北京大学勺園@1991
1991年の北京大学勺園には、いろんな国から留学生が来ていた。中でも目立っていたのは
アフリカからやってきた黒人留学生
の多さだった。
1988年だったかその前の年だったか、
日本人女子留学生と間違われた中国人女子学生が黒人留学生にレイプ
される事件がある大学内で起きた。当時、中国の大学では、学生は留学生も含め、学内の宿舎に居住していたから、こうした事件は起きえた。
中国全土に、学生の怒りが広がり、一時期は黒人排斥運動のような様相を呈した。これら「黒人学生」と名指されたのは、アフリカから来た留学生達が中心だった。
この当時、中国国内では、そうでなくても黒人を激しく蔑む風潮があったところに、国のエリートである女子学生が、「日本鬼子」と間違われてレイプされたのだから、国の誇りを踏みにじられた、と学生達が立ち上がったのである。
なぜ、中国人女子学生が
日本人女子留学生と間違われてレイプされた
のかというと、
短期漢語班にやってくる日本人女子留学生の「警戒心の薄さ」によるレイプ事件が頻発
していたからだった。被害にあった中国人女子学生は、レイプ被害を受けても泣き寝入りして申告しない日本人女子留学生と間違われた、という話だった。
手口はこうだ。この当時、中国では外食は今ほど簡単ではなかったので、留学生は必ず留学生食堂に食事にやってくる。その時、女子留学生を狙った他の留学生(別にアフリカからの留学生に限らない)が
来たばかりの日本人女子留学生を狙って、にこやかに声を掛ける
のである。だいたい
ここにすわってもいいか
と一緒にテーブルに着き、何か中国語で話して
あなた中国に来たばかりですか、歓迎のプレゼントをあげます
などと、安物の小物などを贈り、部屋番号を聞き出す。
やがて、夜遅くに、彼女の部屋を、昼間プレゼントをくれた留学生がノックする。
ここからが、日本人のダメなところなのだが、
プレゼントを貰ったから、ドアを開けてあげないと
と思って、ドアを開け、そして豹変した「プレゼントをくれるような優しい留学生」にレイプされるのである。場合によっては、
レイプ狙いではなく、小金をもった日本人から金品を巻き上げる強盗
になることも、両方を兼ねることもあった。
こんな「プレゼント攻撃」をしなくても、ドアに鍵を掛ける習慣が身についてない日本人留学生は時々いて、外出から戻ったら、タンスの中に大男が潜んでいた、などという飛んでもない事件も起きた。幸い、この時は被害女性がすぐに大声を上げて助けを呼んだので、未遂に終わった。
ドアには鍵を掛ける、夜中に女性の部屋を訪れる男にドアを開けたら、いかなる被害も想定できる、という教育を、日本の家庭が行ってこなかった故の悲劇だった。
こんな凶悪犯罪が起きていても、性犯罪は極めて恥ずかしいので、まず被害者は申告しない。強盗や窃盗(たまに部屋に置いてあったものがなぜかなくなったりする)に関しては、なぜか80年代後半〜90年代頃の中国では
共産主義国家中国に「泥棒」などという反革命分子は存在しない
という建前だったので、まともにとりあってももらえないのだった。被害届を出すだけでも大変なのだ。
しょうがないので、日本人が短期漢語班にやってくる大学では、先輩の日本人留学生が「学習会」を自主的に開き
最近○○大学では、こんなことが起きました
と具体的な例を上げて、革命的警戒心の薄い日本人留学生達に
泥棒とレイプには気をつけましょう
と教育を施すのであった。これは、まだ日本人留学生組織がしっかりしている大学の話で、大学によっては、こうした話は、留学生同士の雑談でしか流れないところもある。そうなると、短期漢語班の留学生が来るたびに、同じ悲劇が繰り返されるのである。
長期留学生達の間では
短期漢語班がやってきたから、誰々はまた女の子を狙って、食堂に張り付いているよ
などという情報が飛び交っていた。短期漢語班で後輩が来る長期留学生は、なるべく最初の頃は一緒に食事をして、大学の生活習慣を教えてやると同時に、どの留学生が危ない(喧嘩早いとか、酒癖が悪いとか、女の子をとっかえひっかえしてるとか、精神的に参っているなど)とかの情報を伝えていた。
あそこのテーブルに座ってる奴いるだろう、あいつな
というような調子で。危ない留学生と言われるのは、日本人も含めて、何人か必ずいた。
アフリカからの留学生は、中国文化関連の学科ではまず見掛けなかった。彼らは
北京大学国際政治学専攻
が多い、と聞いた。
中国で国際政治学? しかもアフリカの連中に? なんかのギャグか?
と評判が悪かった。そもそも、彼らは中国語も怪しいレベルだったりするのだ。どうやって授業をこなしているのかは謎だった。
要するに、恩を売っているのさ
というのが、日本人留学生の見解で
北京大学卒という肩書きをくれてやって、あとはアフリカの故国で偉くなってくれってことだろ
というのだった。
finalventさんのblogを読んで、こんなことを思い出した。
| 固定リンク
コメント