間違った訳注を直す手間
jun-jun1965さんの「猫を償うに猫をもってせよ」の記事
2008-03-16 三年酢?
から、飛んでくる方が多いので、上記記事にコメントを入れようと思ったら、コメントは受け付けない設定のようなので、こちらに書いておく。
間違った訳注がある場合、直す手間はもの凄くかかる。実に非生産的な作業だ。一部分が間違っているのであればよいのだが、槙佐知子訳『医心方』の間違っている部分はそんな生やさしい数ではない。
じゃ、どうするかというと、見ない、使わないということになる。
昨年夏の研究班で槙佐知子訳を見てみた理由は
どの程度使えるかを検証してみる
という目的もあったと思うのだが、結論は、複数の研究者で行っている会読でも、これは直すのはしんどそうだ、ということだった。もちろん、槙佐知子訳の訳文には良い訳もあるのだが、中国文献学の基本的な部分がダメというのでは、わたしとしては使う気が失せるのである。
『医心方』は日本の書物だが、その中に引用されている医学書のほとんどは、中国・朝鮮半島から伝来したものであり、中国文献学の基本的な操作が必要である。そのための修練を積む必要があるのだが、そこがすっ飛ばされているのは、不思議で堪らない。学部三回生が半年〜1年間の実習で身につける技術であり、そうした技術を無視するという辺りに、不信感を抱く。もし、身につけたければ、中国古典学を扱っている大学で一年間聴講生として、そうした科目を履修すればいいのだ。特殊だが必要な技術は、自習ではなかなか身につかない。だいたい、中国学の三回生は、後から考えると顔から火が出るような間違いを山ほど犯して、一人前になっていく。
| 固定リンク
コメント