「お店を持つのが夢でした」ということ
商家(といっても、わたしが生まれた頃には、もう菓子屋はやめて、四丁目のビルだけになっていたが)に生まれたので、
お店を持つのが夢です
という人が不思議で堪らない。もし、これから
店を持ってくれ
なんてオファーを受けたら、全力でお断りする。商家で一番役に立たない
愛想なし
だから、あまり人様と接触のない仕事をしているのである。
売り家と唐様で書く三代目
とは良く言ったものだと感心するが、わたしは五代目。四代目までは、なんとか元の店の後継の仕事を続けているが、わたしたち五代目は誰もそんな甲斐性がない。それは見事なくらいだ。五代目は全部合わせて7人。1人は社会福祉主事、3人はサラリーマン、1人は美容師、1人は主婦、で残りがわたしだ。曲がりなりにも店を持っているのは、美容師になった従弟だけだ。
札幌の真ん中の古い商店街に店があったので、四代目の父たち兄弟は今でもその古い商店街の中での付き合いが続いている。わたしを始め、五代目の連中は、誰も一度も顔を出したことがない。
最初に菓子屋を出してから、もう100年以上経ってしまったので、知り合いは多いし、付き合いは長い。
わたしはその手の付き合いが苦手で、子どもの頃から逃げ回っていた。進学先に京都の大学を選んだ理由もそれで、さすがに札幌の付き合いが京都まで追っかけてくることはなかった。東京はまだちょっと怪しいところがある。変なところで、付き合いがある人がひょっこり出てくる。その点、京都は何もなくて自由だった。
京都は人付き合いが面倒だ、とは言うけれども、100年以上のしがらみのある札幌よりは、よほど楽なのだ。それに、京都の人は、北海道の人間は外国人の一種だと思っているから、かなり放っておいてくれる。
「お店を出したい」
という人は、ある意味尊敬する。
そんな面倒なことをやり抜く性根は到底わたしにはない。
店を一つ出すだけで、たくさんのつながりが出来る。そのつながりを、ともすると衝突するかも知れない、それぞれの顔を立てながら、あんじょう、やり遂げる自信はない。
1年目はいいかもしれない。
でも、2年3年と経つ内、必ず、軋んでくる関係がどこかに出来る。そこをうまく調整して、できればどちらの顔も立つようにして、さもなければ、片方との関係をきっぱり絶って、残った方とうまくやっていくように調整するのは、わたしのように先を読むのが不得手な人間には、絶対に無理な話だ。目先の利益で関係を絶ったりすると、たぶん、しばらくして臍を噛むことになる。商売の神様とは、なかなか気むずかしい神様だ。
岡目八目と言うのも含蓄がある言葉で、人の商売の行く末は、割と見えるものだが、自分の先行きというのは、皆目見当が立たない。
札幌にいる時分は、子どもで欲がなかったせいか、よその商売の行く末を割合当てた。
今はそんな勘はとっくにない。
商才も博才もないので、ただただ、自分の出来る仕事を、ちょっとずつ片付けている。
研究者が何か研究上の失敗をしても、人文系なら他人の生き死にに関わるような害はまずもって及ばないが、商売が失敗すると、自分はともかくとして、たくさんの他人様に経済的に迷惑を掛ける。
いろんな商売の難しい場面を子どもの頃から見てきたせいか、今のところ
他人のために判子を突く
ことだけはせずに済んでいる。それだけ甲斐性がない、ということなのだが、儲からない代わりに、大損もしないのは、有り難いことだと思う。
永遠に儲かり続ける商売があるとすれば、それはなにか後ろ暗い商売だろう。商売には、必ず浮き沈みがあり、浮き沈みをうまくやり過ごすのが、商才であり、そうやって息の長い商家は命脈を保ってきた。商才がない人間は、商家を継ぐべきではないし、間違って店を持たせたら、あっという間に店は傾いてしまう。
耳かき一杯ほども商才を受け継がなかったわたしは、家の仕事には関わらないのが、実家のためでもある。研究者は二手掛かっていたところを一手に短縮するのが仕事の一つだが、商売では二手で済むところを、時には三手や四手と増やさなければならないこともある。戦略の立て方が根本的に違うのだ。その辺りの機微を一瞬で見抜けるかどうかは、ひとえに商才に掛かっている。
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