ラサ燃える(その37)いまチベットでどんな拷問や弾圧がなされているか
ルンタ・プロジェクトの公式サイトには、
亡命チベット人たちが語るチベットの真実
というコーナーがあって、道俗の亡命チベット人がその体験を語っている。
少なくとも仏教もしくは中国・チベットそしてモンゴルにちょっとでも関わって飯を食っている人間は、この証言から目を背けてはいけない。
特に僧尼に対する苛烈な拷問の詳細と、それを仏教への帰依を支柱として堪え忍び、ダラムサラに亡命を果たした僧尼の次の証言は、絶対に一度は読んでおかなければならないと思う。(年齢は証言当時のもの)
尼僧ガワン・ワンドン(22才)の証言
僧侶バグド(31才)の証言
尼僧ナムドル・テンジン(29才)の証言
これらの道俗の証言では、中国共産党当局が、チベット人にどんな弾圧を加え、拷問をしているのかが、自らの体験として、具体的に語られている。
なぜ、僧尼たちは、弾圧を恐れないのか。
ガワン・ワンドン尼の証言。
出家の身である私たちには、養うべき子供も家族もいないため、みんな喜んでチベットのために犠牲になることができます。
バグド和尚の証言。
私は、チベットのためになにかすべきだという強い衝動に駆られていました。幸いなことに、出家僧である私には、養うべき子供も妻もいなかったため、自らの命を犠牲にすることも厭いませんでした。『他の幸せのために全てを投げ出せ』と説く仏の教え通りの生き方であると確信したからです。独立運動を行う者の大半は、僧侶や尼僧なのです。
チベットの僧尼にとっては、チベット弾圧に対する抗議行動は、
菩薩行
なのだ。そして、どんな苦難にあっても、堪え忍ぶことが出来る原動力は、ダライ・ラマ14世にある。
ナムドル・テンジン尼の証言。
尋問に費やされる時間以外は、労働を強いられました。私に与えられた仕事は汚物を畑に肥料として散布することでした。日に三度、小さなパンとお茶しか与えられないわずかな食事のため常に空腹感は癒されず、殴られたせいで体中が痛みましたが、厳しい監視のため決して休息することは許されませんでした。両手に中国人の糞尿が入った重いバケツを提げ、監視人に追い立てられながら畑の間を行き来しても、決して悲しみに押し潰されたりはしませんでした。何故なら、心の中にはダライ・ラマ法王が居続けていてくれたからです。ダライ・ラマ法王が希望という光を与え続けてくれる限り、私はたとえどんなに状況がひどくても、心に喜びと優しさを保つことが出来たのです。一切の宗教活動は禁止されていたけれども、私はいつも胸の中で経文を唱え続け、ダライ・ラマ法王に祈り続けていました。
いったん、泳がせるために釈放されたナムドル・テンジン尼が、再び収監されるとき、こんなことが起きる。
私は泣き続ける両親の前に立つと話しかけました。「一体何で泣く必要があるの。私は犯罪を犯して捕まったんじゃない。ダライ・ラマ法王のために独立の声をあげただけなのよ。亡命先で独立運動を続けるダライ・ラマ法王が早くチベットに戻ってこれるようになるため、チベットで苦しみ続ける人々が解放されるためなのよ。そのために監獄に入っても、私は少しも悲しくなんかない。いや、嬉しいわ。お父さんも、もう泣かないで喜んでちょうだい。お母さんも弟たちも喜んで見送ってちょうだい。」私はそう言って微笑み掛けました。これが私の出来る精一杯のことでした。しばらくすると、父親も母親も泣くのを止めてくれたのです。「私たちも、お前が監獄に入ることになって嬉しいよ。誇りに思うよ。もう嘆くのはよそう。家のことは心配しなくてもいい。みんな大丈夫だから。」私は警官に小突かれながらジープに乗せらました。連行されていく私を皆が手を振って見送ってくれました。私も笑顔で手を大きく振り返しました。道で擦れ違う村人もジープの後ろに乗せられた私の姿を見つけると手を振ってくれました。畑の中からも人々は農作業の手を休め、手を大きく振ってくれました。村人たちは 私を乗せた車が遠く見えなくなるまで手を振り、見守り続けてくれました。再び刑務所に連れ戻されるというのに、私の心は何故か喜びに満ち溢れていました。
六波羅蜜の一つ
忍辱波羅蜜
を実践しているのが、弾圧を受けているチベットの僧尼なのだ。
わたしは涙なしではこれらの証言を読み進むことが出来ない。
仏典には、気の遠くなるような苦しみを耐え忍ぶ菩薩の姿が数多く描かれている。それを21世紀のいま、チベット人に強いているのが中国共産党である。
そして同時に
文革当時、すべての宗教関係者にどのような弾圧が加えられたか
を、これらの証言から類推することが出来る。
宗教にちょっとでも関わって飯を食っている人間は、亡命チベット人の証言を、今一度、じっくり読まねばなるまい。
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