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2008-04-29

ラサ燃える(その56)毛沢東「西蔵の工作方針についての中国共産党中央の指示」(一九五二年四月六日)

ネットにはいろんなものが落ちているなあ。
『毛沢東選集』を見つけた。
 『毛沢東選集』

この中には
 西蔵の工作方針についての中国共産党中央の指示(一九五二年四月六日)
が含まれている。中国共産党のチベット侵攻は1950年に始まった。
長いけど、全文引用する。今も中国共産党当局が用いる術語が全面にちりばめられていて、なかなか感慨深いですよ。


西蔵の工作方針についての中国共産党中央の指示(一九五二年四月六日)

 これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草して、西南局、西蔵工作委員会にあて、かつ西北局、新種分局にも通告した党内指示である。


 中央は、西南局、西南軍区が四月二日西蔵《チベット》工作委員会と西蔵軍区にあてた指示の電報に、基本的に同意し、この電報のとっている基本方針(西蔵軍の改編という点は除く)と多くの具体的な措置を正しいものと認める。このとおりに実行してこそ、わが軍を西蔵で不敗の地に立たせることができる。

 西蔵の状況は新疆《シンチァン》と異なり、政治面でも経済面でも新疆にくらべて相当劣っている。わが王震部隊が、新疆にはいったときでさえ、まず、経費の節約、自力更生、生産自給に最大の注意をはらった。いまでは、かれらはすでに足場をかため、少数民族の心からの支持をかちとっている。現在、小作料と利子の引き下げがすすめられており、ことしの冬には土地改革をおこなわれるが、大衆はいっそうわれわれを支持するだろう。新疆は嘉峪関《チァーユイコヮン》以東の地と自動車が通じて、物質、福祉の面で少数民族に大きな利点がもたらされている。西蔵では、すくなくともここ二、三年は、小作料の引き下げも土地改革も、実施はむりである。新疆には数十万の漢族がいるのにたいし、西蔵にはほとんど漢族がおらず、わが軍は、まったく異なった民族区域に身をおいている。われわれが大衆をかちとり、自分を不敗の地に立たせるには、二つの基本政策に依拠するほかはない。第一は、経費を節約し、生産自給をはかり、これによって大衆に影響をあたえていくこと、これがもっとも基本的な環である。自動車道路が開通したとしても、これに食糧の大量輸送をたよることはできない。インドは、交換による西蔵への食糧および他の物資の輸出におうじるだろうが、将来、インドが万一食糧および他の物資をよこさなくなってもわが軍が生きていけるという点に、われわれの立脚点をおくべきである。われわれは、あらゆる努力をはらい、適切な方法によって、ダライおよびその上層集団の大多数をかちとり、少数の悪質分子を孤立させ、血を流すことなく、相当の年月をかけて西蔵の経済、政治を一歩一歩改革するという目的をとげなければならない。だが同時に、悪質分子が西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが方に襲撃をかけてくるような事態に対処する用意もなくてはならず、このような時にもわが軍は依然として西蔵で生きつづけ、もちこたえていけるようにしなければならない。これらすべては、経費の節約と生産自給に依拠しなければならない。このもっとも基本的な政策を基礎にしてこそ、目的を達することができる。第二に、実行でき、また実行しなければならないことは、インドとの貿易関係、および国内のその他の地方との交易関係をひらき、西蔵の輸出入および移出入の均衡をはかり、わが軍の西蔵入りによって西蔵族人民の生活水準が少しでも下がるようなことがないようにし、しかも、かれらの生活がいくらかでも改善されるよう努力することである。生産と貿易・交易という二つの問題を解決しないかぎり、われわれは、存在の物的基礎をうしない、悪質分子は、立ちおくれた大衆と西蔵軍を扇動してわれわれに反対させる資本をいつでも手中に握ることになる。そして、多数を結集し少数を孤立させるというわれわれの政策は、軟弱無力のものとなり、実現のすべがなくなってしまうであろう。
 西南局の四月二日の電報のすべての意見のうち、ただ一つ検討を要する点は、短期間のうちに西蔵軍を改編することと、軍政委員会を設立することが、はたして可能かどうか、得策かどうかという問題である。われわれの意見では、当面、西蔵軍の改編はおこなうべきでなく、形式のうえで軍分区を設けることも、また軍政委員会を設立することもすべきではない。しばらくは、すべてこれまでどおりとし、ひきのばしていく。そして一年あるいは二年後にわが軍がたしかに生産自給でき、また大衆の支持をかちとったときに、これらの問題を日程にのぼせればよい。この一年ないし二年内に、次の二つの状況が予想される。一つは、多数を結集し、少数を孤立させるという上層部にたいするわれわれの統一戦線政策が効果をあげ、また、西蔵の大衆もわれわれの側にだんだん接近してきて、悪質分子と西蔵軍があえて反乱をおこすことができなくなるという状況である。もう一つは、悪質分子がわれわれを軟弱であなどれるとみて、西蔵軍をひきいて反乱をおこし、わが軍が自衛の戦闘で反撃に出て、打撃をあたえるという状況である。以上二つの状況は、どちらもわれわれに有利である。西蔵の上層集団からみれば、いまのところ、協定①の全面的実施と西蔵軍の改編の根拠は、まだ不十分なのである。あと何年かたてばいまとは違ってきて、かれらも協定の全面的実施と西蔵軍の改編をやるほかはないと考えるようになるだろう。もし西蔵軍が反乱を、それも一回ならず何回もおこして、みなわが軍の反撃によっておさえられた場合、われわれが西蔵軍の改編をおこなう根拠は、いよいよもって多くなる。どうやら、ふたりの司倫〔1〕だけでなく、ダライとその集団の多数も、協定は不承不承受けいれたものと考えており、実施するつもりはないようである。われわれにはいま、協定の全面的実施の物的基礎がないばかりか、協定の全面的実施の大衆基礎もなく、また協定の全面的実施の上層基礎もない。むりに実施しても、害多くして利少なしである。かれらが実施したがらないなら、それでもよかろう。当面は実施せず、もう少しひきのばしてからにしよう。時間がのびればのびるほど、われわれのほうの根拠は多くなり、かれらのほうの根拠は少なくなる。ひきのばすことは、われわれにとってそんなに不利ではなく、かえって有利かもしれない。かれらには、民をそこない理にもとるさまざまの悪事をはたらかせておき、われわれはもっぱら、生産、貿易・交易、道路建設、医療、統一戦線(多数を結集し、根気よく教育する)などのよいことをおこなって、大衆をかちとり、時機が熟すのをまって協定の全面的実施の問題を考えればよい。かれらが小学校を開くべきでないと考えるならば、これもとりやめにしたらよい。
 最近、拉薩《ラサ》でおこったデモは、単にふたりの司倫などの悪人のやったことと見なすべきではなく、われわれにたいするダライ集団の大多数の意思表示と見なすべきである。その請願書の内容はすこぶる戦術的であり、決裂を表明してはおらず、われわれに譲歩を要求しているだけである。そのなかに、かつての清朝のやり方を復活させ、解放軍を駐屯させないことを暗示した一ヵ条があるが、これはかれらの真意ではない。かれらは、それが不可能なことを百も承知であり、この一ヵ条をその他の箇条との交換条件にしようとたくらんでいるのである。請願書では第十四代ダライを批判しており、これによってダライがこんどのデモの政治責任を負わなくてもすむようにしている。かれらは、西蔵の民族的利益の保護を看板としてかかげており、軍事力の面ではわれわれに劣るが、社会的勢力の面ではわれわれに勝っていることを知っている。われわれは事実上(形式上ではなく)こんどの請願を受けいれ、協定の全面的実施をおくらせるべきである。かれらが、パンチェンのまだ到着していないときにデモをおこなったのは、考えがあってのことである。パンチェンが拉薩に着いてから、かれらは、パンチェンがその集団にはいるよう大いに抱きこみをはかるであろう。もし、われわれの工作がよくおこなわれ、パンチェンがかれらの手に乗らず、かつ無事日喀則《シガツエ》に着けば、情勢はわれわれに比較的有利に変わるだろう。しかし、物的基礎の欠乏という点では、まだすぐには変化はありえず、社会的勢力の面でかれらがわれわれに勝るという点でも、すぐには変化はありえない。したがって、ダライ集団が協定を全面的に実施する考えがないという点も、すぐには変わらない。われわれは、さしあたり、形式的には攻勢に出て、こんどのデモと請願の不当(協定の破壊)を責め、しかし実際には譲歩するつもりであたり、条件が熟すのをまって、将来、攻撃(つまり、協定の実施)に出るようにしなければならない。
 これについて意見はどうか、検討のうえ電報で知らせてもらいたい。


〔注〕
〔1〕 「司倫」とは、ダライの下にいる最高の行政官のことである。当時のふたりの司倫は、反動農奴主のルカンワとロサン・タシであった。
〔訳注〕
① ここにいう協定とは、一九五一年五月二十三日の『西蔵の平和的解放の方法についての中央人民政府と西蔵地方政府の協定』をさす。

中国語原文。繁体字(一部常用漢字)に直した。


關於西藏工作的方針(一九五二年四月六日)

西南局、西藏工委並告西北局、新疆分局:
  我們基本上同意西南局、西南軍區四月二日給西藏工委和西藏軍區的指示電[1],認為這個電報所取的基本方針(除了改編藏軍一點外)及許多具體歩驟是正確的。只有照此做去,才能使我軍在西藏立於不敗之地。
  西藏情況和新疆不同,無論在政治上經濟上西藏均比新疆差得多。我王震[2]部入疆,尚且首先用全力註意精打細算,自力更生,生産自給。現在他們已站穩脚跟,取得少數民族熱烈擁護。目前正進行減租減息,今冬進行土改,群衆將更擁護我們。新疆和關内汽車暢達,和蘇聯有密切經濟聯繋,在物質福利上給了少數民族很大好處。西藏至少在兩三年内不能實行減租,不能實行土改。新疆有幾十萬漢人,西藏幾乎全無漢人,我軍是處在一個完全不同的民族區域。我們惟靠兩條基本政策,爭取群衆,使自己立於不敗。第一條是精打細算,生産自給,並以此影響群衆,這是最基本的環節。公路即使修通,也不能靠此大量運糧。印度可能答應交換糧物入藏,但我們的立脚點,應放在將來有一天萬一印度不給糧物我軍也能活下去。我們要用一切努力和適當辨法,爭取達頼[3]及其上層集團的大多數,孤立少數壞分子,達到不流血地在多年内逐歩地改革西藏經濟、政治的目的;但也要准備對付壞分子可能率領藏軍舉行叛變,向我襲撃,在這種時候我軍仍能在西藏活下去和堅持下去。凡此均須依靠精打細算,生産自給。以這一條最基本的政策為基礎,才能達到目的。第二條可做和必須做的,是同印度和内地打通貿易關係,使西藏出入口趨於平衡,不因我軍入藏而使藏民生活水平稍有下降,並爭取使他們在生活上有所改善。只要我們對生産和貿易兩個問題不能解決,我們就失去存在的物質基礎,壞分子就毎天握有資本去煽動落後群衆和藏軍反對我們,我們團結多數、孤立少數的政策就將軟弱無力,無法實現。
  西南局四月二日電報的全部意見中,只有一點値得考慮,這就是短期内改編藏軍和成立軍政委員會是否可能和得策的問題。我們意見,目前不要改編藏軍,也不要在形式上成立軍分區,也不要成立軍政委員會。暫時一切仍舊,[手人也]下去,以待一年或兩年後我軍確能生産自給並獲得群衆擁護的時候,再談這些問題。在這一年至兩年内可能發生兩種情況:一種是我們團結多數、孤立少數的上層統戰政策發生了效力,西藏群衆也逐歩靠[手龍]我們,因而使壞分子及藏軍不敢舉行暴亂;一種是壞分子認為我們軟弱可欺,率領藏軍舉行暴亂,我軍在自衛鬥爭中舉行反攻,給以打撃。以上兩種情況,無論[口那]一種都對我們有利。在西藏上層集團看來,目前全部實行協定和改編藏軍,理由是不充足的。過幾年則不同,他們可能會覺得只好全部實行協定和只好改編藏軍。如果藏軍舉行暴亂,或者他們不是舉行一次,而是舉行幾次,又均被我軍反撃下去,則我們改編藏軍的理由就愈多。看來不但是兩司倫[4],而且還有達頼及其集團的多數,都覺得協定是勉強接受的,不願意實行。我們在目前不僅沒有全部實行協定的物質基礎,也沒有全部實行協定的群衆基礎,也沒有全部實行協定的上層基礎,勉強實行,害多利少。他們既不願意實行,那末好[口巴],目前就不實行,[手人也]一下再説。時間[手人也]得愈久,我們的理由就愈多,他們的理由就愈少。[手人也]下去,對我們的害處並不大,或者反而有利些。各種殘民害理的壞事讓他們去做,我們則只做生産、貿易、修路、醫藥、統戰(團結多數,耐心教育)等好事,以爭取群衆,等候時機成熟,再談全部實行協定的問題。如果他們覺得小學不宜辨,則小學也可以收場不辨。
  最近拉薩的示威不應看作只是兩司倫等壞人做的,而應看作是達頼集團的大多數向我們所作的表示。其請願書内容很有策略,並不表示決裂,而只要求我們讓歩。其中暗示恢復前清辨法不駐解放軍一條,不是他們的真意。他們明知這是辨不到的,他們是企圖用這一條交換其他各條。在請願書内批評了十四輩達頼,使達頼在政治上不負此次示威的責任。他們以保護西藏民族利益的面目出現,他們知道在軍事力量方面弱於我們,但在社會勢力方面則強於我們。我們應當在事實上(不是在形式上)接受這次請願,而把協定的全部實行延緩下去。他們選擇在班禪[5]尚未到達的時機舉行這次示威,是經過考慮的。班禪到拉薩後,他們可能要大拉一把,使班禪加入他們的集團。如果我們的工作做得好,班禪不上他們的當,並安全到了日喀則,那時形勢會變得較為有利於我們。但我們缺乏物質基礎這一點一時還不能變化,社會勢力方面他們強於我們這一點一時也不會變化,因而達頼集團不願意全部實行協定這一點一時也不會變化。我們目前在形式上要採取攻勢,責備此次示威和請願的無理(破壞協定),但在實際上要准備讓歩,等候條件成熟,准備將來的進攻(即實行協定)。
  爾們對此意見如何,望考慮電告。
  中央
  四月六日
  根據毛澤東手稿刊印。


  註釋
  [1]指中共中央西南局、中共西南軍區委員會一九五二年四月二日關於西藏當前工作重點、社會改革和部隊供應等幾個問題的基本認識給西藏工委、西藏軍區黨委、中國人民解放軍第十八軍後勤司令部並報中央軍委的電報。
  [2]王震,當時任中共中央新疆分局書記。一九四九年十月率部開赴新疆時任中國人民解放軍第一兵團司令員兼政治委員。
  [3]達頼,即達頼喇嘛・丹増嘉措,當時是西藏地方宗教和政治領袖之一。
  [4]司倫是達頼下面的最高行政官職。當時的兩司倫是魯康娃和羅桑札喜。
  [5]班禪,即班禪額爾徳尼・確吉堅贊,當時是西藏地方宗教和政治領袖之一。這時正在從青海回西藏途中。

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