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2008-05-25

大学の障碍学生支援@90年代以前

ネットサーフィンをしていたら、90年代まで大学は積極的に障碍学生支援を行ってこなかった、というような議論があることを知った。
少なくとも、京都大学ではそうではなかった。
遅くとも、70年代の終わりには、障碍学生受け入れのための全学的委員会があったと思われる。障碍学生の入学は、毎年、全学部にあるわけではないので、障碍学生の入学が決まった、あるいは入学してから学生に障碍があることがわかった場合、各学部の障碍学生関係の委員を務めている先生方が全学規模の会議を開いて、個々の学生を受け入れるための支援策を考えて下さっていた。
わたしがお世話になったのは、80年代に入ってからだが、教養の障碍学生受け入れ担当教官は、保健体育担当の、リハビリがご専門の一つだった熊本水頼先生だった。それまでにかなり障碍学生受け入れの実績があることを、熊本先生から伺った。文部省(当時)からは、各学部に、毎年度障碍学生のための経費が下りてくるのだが、それだけでは額が小さくてなにもできないので、全学でプールして、障碍学生が入学すると、その学部に重点的に配分するシステムだということだった。京大ではその当時は、2回生から学部配当授業があったので、同時に文学部に入った筋ジストロフィーのT君とわたしのために、文学部にエレベータが設置された。T君はその頃は体調が悪く、車椅子を使っていた。(T君は国史に行くと言ってたのだが、なぜか同じ印度学に進んだ。印度学の研究室は4階にあるので、エレベータは、実に役に立った。)
T君だけでなく、京大には、何年かに一度は、筋ジストロフィーの学生が入学してきていた。たぶん、今でもそうだろう。行動に制約のある学生のために、バリアフリーという言葉が一般化する前に、スロープやエレベータなどが準備された。筋ジストロフィーは、当時は、20代で亡くなる患者さんが少なくなかった。京大生にも、そういう悲しいことがあった。病状が悪化して、在学中に亡くなることもあったが、大学に通える限りは、大学側は勉学をサポートしていた。学ぶ意欲のある学生には、常に門戸を開き、出来るだけサポートする、というのが、当時の京大の全学的な姿勢だったと思う。
難聴の学生については、要約筆記をする学生をつけ、読唇術を利用する学生が入る場合には、教官(当時は教官)に
 口がはっきり見えるように授業をする
ように、教務から要請が来た。
弱視や全盲の学生については、それぞれ一番前の席を用意したり、学内に歩道をつくるなどの対策を取った。弱視の場合は、試験用紙を拡大してくれた。
学生の勉強にパソコンが必須になり始めた88年以降は、障碍学生が必要であることを申請すれば、パソコンを所属する研究室に貸与してくれた。
京大では、修士課程修了までは、サポート体制があった。
もっとも、博士課程以降は、自助努力になってしまったので、いま民博にいる廣瀬浩二郎さんは、大分苦労されてたのではないかと思う。廣瀬さんは全盲の研究者で、筑波大学付属高等盲学校という、
 高等盲学校中の超エリート校
で勉強して、京大に進学した。彼は荻窪から護国寺の高等盲まで1人で通っていたというお話を、母上から伺っている。凄い。
京大では、博士課程以上は、
 一人前の研究者
という扱いなので、いきなりサポートがなくなったのだった。
民博では、廣瀬さんを教員として受け入れてから、バリアフリーの度合いがぐんと進んだ、と聞いた。

80年代以前に大学に入学した障碍学生については、他大学では、同志社大学に全盲の英文学の研究者がいらっしゃった。同志社大学に入学したときから、サポートを受けておられたと思う。オプタコンで、英文のテクストを読んでおられたのを、ニュースで見掛けたことがある。

続き。
ところである公立大学で割と最近に起きた話を書いておく。
ある公立大学で、車椅子の学生が入学し、移動のために
 エレベータを設置して欲しい
という要望が本人からも、指導教官からも、所属する学部からも出た。その時、公立大学の事務職員(自治体から出向していると思われる)は
 どうせ4年経ったら、卒業するんでしょう? そんな学生のためにエレベータは必要ない
と言い切り、結局、その学生のためにエレベータは設置されなかった。
ところがそんなことがあってしばらくすると、今度は
 市民講座を開く棟にエレベータがいきなり設置
されたという。
 市民のためにエレベータを設置するのは有益だ
というのが、件の事務職員の見解で、自学の学生の福祉よりも、納税者の福祉を優先したわけである。要するに
 市民講座を受けに、○○○立大学に行ったが、教室に行くのにエレベータがない
と、自治体に投書されないように、先手を打ったと言うわけだ。障碍学生は1人しかいなかったが、市民講座にやってくる市民は100人単位だ。1人の声は自治体にはなかなか届かないが、100人の内、何人かが文句を言えば、当然その公立大学に
 なにやってるんだ
という叱咤が飛ぶ。
しかし、車椅子の学生が入学することは分かっていた訳なのだから、受け入れた以上、必要な設備を整えるのが、普通の大学である。組合の強い自治体職員の考えることは理解できない。普段組合活動で
 弱者救済
とか、スローガンを掲げている筈なんですがね。
 車椅子の学生は「救済すべき弱者」の数に入らない
らしいのだ。
世間では
 障碍者に優しい
と思われているある自治体の公立大学で実際に起きた出来事である。

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コメント

障害者雇用について調査しているものです。いつも勉強させて頂いています。私の母校の早稲田大学でも、1970年代頃から比較的積極的に障害学生を受け入れようとしていたそうです。
特徴としては、下肢に障害がある人が多かったそうですが、これは創立者の大隈重信が爆弾テロで片足を切断したときの苦労で、非常に問題意識が深まったという事情があるそうです。そのせいでしょうか、古い校舎にも結構スロープなどは整備されていました。

ただ、90年代半ばになって、さらにハードが充実した、という面は大きいと思います。ある春休みに、突貫工事的に政経学部で新しいエレベーターが増築されて、なんでだろうと思ったら、後に著書で知った乙武さんの入学に合わせてと言うことだったようです。そして教務の先生に伺ったのですが、乙武さんの本で早稲田大学の障害者への対応が知られるようになって、他のいろんな障害をお持ちの受験生も来るようになったとか。

投稿: 三宅 | 2008-05-25 15:24

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