、修二会の行法のために、「生身の観音」を探した実忠が浪速津で小観音を得、それを東大寺にお迎えした儀式の再現だという。
う〜ん、来年も奈良にいるとは限らないから、実に残念だ。
今日のお松明は綺麗に燃え上がっていた。
その日の気候によって、燃え方に差ができる。
石段下でいつものようにお松明を見ていたが、親切な警備員さんの担当日で、また、燃えさしを頂いた。ありがとうございます。
お松明が終わった後、東の局で初夜の行法をしばし聴聞。夜中に備えて一度帰宅。
お松明の燃えさしを紙に包んで高いところに置いて、懐炉をしょって、バスで再び東大寺へ。
今夜のポイントは
走りとその後にある「香水授与」
小観音後入
だ。走りの行法は有名だけど、終わった後に、
お香水を皆に与え、聴聞者もおこぼれ頂戴できる
のだ。ただし、そのためには、西の局の中で、正面の格子戸に近い位置にいないと貰えない。練行衆と娑婆古連のお坊さんたちに授与された残りが、聴聞者の分だ。だから、時によっては当たらない。
わたしはたまたまお香水をいただけた。ほんの一滴、と聞いていたが、片手の掌にわりとなみなみと注いで下さった。有り難くいただいた。
ちなみに、走りの行法では、西の局と内陣を隔てている薄い
戸帳を完全に上げて、なかがよく見える
ようになる。壇供の鏡餅が綺麗に積まれ、椿の造花も見える。裸足で駆けている練行衆が、一人一人、西の局の目の前にある
五体投地用の板
で、五体投地を行う。
小観音後入は、
礼堂に置かれた小観音のお厨子を外陣を一回りして西側正面に収める儀式
である。小観音出御では雅楽が流れたから、後入はどうするのかな、と思っていたら
法螺貝
だった。
夜中の零時半に西の局を辞去。
これが二月堂の上から見た南西角。
火事にならないように、たっぷりと水が掛けられている。ここはお松明を激しく振る場所なので、防火のためにも、こうした手当てが肝心。東南角の柱に結びつけられている縄が、結界の注連縄。
歩いていたら、鐘楼から鐘の音が響いた。ちょうど午前1時。
おまけ。今日の鹿。
これは午後6時前に東大寺参道にいた鹿達。
最近鹿になつかれているのか、餌を持っていそうに見えるのか、鹿にお辞儀されて、鳴かれる。ギィって鳴かれても、鹿せんべい持ってないんだ、ごめんな。
| 固定リンク
« 平城遷都1300年記念事業の最低キャラ「鹿坊主(仮称)」の破壊的インパクト(その9)平城遷都1300年記念事業協会担当者が毎日新聞奈良支局花澤茂人記者に逆ギレ「取材に応じなければよかった」 | トップページ | 広川太一郎氏亡くなる »
コメント